仮名日記

ネタと雑感

ヒーローズ

2006年02月09日 | 社会
 そろそろ人々の関心も薄れてきた頃でしょうが、またもライブドア、というより堀江氏をネタにしてみます。正直なところ、これほど彼に関心を持てたのは初めてのことです。いままでに彼がどんな騒動を起こそうと、近鉄バッファローズ買収であれ、ニッポン放送株大量取得であれ、衆議院選挙出馬であれ、どっちに転ぼうが知ったことじゃなかったのに。
 こんな風に関心をかきたてられたのは、他人の、それも金持ちの不幸を喜ぶ下司根性も働いてはいるのでしょうが、何より、一個人がどうということもない罪に問われたことが、あれほどの影響を及ぼしたという事実によって、彼の存在の大きさに気付かされたため。今さら何を言っておるか、というところでしょうが、そこは「『不明だ』と言われれば、甘んじて受ける」つもりです。
 いやね、彼が人気者だったことは確かだけれど、投資の対象にしていた人々は別として、一般には、変わったこと・おかしなことを次々にして見せる珍獣として面白がられているだけだと考えていたんですよ。だから、ああして逮捕されたことも彼の新しい芸としていっとき楽しんで、しばらくすれば、ああ面白かった、次は何をしてくれるのかな、とみんな何事も無かったようにすっきりした顔で帰っていくんだろうと思っていた。
 ところがそうではなく、彼を自己実現や経済改革のモデルとして、本当に尊敬・信頼していた人々が少なからずいたんですね。そしてそうした人々は、彼が違法な手段を用いていた(とされている)ことに、本気で失望したらしい。変革者としての彼が罪に問われてしまったことで、彼が体現していた新しい価値観・理念が守旧派からの反動を受け、かれらにとって望ましくない方向に社会が逆戻りしてしまう。このことが、彼に期待を懸け希望を託していた人々にとって、大きな裏切りとして映っているようです。
 しかし、堀江氏は本当に人々や社会を欺いていたのでしょうか。彼が既存の権威や体制と対立する際に、改革者としてのイメージを利用していた節もなきにしもあらずでしょうが、自己を偽り聖人君子を装って人々を惑わしていたとは思えません。もちろん、「違法な手段を使いました」と触れてまわりはしませんでしたが、彼は公の場で自身の信条・信念を率直に語り、本に著してさえいます。また、株式分割による価格の釣り上げや時間外取引による株式取得のような、脱法的とさえ批判される手段を実際に用い、それを隠そうともしませんでした。
 それらの言動から判ることは、「人の心はお金で買える」という身も蓋も無い言葉に端的に表れているように、金銭こそが彼の根本的な価値基準であり最大の目的だった、少なくともそのように自らを律していたということです。金儲け自体を自己目的化させ、そのためならばモラルも情宜も慣習も一顧だにせず、手段を選ばず先鋭に突き進んでいく。そして、この金銭以外の規範を認めないシンプルでアナーキーな姿勢が、国家の定めた規範である法の軽視・無視へと向かうのは何の不思議もない、当然予測して然るべきことだったのです。
 堀江氏は、新興企業の長として既存の勢力に斬り込まなければならなかったがゆえに、またITやM&Aといった手法の新奇さゆえに、既得権益を揺るがし新規参入を促す規制緩和・構造改革の象徴と目されました。しかし、それは本来の目的=利潤追求の副産物として生じた見かけに過ぎず、旧体制への反抗が彼の本懐だったことを示すものではありません。むしろ、彼の拝金主義は尾崎紅葉の『金色夜叉』に出てくるような古典的なものであり、その意味では改革者ではなく伝統主義者だったと言えます。
 そして、彼自身がこの金儲け至上主義を露骨なまでに標榜していた以上、彼を支持することは即ち金儲け至上主義への支持だったはずです。にもかかわらず、官憲に捕らわれた今になってにわかに怖じ気づいて他人のフリとは、誠実に自己を語っていた堀江氏に対する許し難い裏切りではありませんか。この恥知らずどもが、銭道不覚悟も甚だしい。むしろここは「やったッ!! さすが堀江!」とシビれ、あこがれを強めるべきでしょう。実際の経緯としては、ギリギリのグレーゾーンを探りながら利益を上げようとするうちに、いつの間にかクロの領域へと逸脱していたということかも知れませんが、「ばれなきゃイカサマじゃない」とばかりに法に反することも辞さない姿こそ、かれらが堀江氏に望んでいたものではなかったのだろうか。
 もしも彼に失望するとすれば、彼がこんなに簡単に、しかも(いま報じられている限りでは)ありきたりで革新性に乏しい犯罪で尻尾を掴まれてしまったことについてでしょう。なぜもっとうまくやらなかったのか、あなたの力はそんなものだったのか、札束と株券が溢れる金儲けのための約束の地へと導いてくれるのではなかったのか、と。
 結局のところ堀江氏を支持していた人々は、彼に対する深い理解や彼の目指す方向への信頼に基づいてそうしたのではなく、自分に都合のよい像を投影して英雄視していたに過ぎなかったのでしょう。そのような利己的なふるまいにも無自覚なかれらは、現在のような事態に至ると、わずかではあっても確かに自ら関わっていたはずなのに、自分たちは騙されていた・裏切られたとばかりにすべての責任を彼に押し付け、彼を支持した自分自身を問い直さずに平然としていられる。つまり、一連の騒動はかれらの内面に何も残さず、何ひとつ変えることは無かったということになります。
 そうであれば、堀江氏よりもさらに巧妙な人物が新たに現れたならば、かれらはまた同じように崇拝し、讃美することになるでしょう。判りやすいシンプルな価値観と、改革者のイメージと、受けを狙えるキャラクターを備えていれば、希望・期待を指し示す英雄としてたやすく受け容れられ、人々を巻き込んでいくに違いない。もちろん堀江氏のように、何かのきっかけで弊履の如くうち捨てられるおそれと隣り合わせの立場ではありますが。
 もしかしたらその地位に、現在の試練をくぐり抜けて成長した堀江氏自身が就くかも知れません。さらなる奸佞邪知を身につけて、旧体制も権力も到底太刀打ちできないような巧緻きわまる戦略を駆使する、経済犯罪界のナポレオンとして彼が帰還することを期待しようではありませんか。
 たぶん無理だろうけど。