仮名日記

ネタと雑感

やすいはなし(いいものはいい)

2007年02月26日 | 文化
 ピーター・ポール&マリーのノエル・ポール・ストゥーキーの作詞・作曲による、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんをテーマにした「SONG FOR MEGUMI」を聴いてみた。感想を手短かにまとめるならば、
「つまんねえ曲だなぁ」
 この曲自体にはことさら評価すべきところが見当たらず、駄作とは言わないまでも凡庸な出来だ。曲調がそもそも俺の好みではないために採点が辛くなるのだろうが、メロディーはありきたりで、演奏にも聴きどころがない。ストゥーキーの歌はときに苦しげで心地よさを損ない、歌詞の「メグミー」という始まり方も、よく言えば直截的、はっきり言えば芸が無い。
 そこで歌われている内容の事実としての重さを考えあわせれば、聴いていて迫る思いはあるけれども、それが曲によって喚起されるものかは疑わしい。題材(についての我々の知識)に依存して起こる感情であり、そうであれば曲を聴く必要は無いということになる。
 この曲によって拉致問題がより多くの人に知られるようになり、解決への力につながっていけば素晴らしいことだ。また、収益金は横田夫妻の活動のために寄付されるとのことで、その点でも確かに意味がある。しかし、聴きもしないCDは要らない。もっと出来のいい曲だったなら、誰もが何度も聴き返したくなるような佳曲だったなら、より良い結果をもたらすだろう。残念ながら、「SONG FOR MEGUMI」にはそれだけの力は無さそうだ。
 ノエル・ポール・ストゥーキーの善意を疑うつもりはない。しかし、純粋な善意が満腔に溢れていようとも名曲ができるとは限らない。そして、それが善意の産物だからといって聴き手がむやみに有り難がるのは、音楽を貶める行為だと思う。その社会的な重要性は理解するとしても、それが音楽としての評価に直結するわけではない。まして、社会的な意味があるから感動しろと言うならば、寄付を強要する輩と同じくらいタチが悪いのだ。