昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第四章“ざば~~ん”……12.危機からの脱出

2013年07月02日 | 日記

危機からの脱出

大川の堤防が右に大きく曲がる直前、辺り一帯が一瞬白く輝いた。直後には、軽トラの屋根を揺るがす衝撃が襲ってきた。ブレーキを踏むのと同時に、前方を稲光が走る。バリバリという雷鳴の音に目を凝らすと、松が淵の上に屹立している一本杉の先端が赤く燃えていた。驚いた義郎は軽トラを止め、雨の中に出ていった。嫌な予感がした。

それは、義郎に勇気を与え続けてくれた一本杉だった。

 

1962年、義郎が中学2年生の秋、父親が死んだ。事故だった。山に入って間もなくのことだった。

父親は、夏は鮎の漁師、冬は伐採された木を山から下す仕事をしていた。枝が払われた大木にロープを巻き、一人が前方で、もう一人が後方で、肩から体に巻いたロープで方向とスピードをコントロールしながら下していく。その途中でのことだった。木が滑り下りやすくするための枝を木の下に敷いている時、突然動いた大木の下敷きになったのだ。

中学校の校庭で公平や達男たちと遊んでいた義郎は、知らせに来た近所の人を追い抜いて家に走り帰った。

義郎の家は、戦後間もなく洪水の被災者用に市が建てた、4軒長屋の一軒だった。当初は4軒長屋が2~3列並んでいたということだったが、もはや一列が残るのみで、住んでいるのは、2軒だけになっていた。

息せき切って、玄関の引き戸を開けると、入ってすぐの6畳間の真ん中で、弟義和が饅頭を頬張っていた。

「義和!お父ちゃんは~?……お母ちゃんは~?!」

大声で訊く義郎に、義和は饅頭を急ぎ飲み下そうとするが、むせてしまう。饅頭を掌に吐き出し、俯く。

義郎はその姿が悲しく、6畳、4畳半と一気に駆け抜け、台所の土間に飛び降りた。水瓶の水を掬って、柄杓から一口飲む。喉を水がうまく通っていかない。咳き込んでいると、弟の咳き込む音が聞こえてきた。

湯飲み一杯の水を義和の元へ運ぶ。悪戯を見つけられた時の目で、義和は湯飲みを受け取る。「大丈夫か?」と義郎が訊くと、湯飲みに口を付けながら「お父ちゃんが……死んだって……お母ちゃんが……病院に……」と言って、大きく息を吐いた。

傍らに座ると、義和は掌に吐き出した饅頭を口に運んだ。「義和…」と声を掛けると、「本当かなあ、お兄ちゃん」と言った。

翌日夕方、町内会の人たち総出で葬式の準備が行われた。4畳半の片隅に義郎たち兄弟が丸くなっていると、父親は小さな骨壺に入って帰ってきた。

母親が胸にした白い布と骨壺を、義和は目を丸くして見つめ、しばらく動かなかった。

母親は、兄弟と口を交わすこともなかった。

やがて、ささやかな葬式が終わり、慌ただしく片付けも終わって、小さな白い祭壇と町内会の人たちが持ってきてくれたお寿司だけが残った。

「あ、お寿司だ」。小さく声を上げる義和に、母親は「食べていいわよ」と言った。義郎は、空腹は感じていたが、食べる気はしなかった。

「お線香あげてからね」と母親に言われ、義和と一緒に線香に火を付けていると、後ろから嗚咽する声が聞こえてきた。義和の手が止まった。

義郎は、線香を義和に持たせ立ち上がった。母親を見ないように、表に出た。一歩出ると、外は月の光に満ちていた。

月を見ながら、大きく深呼吸をした。大川の方に目を遣ると、坂の途中の脇道から二つの人影が出てくるのが見えた。一人は公平だとわかった。

夏休みの間、大川で泳ぐ度にからかわれていたことを思い出す。今の姿を見られたくないと、義郎は家の引き戸を開けた。

上り框の薄く開いた障子から、母親の背中が見えた。障子に手を掛けると、啜り泣く声が聞こえてくる。中を窺うと、義和を抱きしめて泣いているようだった。その瞬間、義郎の中でぎりぎりまで膨らんでいたものが、突然破裂した。

義郎は、またそっと外に出た。義和の泣き声が聞こえてくる。義郎は、走り出した。二つの人影とすれ違ったが、目もくれなかった。公平の驚いた顔だけが、目の端に残った。

一気に坂を駆け上がり大川の堤防に上がると、正面に月夜の空にのびる一本杉の影が見えた。義郎は、その足元まで走ろうと思った。

一本杉の足元に着くと、次々と松が淵に飛び込んでいく公平たちの後ろ姿が蘇ってくる。目の端に残っている公平が、「お前、飛び込めないのか?」とからかってくる。達男の「誰かに追いかけられてると思え。ほら、逃げなくちゃいけないんだぞ」と後ろに立ちはだかる姿も浮かんでくる。その時、義郎の中で膨らんでいたものがもう一度破裂した。

義郎は、着ているものを次々と勢いよく脱いだ。最後のパンツは、後ろに脱ぎ捨てた。月を見てもう一度深呼吸をする。息を大きく飲んで下を見る。黒い水面に丸い月が静かに浮いている。その真ん中をめがけて、義郎は飛び出した。

空中で一度大きく身体を屈め、思い切り伸ばした。頭に小さな衝撃があったかと思うと、身体は松が淵の底に向かって一気に沈んでいく。その一瞬、“ざばぁ~~ん”という大きな水音が耳に届いた気がした。

静けさの中、ゆっくりと浮上する。身体を包み込む水が、身体に触れているところだけ音を立てているようだ。見上げると、一度形を失った月が、揺らめきながら元の形を取り戻していくのが見えた。その真ん中をめがけて水面に顔を出す。大きく息を吸うと、身震いがした。喉の奥に詰まっていたものが胸の奥深く吸い込まれていくのを感じた。松が淵の岩場に辿り着き、水から上がる。溜まっていた息を吐き出すと、身体の奥で破裂したものの破片がこぼれ落ちたようだった。

 

翌日、学校を休んだ義郎を遊び仲間たちが訪ねてきた。みんな神妙な面持ちだった。できるだけ正面から義郎を見ないようにしていた。が、公平だけは違った。一塊になって帰って行く仲間から離れ一人残ると、義郎の前に立ち、正面からじっと目を見つめてきた。

「夕べ、見たぞ。松が淵に飛び込むのを。カッコよかったぞ。形もきれいだったしな」

そう言って肩を揺すると、くるりと背を向け、前を行く仲間たちを追って行ったのだった。

それは、義郎の最初の危機からの脱出だった。父親の死からの最初の脱出であり、いじめからの脱出でもあった。際どく度を越す一歩手前で止まっていたいじめはなくなり、父親の死後、時々酷く沈んでしまう母親と義和に対応できるようになってもいた。松が淵と一本杉のお蔭だと思った。

そして、二度目の危機脱出が、安原酒造の親方の死後訪れた公平の会社の危機からの脱出だった。それにも、松が淵は大きく関わっていた。

                                                 次回は、7月4日(木)予定           柿本洋一

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981

*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795


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