仮名日記

ネタと雑感

12月4日(日)のつぶやき

2011年12月05日 | Twitter
00:04 from web
映画『ゴモラ』を観た。登場人物がどんな立場の人間かが判りにくく、しかも、基本的に独立したエピソードが断続的にシャッフルされて叙述されるため、始まってしばらくのあいだは退屈。 http://t.co/TrBhWFq6
00:31 from web
映画『ゴモラ』 次第に状況が飲み込めてくると、犯罪組織が人々の生活から大小の企業にまで入り込み、邪魔な存在には容赦ない制裁を加えていく様に重苦しい恐怖を覚えるようになる。産業廃棄物の不法な処理を請け負うエピソードで判るのは、組織が存続しているのは、それが必要とされているからだ。
00:45 from web
東京国立博物館の『法然と親鸞』展に行ってきた。オーソドックスな構成の展示で、書物が多めなのが特色か。最後に展示してあった『山越阿弥陀図』を観て、『ゴジラ』1作目の山の向こうにゴジラが顔を出すシーンを思い出す罰当たりなわたくし。 http://t.co/jLWdBoZA
00:56 from web
『法然と親鸞』展 両者の伝記絵が何作もあり、それぞれ定式化されたエピソードが描かれている。法然が往生するときは阿弥陀仏が降りてきて眉間から二条の光を法然に向けて発する様子が描かれるが、親鸞の往生には何もやってこない。この違いはどうやら両者の往生に対する観念の違いによるものらしい。
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12月3日(土)のつぶやき

2011年12月04日 | Twitter
10:10 from web
東京国立近代美術館の『ぬぐ絵画』展に行ってきた。一見扇情的なテーマながら、日本近現代におけるヌードのあり方を考えさせる意欲的な展示。 http://t.co/n7iZHkbz
10:16 from web
『ぬぐ絵画』展 まず、日本にヌード絵画を芸術として定着させようとした人々の試みがあり、その精華として黒田清輝の《智・感・情》が置かれている。しかし、黒田の教え子の世代ですでに、ヌードを描くことの意味を作家が問い始めている。
10:24 from web
『ぬぐ絵画』展 この展示に合わせて、東京国立近代美術館の常設展もふだんよりヌードが多めになっている様子。加山又造の作品がむやみに淫靡で、下でやっていたことがこういう方向にも進むのだな、と思う。一方、土田麦僊の《湯女》は女性がしどけなく横たわっているが桃源郷を思わせる明るさ。
10:33 from web
土田麦僊の《湯女》は、画面は明るいけれども、要するに特殊浴場的なサービスがあるのかしら、とよけいなことを考える。山種美術館に、同じ土田の《大原女》が展示されていたが、こちらに描かれた女性はかなり健康的。ただ、丸顔でかわいいのは共通している。
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