仮名日記

ネタと雑感

やすいはなし(million miles)

2008年07月09日 | 生活
 たまたまテレビで[ほっともっと](旧[ほっかほっか亭])のCM(このページの「美大生編」)を見てしまい、しばらくいやあな気分に陥った。
 地味な雰囲気の青年が、[ほっともっと]ののり弁当を、家族の絵を見ながら独り無表情に黙々と食べているというもの。その不吉ささえ漂う虚ろなありさまに、一瞬 彼の家族はみんな死んだのだろうとさえ思った。それは考えすぎだとしても、どうにも陰々滅々たる情景のCMである。「幸福は~」云々というコピーが出てくるが、少しも幸福そうに見えない。独り飯なんてのはただでさえ索漠としたものなのに、あの白い発泡スチロールの容器をじっと見つめてしまったら、時々ふっと死にたくもなろうというものだ。
 「単身赴任編」というのもあるが、そっちもキッツイぞ。そこでは、単身赴任のオッサンが、買ってきた弁当を独りで食べている。彼の逆光気味の横顔から溢れ出す、逃げ場ナシの殺人的な陰惨さ。中年男の悲哀ここに極まれりといいたくなる。彼のこどもから電話がかかってくるところで何とか救われるが、あれを見て単身赴任の男性が自殺したとしても、俺は不思議とは思わない。
何だってあんな、
みじめで、
侘びしくて、
悲しくて、
寂しくて、
空しくて、
やるせなくて、
寄る辺なくて、
貧乏ったらしくて、
味気なくて、
痛ましくて、
酷たらしくって、
薄ら寒くって、
どうしようもないほど救いのない、
タチの悪いいやがらせのような広告を作ったのだろう。垣間見るだけで暗澹たる気持ちになる境遇に、わざわざ自らの身を置いてみようなどと誰が思うか。広告として完全に逆効果だと気付かない神経を疑うよ。
 あれをつくった人々は、「ホカ弁」(ブランド名が変わったことにより「ホモ弁」になってしまったが)という商品を過信したというか、それが人に与えるイメージを完全に読み間違えたのだろう。ホカ弁とは、食事を作ってくれる人もいなければ、自分で作る能もない、あるいは時間もない人のための、そもそもが「孤独」で「貧困」(必ずしも金銭的な面のみならず、文化的な意味合いも含む)な商品なのであり、それを顧客に気付かせてしまったらアウトなのだ。自分は、そんな悲しい商品を買う悲しい人間なのだと、買うたびに自覚させられ、不幸で残酷な現実に堪えなくてはならないとしたら、購買意欲など湧くはずがない。
 あのような食事の風景から、ホカ弁を食べてがんばっている人々の健気さを伝えようとしているのかも知れない。しかし、それを「健気」と感ずるのは、「そんな貧しい食事をしていながらも」という前置きによるものだ。つまりホカ弁のネガティブイメージを前提にしているのであって、広告としてはやはり失敗ではないか。どんな言葉で飾ろうとも、いかに情緒に訴えようとも、バックに菅野よう子の曲を流そうとも、発泡スチロールの容器がすべてを打ち砕くのだ。