今日は大型連休の最終日。きっとお出かけの人や故郷に帰った人も…イヤ、今の私たちには子どもたちが孫を連れて帰ってくるというのが定番ですかね。昔は私も必ず子供たちと親元に帰っていましたもの…当然子供らもそれを見倣うでしょうね。
でも私の場合は、今では親も子供も家の近くに引っ越して来たので、泊まるということがないです。せいぜい一緒に食事に行ったり、日帰りで近場へ出掛けたりする、それで連休は終りです。孫の世話で大変だとか、お金がかかるとか、連休が終わるとみなホッとしたという話ばかり、気の毒!
さて私はというと、昨日はいいことがあったんですよ。
以前玄游会の書道展の案内が来ていましたので、仲間を誘って出掛けました。実は、私の俳句を書いてくださり、その作品が展示されているというのです。
果たしてどのように書かれているのかしら、見るまではなんとも興味津々です。
今回初めて、市芸術祭短歌俳句部門の作品とのコラボ展が行われ、13点が紹介されていると。
この会の書道展はとても独創的な作品が多く、ある意味〝書の絵画〟とでも言えるようなもので、大作の並ぶ会場は、そのモノクロの世界の迫力で圧倒されますよ。
たまたま丁寧に解説して下さる方がいて、この作品はここが…と見所などを教えて貰って鑑賞すると、また一段とよく見えて、やはり違いますね。色々話してみると、結局は書道も俳句も〝余白〟が大切、それで作品の生死か決まると…。その通り!
いい話が出来てよかったです、と言って別れました。すると、来年もまたと言われてしまいましたが。
それでは私の句を紹介しましょうか。
一山の秋気集へり千木の空 (いちざんの しゅうきつどえり ちぎのそら)
季語は「秋気」で秋。「千木」というのは、社殿の屋上、破風(はふ)の先端が延びて交叉した木。あの神社の棟上に取り付けられている×の形の木ですよ。だから、この句は山中にある神社の上空に秋の清々しい空気が集まって来て、心が洗われるような澄んだ景色を詠んだものです。この荘厳な神域に立つと誰でも身も心も引き締まるでしょう。ましてや秋ですもの。さらにこれが深山、霊山だと想像すると…、そうです、これは九州の英彦山での作なんです。
さて、この句を書いて下さったのは、落合鵠希(おちあいこうき)さんという、私より若い方です。ブログに写真を載せてもいいですかと聞くと、快諾してくれました。本当に有り難うございます。
いかがですか?素敵でしょう。この墨の色と滲み具合、それから字の配分など…それに書き方も工夫して。もっとよく見えるようにアップしましょうか。(写真撮るのが私下手なんです。ごめんなさ~い)
ほら、わたしの句が一段とよく見えますよね。アリガタイことです。合掌。