仮名日記

ネタと雑感

爆心地で大騒ぎ(その1)

2005年10月24日 | 文化
 最近、「アキバ系」などという言葉が普通に使われたりするほど秋葉原への注目が高まっていますが、俺はあそこに行くといたたまれなくなってすぐに帰りたくなります。どちらかと言えば、すぐ近くにある神保町の方が居心地がいい。言うなればジンボ系、すなわちJ-BOY。浜田省吾の曲を常に口ずさんでいます。実のところは、暇なときに東京古書会館の古書即売会を覗く程度の、古書マニアの端っこにも引っ掛かっていない人間ですが。
 真のJ-BOYたちは、そんな生易しいものではありません。どのぐらい違うか判りやすく例えて言えば、富樫明生とドクター・ドレぐらいに違う。彼らを端から垣間見る限りでは、何というか「業が深い」感じさえします。正直言って仲間入りをしたくない。

 そんなどこにも属さない俺が、神保町は靖國通り沿いの古書センターに行ったときのこと。そこは1階から9階まで古書店が入った雑居ビルで、その一階が「高山本店」という司馬遼太郎もよく訪れたという由緒正しい店です。「本店」というのは本店・支店ではなく本屋という意味、というのが司馬先生のつかみネタでした。その品揃えは伝統芸能の資料書や歴史書など総じて格調高いので、いつもは文字どおりに店内をスルーして、建物奥のエレベーターで8階の芳賀書店に向かいます。
 その日も臆面も無く通り抜けようとしたところ、視界の隅を何やら気懸かりなものが通り過ぎたように思い後戻り。俺を呼び止めたのは何かと見回して、目に入ったのが写真の和綴じの本でした。
 題して「大東亜戦争小謡集」。どうです、いかついでしょう。典雅な和の趣と武張った漢字の連なりとの甚だしい違和感。表紙の図案も、太平洋地域の地図を半ば覆い隠すように懸かる雲と何とも不穏。中を斜め読みして外見どおりのイカした内容であることを確認し、大枚千円を支払って購入しました。レジで、胡乱な目で見られたように感じたのは気のせいでしょうか。
 
 奥付の発行日は昭和18年6月30日、つまり太平洋戦争の真っ最中。編著兼発行者は江島伊兵衛、発行所は株式会社わんや書店とあります(江島氏はわんや書店代表者)。発行部数は二千部、増刷されたかは不明。書名が「大東亜戦争作替小謡集」となっていて、表紙と少し違う。こちらの方が正式なものであるらしく、内容をより的確に表しています。
 では、どんな内容か。まずは本書の「序」に曰く、「大東亜戦争の赫々たる戦果、大東亜共栄圏建設の堂々たる歩武、この肇国以来の大偉業に直面して、われ等の感激と覚悟とを謡曲によって高らかに唱ってみたいとは、平常斯の道を嗜むものが誰しも懐く気持ではあるまいか」(原文は旧仮名遣い・旧字体。以後引用部分については同じ)。
 要するに、大東亜戦争(太平洋戦争)における大日本帝国の勝利・栄光や、祖国を愛する我是日本人的心情などを、好きな人なら謡曲で唱ってみたいでしょ、ということらしい。しかしまったくの新作では節回しになじみがないので取っ付きにくい。そこで、昔からある有名な謡曲の節に、新たな題材を基にした歌詞を付ければ、つまり替え歌にすれば、愛好者は原曲どおりの節ですぐに唱えるじゃないか、という発想のもとに作られた謡曲版替え歌集なのです。
 当時、謡曲を趣味としていた人がどのくらいいたのか見当も付かないし、今まさに起きていることを伝統芸能というべき謡曲にして唱ってみたいと思うものなのか疑問が湧きますが、先程の「序」によれば、載せられているもののなかにはわんや書店発行(だったと思われる)雑誌「寶生」への読者投稿作品も含まれているとのこと。しかもこれの前に、日中戦争を題材にした「支那事変小謡集」という姉妹編が出ているのです。同社にとってはけっこうヒット企画だったのかも。
 これを一読して連想したのは、高村光太郎や斎藤茂吉が戦争を題材にした詩歌を作り、戦争を賛美し協力したと言われていること(そのために戦後、光太郎はぼろぼろな駝鳥になり、茂吉は白き山で途方に暮れることになるのですが)。この「小謡集」の作者たちは光太郎・茂吉のような大詩人ではないけれど、おまけに替え歌というお手軽さはあるけれど、かれらを詩作へと向かわせた感情は共通しているように思えます。むしろ、プロとして依頼を受けたわけでもないかれらの方が、思いは至純だったかも知れない。
 そして、それが誰の強制にもよらない真情によるものだったとすれば、かれらが賛同・助力した戦争による惨禍にも、何らかの責めを負わないといけないことになります。この本の影響力ははっきり言って微々たるものだったはずで、罪というほどのものではもちろんありませんが、かれら自身の内面において問い直すべき、道義的な課題を負ったと言えるでしょう。
 少々先走り過ぎてしまいました。掲載された作品の内容は、次回ご紹介します。