鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

長崎平和祈念式典2023

2023-08-13 10:13:12 | 日本の時事風景

9日の長崎平和祈念式典について書こうとしたら、9日の午後から我が家のWi-Fiが使えなくなっていた。どうやら前日から始まった台風6号の強風のなせる業だったようだ。

翌10日の夜中の1時頃だったと思うが、さらに強まった風のためどこかの電線が不具合を起こしたらしい。停電さえ起きてしまった。これは約7時間くらいで復旧したが、早速パソコンを開いても「接続が確認されません」の表示。

我が家のある地域は1年前からようやく光通信の配下に入り、あまり実感はないが「高速通信」の恩恵に預かるようになっていた。

それよりとにかくインターネットにつながなければブログは書けない。そこで契約している@ニフティに連絡したところ、たしかに回線の不具合で接続が阻害されており、結構広い範囲で接続障害があり、回復には3週間ほどかかる――という。

ー冗談じゃない、自分なりにブログの更新を3日以内としているのだ、それが3週間とは!―

と心中穏やかならず、それじゃあと鹿屋市内で公共のWi-Fiが使えるところを探したら、鹿屋市の市民交流センター「リナシティ」の情報室に行き着いた。そこでいまこれを書いている。

さてテーマの長崎平和祈念式典(正確には長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典)だが、被爆78周年の今回の式典は、我が家に軽微な被害をもたらした今度の台風6号の進路に当たるため、60年ぶりに屋内での式典になったという。

会場の「出島メッセ長崎」に集った被爆者・遺族等の関係者はわずか40名余りだったそうで、岸田首相はじめ各国の参列者は皆無という寂しさであった。

敵国人であり異教徒でもある日本人を原爆の犠牲に供したのはアメリカ人の「人種的優越心」が後押ししたことは間違いないが、彼らにとって誤算だったのは、浦上天主堂に集い朝のミサに参列していたキリスト教徒の日本人までも、天主堂と共に抹殺したことだった。

アメリカはしまったとばかり、長崎市に浦上天主堂の再建を申し出たのだが、長崎市はこれを断っている。

そのため浦上はそして長崎は、アメリカにとって鬼門と化した。自分の知り得る限り、駐日大使で長崎を公式に訪問したのは、民主党オバマ政権下のあのケネディ家の娘キャサリン・ケネディしかいない。

チェコのプラハで核廃絶を訴えてノーベル平和賞を授賞したオバマ大統領の下だったから、ケネディ女史も「勇を鼓して」長崎を訪れることができたのだろう(ただし当のオバマ大統領は広島は訪れたが長崎には行っていない)。

原爆投下についてアメリカでは終戦直後では80パーセントを超える支持者がいたのだが、今日はほぼ50パーセントまで低下している。低下したのはやはり核廃絶を訴えたオバマ大統領の影響と、戦争を知らない世代が大半を占めるようになったことが大きい。

それにしても今回、各国の大使の参列取りやめでホッと胸をなでおろしているのはアメリカ大使館ではないか。浦上天主堂の惨劇は彼らの心に重くのしかかっているはずだ。各国大使、とくにキリスト教を信奉している国の大使には見てもらいたくない戦争遺跡なのだ。

今朝の関口宏サンデーモーニングでは、米軍が原爆を投下するための試験として原爆に似せた「パンプキン爆弾」を数か所で実際に日本人の頭上に投下していた――という情報が流されていた。

実際に愛媛県の宇和島市に落とされたパンプキン爆弾によって17名の死者が出たという。皇居の近くにも落とされたというから無差別も極まりない。

また、終戦の日の2,3日後にも三つ目の原爆を落とす予定だったらしいことも分かっている。

広島のウラン型原爆でその日のうちに約15万、長崎のプルトニウム型原爆で約10万が死亡、今日までに双方併せて50万が犠牲になっている、たった2発で。

「長崎を最後の被爆地に!」という声を絶やしてはならない。