僕は下から腕を伸ばし、奈緒子を抱きしめようとした。しかし、奈緒子に両手首を押さえつけられた。さほど強い力ではなかったが、その指先には有無を言わせない意思が籠っていた。
僕の腕から肩へ、肩から全身へと力が抜けていく。奈緒子が乗っている腰骨がきしんだ。
「帰る前にちゃんと言って。ねえ、ちゃんと、ね。……私のこと、どう思ってる?これから私たち、どうなるの?ケンちゃんは、どうしたい?」
眼差しがきらめいている。僕の手首を押えている指先が小刻みに揺れる。目を逸らしたい衝動を抑え、奈緒子の目を真っ直ぐ見つめていると、彼女が期待しているであろう答が口をついて出ていってしまいそうだ。
僕は一度生唾を飲み込み、大きく息を吐いた。慎重に言葉を選んだ。
「好きだ、と思うよ。もし、好きだっていうのが、今の僕の気持のようなものだったら、ね。……正直言って、人を好きになるということが、よくわからへんねん。卑怯に聞こえる?聞こえるやろなあ。ん~~~と……」
目を閉じ次の言葉を探していると、身体が急に軽くなった。と同時に「も~~!」と叫んだ奈緒子の頭が、また僕の腕の中にあった。
「説明なんかいらないんだけどな。好きか嫌いか、どっちでもないか、それだけのことなんだけどな」
奈緒子のじりじりとした気分が伝わってくる。“好きだよ。大好きだよ”と言ってしまえば平和なのかもしれないが、それにはどうしても抵抗がある。奈緒子という存在はまだ僕の心の中を転々としていて、どこかにしっかりと居座っているような気がしなかったからだ。おそらく、奈緒子の中で僕もまた同じような存在なのではないだろうか、とも思った
それに、これから二人でどうしたいか、だなんて。まだ僕自身が何者でどこに向かおうとしているかさえ定かではないというのに……。
束の間の心地良さや共感から確かなものを紡ぎ出す術と情熱は、少なくとも僕の中では育成されていない。早熟な奈緒子には、それらを掴み取った実感でもあるのだろうか……。
「私に興味はあるのよね。わざわざ来てくれたんだもんね。ね!違う?」
奈緒子が僕の腕に口を付けたまま、くぐもった声で問い掛けてくる。それに対する答は、はっきりとしている。
「すごくあるよ。……ずっとあったのかもしれないって思うくらい。あの、校庭で見かけた日からかもしれないよ」
「じゃ、いいことにしてあげようかな?」
口を腕から離し、僕のおでこに奈緒子はキスをした。
「こらしめは、終わり?」
ほっとしつつ、でも、どこかに曖昧な不安を抱えながら、僕たちはしばらく見つめ合った。僕はずっと、奈緒子に何か言ってあげたくて言葉を探し続けていた。
奈緒子が時計を見た。身体がピクリと動き、時間が迫っていることを感じさせた。すると、一つ明快な想念が浮かんできた。僕はためらうことなく、それを口にした。
「京都に帰ったら、きちんと学生するね。4年間、きちんと。そうすると、僕にも何かはっきりと言えることが出来上がっていくかもしれないし。その間ずっと観察し続ける根気、ナオちゃんにはあるかな?」
「ある~~。京都に行って観察してもいいんでしょ?」
「そんなもん、大歓迎に決まってるやん」
「それって、付き合おうってことだよね。それも、最低4年間」
「そういうことかな?」
「ケンちゃんこそ、根気ある?」
「勇気はないけど、ね」
「よし!よかった~~~。最初から、そう言ってくれればよかったのに」
奈緒子の顔から陰りが消えた。奈緒子は僕の鼻の頭と瞼を舐め回し、それから乳房を押し付けてきた。息苦しくなり彼女の脇から顔を出すと、頭をぎゅっと抱きしめてきた。
「苦しいよ~~~」
笑いながら言うと、奈緒子の腕にさらに力が籠った。
「好きっていうのはね。こういうことなの~~~」
「わかったよ。わかったから~~~」
と叫びながら、きっと本当にこういうことなんだと、僕は思った。東京に来てよかった、と思った。奈緒子でよかった、と思った。大切にしなくちゃ、と自分に言い聞かせた。
つづきをお楽しみに~~。 Kakky(柿本)
第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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