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鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

高柴デコ屋敷・三春人形のふるさとへ①

2012-04-20 | 東北にエール
先週末、企画展の打ち合わせもかねて、
福島から仙台まで駆け足でめぐってきました。

お訪ねした橋本広司民芸はデコ屋敷の家々からもまた少し離れており、
不動桜という滝桜の子孫の桜の木に見守られるようにありました。
トタンこそかぶっておりますが、なんて立派な茅葺き屋根!
築200年とお聞きしました。
*写真はクリックすると拡大されます。



お邪魔するとオクドさん、そしてだるまがぎょろり。
「お前は何者ぞ」と問われます。

 

現17代当主のお母様・橋本アサさん。
家の前に数本あるソメイヨシノはアサさんが嫁いだときに植えたもの。
今頃、蕾がふくらみ、花が咲き始めたころでしょうか。
アサさんは今年91歳を迎えられたといいますが、
ご覧の通りお年を感じさせません。
先祖伝来の木型に和紙を丁寧にはっていきます。
この笑顔にお会いできただけでも、はるばる伺った甲斐がありました。

 

三春人形は和紙を4~5枚重ねて湿らす、
木型に貼り乾燥させ小麦粉の糊を塗る、
型を外して膠で継ぐ、胡粉を塗る、絵付けをする
5つの仕事をそれぞれ分担して、作られていきます。
お孫さんの将司さんに教えていただきました。

絵付けは将司さんのお父さんで当主の橋本広司さん。
三春人形の復興に力を注いだ先代の「無になれ、体全体でつくる」
その言葉がわかるまで、ずいぶん悩んだ時期もあったそうですが、
「無になる、空になると、自然と何か先祖といえばいいのか、
仕事が仕事を教えてくれるというか」
そうして今にいたるとお話くださりました。

三春には七福神踊りという踊りがあるそうですが、
そこからさらに広司さん考案の「ひょっとこ踊り」も生まれました。
ちょうどお伺いした時に、
お嬢さんの結婚式で踊ってほしいと依頼にこられたご夫婦があり、
広司さんはひょいと積んであったひょっとこ面をつけると、
デコ職人の橋本広司さんの存在は消えてしまい、
そこには人のもつ哀しみを面の奥底に秘めて、
ただひたすら笑われてある「ひょっとこ」の姿。
「おじちゃん、馬鹿やなあ、そういって子供に笑われたら最高ですわ」

三春人形は明治になって顔料の制限などもあって廃れ、
だるまだけが細々作られていました。
それが昭和の中ごろ、様々な方の尽力で復興し現在に繋がります。
橋本広司民芸さんには、代々の木型、文書も保管され、
見ごたえがありました。
ゴールデンウィークの企画展には、
貴重な木型も特別にお借りし展示の予定です。

高柴デコ屋敷のデコたちに、ぜひ会いにきてください。


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楽し麗し手仕事展2012 
 福島・三春人形の魅力 ×
 カンボジアの手織万能布クロマー 

4月28日(土)~5月6日(日)*2日(水)はお休み
10時30分~18時30分
金沢大野湊かたかご庵

○三春人形、三春駒の数々
○絵付け体験
○カンボジアの万能布 クロマー
○メトロポールのマフィンDEなごみカフェ               

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ヨシ原再生プロジェクト@北上川 はじまっています。

2012-02-05 | 東北にエール

震災前のヨシ原)

先だって「NPO法人りあすの森」ですこし書かせていただいた
北上川のヨシ原再生プロジェクトがいろいろ動き出しています。

りあすの森の中心になっている熊谷産業さんは
兼六園の夕顔亭、金沢湯涌江戸村の屋根もお仕事されています。
また北上川のヨシを使ったヨシ和紙を輪島市三井の遠見さんで漉いてもらったり。
石川にもご縁のある北上川のヨシ、どうかお力添えお願いします。

●一口オーナー制度
3,000円と10,000円の2種から選べます。
3,000円は寄付、10,000円は後日ヨシを練り込んだ
珍しいうどんとヨシペンが送られてきます。

●ヨシ刈りとお掃除ボランティア
ヨシ原にはまだ津波で流されてきたゴミも多く
それを取り除くことが必要です。
3月にはエレベストや富士山のお掃除活動にも取り組む、
登山家の野口健さんも参加してくれるようです。

雇用、人材育成、美しいヨシ原の再生、いろいろに関わって支援ができます。
どうか温かい気持ちをお届けください。

詳細こちら「ココロカラ」をどうぞ。
私も支援をしています。


陸前高田の「瓦re:keyholder」の輪。

2012-01-31 | 東北にエール
いつも私の読書案内をしてくださるstraussさん。

東北へのボランティア活動にも参加されており、

そのブログのなかで知ったのが陸前高田の「瓦re:Keyholder」でした。


北陸から現地にボランティアに向かうのは大変ですが、

離れていてもできる支援があるんだと気づかされ、

雇用支援と東北を忘れないという気持ちを携えて

昨年末の企画展で取り扱わせていただきました。



最近では金沢市内の生協でも取り扱いが始まり、

じわじわと輪が広がっていることが嬉しいです。


また先般参加したビジネスセミナーで、

プロボノ活動について講師を務められた

NEC CSR推進部のⅠさんにお渡しし紹介したところ、

社内で取り上げますと仰っていただけました。


個人でご購入された方も、

たとえば会社でノベルティとして使ってみるよう働きかける、

あるいはお住まいの地域の催しで使ってみるなど、

もう一歩先へ能動的に広げてみるのはいかがでしょう。

支援の輪、広げていきましょう。

瓦re:Keyholder 詳しくはこちらへ

追分温泉。

2012-01-26 | 東北にエール
石巻で宿泊したのは北上川左岸の山奥にある一軒宿、追分温泉です。

かつて金鉱山もあった硬い地盤に立地していたことから被害はほとんどなく、
震災直後からふもとの方々50人近くが2.5キロ先の山道を登って避難を乞うてこられ、
すぐに広間を開放し受け入れられたそうです。
また翌日からは朝、昼、晩、200個の温かいおにぎりを避難所に差し入れもされたそうです。
「うちは被害も殆どなかったし、温泉宿で料理の材料だけはたくさんあったからね」と先代の女将さん。
お国言葉をまじえながら、当時のお話しをおうかがいさせて頂きました。



かんじんの追分温泉。
ぽかぽかとよく温まり、栢の木をふんだんに使った湯殿と湯船も雰囲気たっぷり。
牡蠣やわかめ、お刺身・・・と三陸の海の恵みいっぱいのお食事。
まだ仮設住宅にお住まいの方もいらっしゃるのに申し訳なく思いながらも
美味しくいただきました。

 

石巻へ旅行に行かれる方、ぜひどうぞ。
お勧めします。


NPO法人りあすの森。

2012-01-26 | 東北にエール
石巻市は広葉樹の茂る山々の間をゆったりと流れる
北上川の川湊として発展してきた町です。

森の栄養をたっぷり含んだ水が川を豊かにし、
その川の水と海の水が交じり合う汽水域の河口ではシジミ漁が盛んに行われ、
また中洲や砂洲には200ヘクタールにも及ぶヨシ原が広がり、
川と海の恵みを享けた暮らしがありました。
しかしこの度の震災による津波の影響で、往時の発展をしのぶ米蔵などの並ぶ町並みも壊され、
また日本有数のヨシ原も、地盤沈下や泥の蓄積などでかつての半分近くになってしまいました。

今回おこなわれたヨシ刈りボランティアは、
この震災を機に生まれた「NPOりあすの森」が主催し、
湖沼のヨシを守る団体を中心に声がかけられ、鳥取、滋賀、石川、栃木などから25名が集まりました。
りあすの森の中心は、石巻にある屋根工事一式・熊谷産業の熊谷秋雄さん。
北上川とそのヨシ原の恩恵をうけて来られた方です。
熊谷産業さんご自身も茅葺き屋根の社屋や工場を流されました。
震災当時社員の方々はヨシ原でヨシ刈りの最中でしたが、
先代社長の「津波がくるから逃げろ」の一言で、間一髪、皆さんご無事でした。



この熊谷産業さんの対岸には、児童74名、教職員10名がお亡くなりになった大川小学校があります。
校舎前には慰霊の鐘、子供をやさしく抱いた母守りの像があり、
像には寒かろうと赤いマフラーも巻いてありました。
小学校は堤防から100メートルも離れていない低い土地に建っていました。
裏山は杉が植林された急斜面で大人でも上るのは容易ではない。

地震後36分で津波がきた・・・・。
その間はあっという間のことだったことでしょう。
裏山以外、学校よりも高い場所は橋だけ。
想像もつかない巨大な津波がくるとは思いもよらず、
先生と子供たちが避難に向かってしまった。

その橋も左岸のほうは新しく付け替えられ、
上流の川面にはぐにゃりと捻じ曲がった、橋だったものの残骸が川面から突き出ていました。
津波に運ばれた家か漁船か、何か大きなものがぶつかったのでしょうか。
まだ行方不明のお子さんもいらっしゃる現実。
手を合わせてお祈りするしかできませんでした。


熊谷さんは以前から自然と子供を結ぶ学校づくりを想っていらっしゃいましたが、
大川小学校のことをうけ「多くの子供たちが亡くなったことに報いるためにも、
本当の教育の受けられる学校を作りたい」と考えられ、
「NPO法人りあすの森」をつくりました。

本格的な活動はこれからになりますが、
すこしでも応援させて頂きたいと心から思います。

ヨシ刈りのことは「石川県茅葺き文化研究会」のブログへ⇒

ヨシ刈りボランティアのようすはこちらMSNの記事⇒

宮城県石巻市へ。

2012-01-26 | 東北にエール
1月7日~8日にかけて宮城県石巻市へいきました。
12月に茅文研主催「草からみえる未来」で講演いただいた
河北潟湖沼研究所のTさんからご案内をいただき、
日本でも有数のヨシ原が広がっていた北上川でのヨシ刈りボランティアに参加するためです。

朝8時に津幡町の研究所を出発し、北陸道~磐越道~東北道を車でひた走ります。
途中、磐梯山サービスエリアからは磐梯山が真正面に見えました。
あいにく雪雲がかかっていましたが、堂々とした偉容が伝わってきます。



午後4時ごろに宮城県に入り、
高速道路の上からでしたが仙台の津波被害のようすも目にしました。
湖沼研究所のTさんは昨年の夏にも訪問されており、
その折から比べれば瓦礫は片付けられているとのことですが、
まだ堆く積まれた瓦礫や塩害により赤茶けた木々、
真新しいお墓に被害の大きさがしのばれました。

やがて目的地の石巻市につきました。
宿に入る前に市内の被災状況も視察をということで
海辺の日本製紙の工場付近を訪ねました。
工場はすでに稼動し、もくもくと力強い白煙をあげていましたが、
震災直後はこちらのような様相
ため息が出ます。

今これらの瓦礫のほとんどは片付けられています。
しかしところどころ、1階を波にさらわれたままポツンと立ち尽した家も残され、
そこに暮らしていた方々はいったい・・・・と、胸を衝かれます。

下の写真のお隣もかつては町の電気屋さんだったようすで、
働き盛りのご主人の遺影にお線香やお花が供えられてあり、
私たちも手を合わせて黙祷しました。



この背後、100メートルも離れていない所に高台があり、
そこに建ち並ぶ家々はほとんど無傷。
くっきりとわかれた明暗。
なんとも言えない思いがわきました。

地球交響曲第1番~7番 チャリティ上映会

2011-10-06 | 東北にエール
カメラマンの桝野正博さんに初めて会ったのは、
まだ私がな~んと21歳の時になる。
いやはや。

その頃の桝野さんは石垣島石から地元に戻り、
フリ―カメラマンとして仕事をされていた。
今よりはもっとずっと真面目だった私は、
事務所に現れたロングヘアにくるくるパーマのかかった、
今まで見たことない人種のその人を、
在る種の憧れをもってみておりました。
そしていつか桝野さんに写真を撮ってもらえるような仕事をしようとも
思っておりましたのですよ、マスノさん!

それから幾星霜。

5年ほど前、一緒にお仕事をする機会をいただいたけれど、
桝野さんは何か写真を撮ることに鬱屈したものを抱えられていたように思う。
そういう私もその1年後には、フリ―ライターの仕事はやめてしまった。
こちらはあくまでも食べていけなかったというか、
続けていく根性がなかっただけ(苦笑

そしてまた、さらにそれから数年。

桝野さんは写真家マスノマサヒロに変生し、
今、映画「ガイアシンフォニー」のチャリティ上映会を企画した。

「ガイアシンフォニー」には、
いち早く地球の声に耳を傾けてきた世界各地の人々の姿をおさめ、
地球とは、自然とは、そこに生きる生命とは・・・と
美しい映像とともに静かに語りかけてくる作品群。

私自身はこれまたもう10数年前になるが、
動植物の専門学校などを運営する会社に勤務するころ、
ガイアシンフォニーの1~2番を見ており、
とても感動したことを今でも憶えている。

原発事故が起きてしまった今こそ多くの方に見ていただき、
心に感じていただけたらと思う。
それでいて福島のこどもたちを守るプロジェクトのお手伝いもできるのだから、
佳いことずくめ。
マスノさん、企画してくださってありがとうございます。


会場は金沢市内2か所と野々市1か所にあります。
11月2日~6日の5日間、10時半、13時15分、17時、19時半に上映。
いずれも予約が必要です。
詳細はこちらから!!
地球交響曲


ふくしま集団疎開裁判・署名のお願い

2011-06-30 | 東北にエール
友人の文兎さんからメールが届きました。
小さい人たちに健康な未来、贈りたい。
私も賛同します。
どうぞ宜しくお願いします!!
***********************



みなさん

 6月24日(金)、福島地裁郡山支部に子供たちの集団疎開を求める「ふくしま集団疎開裁判」が始まりました。

 裁判は、郡山市内の小中学校の子供たち14人が原告となって郡山市を相手に、年1ミリシーベルト以下の場所で教育しろ、という形です。しかし、福島県内で葉年1ミリシーベルト以下のところがほとんどない現状では、記者会見で弁護士が説明しているように、この裁判をきっかけにして小中学校の集団疎開を求めるものです。

 原発事故直後からの福島県の健康アドバイザーなどによる「安全です」という説明を、多くの人が信じ込み、避難や疎開という言葉自体がタブーとなっているとのことです。子供までが「お母さんだけ避難すれば」と言っている、ある家庭のケースの話もあるそうです。

 無理して避難しても、線量が下がって戻ってきたときコミュニティから排除されるのではないか、という不安が避難をためらわせているとも聞きました。

 ある郡山市民の言葉を借りれば、この裁判は、いろいろなしがらみで、避難したくてもできない人に踏み切るきっかけを作ることにもなります。

 詳しくは、次の2つをご覧ください。

  ・記者会見要旨  http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110624PressRelease.pdf

  ・記者会見と親御さん、代理人弁護士へのインタビュー
   OurPlanetTV, 2011-6-25
   「学校の集団疎開求め仮処分申請~郡山の子ら14名」
    http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1132

 この裁判の弁護団の一人である井戸謙一弁護士は、5年前に金沢地裁で、北陸電力志賀原発の運転差し止めを命じた裁判長(当時)です。井戸さんは、多くの人の署名が、裁判所が集団疎開を命ずる判決を書く上で大きな力になる、とおっしゃっています。

 7月5日に第1回審尋が開かれます。
 署名用紙をダウンロードしていただき、多くの人の署名をお送りください。
 
  ・署名用紙 http://p.tl/X3in

 ※署名の集約は弁護団の安藤弁護士(松本市)が行っています。

 この裁判の今後の情報は「ふくしま集団疎開裁判」のHPをごらんください。

   http://fukusima-sokai.blogspot.com/


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  子どもたちの集団疎開の決定を求める署名のお願い

 1 はじめに
  平成23年6月24日、私たちは福島地方裁判所郡山
  支部に、原発事故からの被ばくから守るため、子ども
  たちの集団疎開を求めて、「ふくしま集団疎開仮処分」
  を提起しました。
  7月5日に債権者に対する最初の審尋の予定が入って
  おります。債権者(申立人)となっている人たちだけ
  でなく、同じ気持ちの人がたくさんいることを示すた
  めに、そして裁判官に勇気を持ってもらうために、署
  名が大変重要な力になります。

 2 署名用紙について
  署名用紙を作成しました。趣旨に賛同戴ける方に、署
  名をお願いしたいと思います。署名用紙をダウンロー
  ドの上、印刷していただき、署名をお願いいたします。
   署名用紙  http://p.tl/X3in

 3 署名の集約先
  次のいずれかの方法でお願いします。

 ・郵送
   〒390-0861 長野県松本市蟻ヶ崎1-3-7
   安藤法律事務所
 ・FAX
   FAX0263-39-0700(安藤法律事務所)
 ・メールに添付
   m-ando@po.mcci.or.jp (弁護士安藤雅樹)

 4 署名が可能な人
  郡山市内、福島県内の方に限りません。全国でも賛同
  いただける方は是非ともお願いいたします。
  また、老若男女構いません。未成年でも構いません。
  学生ならば、例えば「中学2年生です」などとコメント
  欄に書いていただくのも宜しいかと思います。
  ただ、他人の署名を代行することはしないで下さい。
  必ず署名は本人が書いて下さい。

 5 署名の時期
  現在取っている手続は仮処分手続であり、迅速な判断
  が求められます。できるだけ早く、上記集約先に署名
  を送って戴ければと思います。

 6 署名の提出先
  署名の提出先は(署名用紙にも記載したとおり)「福
  島地方裁判所郡山支部」です。
  裁判所提出以外の用途には一切用いません。
  個人情報の管理については厳重に行います。

 7 その他
  是非、コメントを書いて下さい。一言でも構いません。
  長くなる場合は、別紙で書いてもらっても結構です。

 8 問合せ先
  ご不明の点等ありましたら、 m-ando@po.mcci.or.jp
  までお問い合せ下さい。

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 堀 純司
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ありがとうございました。

2011-05-16 | 東北にエール
GWの10日間に行いました「東北の楽し麗し手仕事展」。
ご報告が遅くなりましたが、無事に終了することができました。
ご来場いただきました皆様をはじめ、
開催にあたりご協力いただきました皆さま方に、
この場をかりて御礼申し上げます。
大変ありがとうございました。
また、本当は2日と6日は出勤日でしたが、
何ごとかを察し、休暇を受理してくれました職場の上長にも感謝いたします。


会期終了後、北の匠の会の会長・工藤さんからは

 仕事の方も徐々に形が整い、動けるようになってきました。
 名古屋の○○先生からもお声掛けをいただき、5月10日からの出展と
 6月初めの展示が決まっています。

 多くの方々にご心配いただき、助けていただいて、元気をいただきました。
 これからも、前に進んでまいります。

と、メールも頂き、物作りの環境も震災前とまではいかなくとも、
少しづつ取り戻されているようで安心しました。

また花巻市の工房木偶乃坊・煤孫さんからも
東北のために皆さんが支援くださることへのお礼の言葉が綴られたお手紙を頂きました。
そして当方から送金させていただいた売り上げのなかから、
岩手県へ義捐金として寄付されたことを認めてあり、
ご自分よりもっと大変な方々があるからという「利他」の心。
胸があつくなりました。

今回、ご来場いただいたお客様、作品をお預かりした作家さん、
ご協力いただいた皆様がた。
震災という大変な不幸な出来事で結ばれたご縁ではありました。
しかしながらも稀有なご縁、
これからも末永く大切にさせてくださいませ。
どうぞ宜しくお願いいたします。


おうちに眠っている絵本を、一箱絵本便へ。

2011-04-01 | 東北にエール
いつもお世話になっている絵本とせっけんの店宇吉堂さん。

宮城県石巻と岩手県一関にお友達がいて、
その方達を通じて避難所へ絵本を届けようとされています。
名づけて「一箱絵本便」。

その活動を知って、
うちにある絵本や童話を本棚から取り出してみました。
古いものは中学生のころから、私のそばにあったもの。
ありがとう、本たち。
ちいさなお友達のもとへ、いってらっしゃーい。
本は一生のお友達、心の栄養になるからね。

実際に被災地に向かわれた方のお話をブログなどで目にすると、
画用紙や色鉛筆、くれよんなんかもとても喜ばれたとありました。
幸い、学生時代のものが押し入れにあったので、
これらも一箱絵本便に入れていただこう。

もし、みなさんのおうちに眠っている絵本がありましたら、
宇吉堂さんへお持ちくださいませ。