ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

乃木忌

2017年09月13日 | 俳句

 今日は9月13日、「乃木忌」で、元陸軍大将乃木希典の忌日です。

 山口県の下関市長府には乃木神社があり、その境内には乃木夫妻の銅像やロシアの司令官ステッセル将軍から送られた名馬「寿号」の像、乃木旧居(復元されたもの)などもあるので、私たちがよく吟行に出掛けるところなんです。さらにそこには小さな宝物館もあって、乃木夫妻の遺品や遺墨などが展示されていました。下の2句は、昔俳句を始めた頃、それらを見て私が詠んだ句です。旧居は本当に粗末な家で、部屋が6畳と3畳の二間、それに煮炊きをする二坪の土間だけ。だから昼間は布団を風呂敷に包み天井から吊したりと…いろいろ工夫して、親子3人が質素な暮しをしていたのです。

   乃木旧居土間二坪に冬日射す

   耳袋てふ将軍の遺品かな

 乃木希典は、1849年に長州藩の江戸詰の長府藩士乃木希次の3男として江戸で生れましたが、長男、次男とも夭折したので、跡継ぎとして育てられます。10歳までは江戸で育ち、その後家族で長府に転居し、16才まで長府で文武を鍛えられて暮らします。その時学んだ集童場の場長室が移築されて、同じ長府にある忌宮神社の境内に残されています。集童場というのは、長府藩士の熊野則之らが長府に設けた青少年の鍛錬道場で、「長府の松下村塾」とも呼ばれていて、希典もここで学んだんです。

 成人してからの話はもういろいろありすぎて、調べ尽くせませんので省きますが、日露戦争に第3軍司令官として旅順を攻略した話はあまりにも有名ですよね。この乃木旧居の傍にその時の「水師営の会見」の歌碑と棗の木があって、それを見た仲間の一人が懐かしそうに歌を歌ってくれました。でもその人は今はもう帰らぬ人になってしまいましたが…。「203高地の松」もありますよ。

 晩年は学習院の院長になり、後の昭和天皇の教育係をも務めています。一番ショックなのは明治天皇の後を慕って、大正元年(1912)明治天皇大葬が行われた日の夜、妻と一緒に自刃して殉死したということでしょう。享年希典64才妻静子54才。この殉死を思うとき、必ずといっていいほど、あの夏目漱石の小説『こゝろ』を思い出してしまいます。

 やっと我家の〝芙蓉〟が咲き始めました。こんなに遅いのは初めて…〝芙蓉〟の花言葉は「繊細な美」「しとやかな恋人」とか。

 


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