昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   東京へ、日常へ。②

2010年09月24日 | 日記
朝の光の中、機上から見る日本海は煌めいていた。頭の中に、帰郷の時のような茫洋とした眠気もない。
一泊二日で目にした断片、耳にしたかけらの一つひとつが鮮明に蘇ってきた。しかし、親父のイメージは実体を持って蘇ってこない。浮かんでくるのは、診察室で目にした透明な横顔の輪郭だけだ。
僕の帰省は結局、親父への旅にはならなかったんだ、と思う。いや、始まったばかりなんだろうな、とも思う。いずれにしろ、宿敵癌細胞との闘いは、まだ始まってさえいないのだ…。
そして1時間後、僕は東京に帰ってきた。機内から一歩外に出ると、暖かい風が顔に吹き付ける。東京の現実は、ひょっとすると生温かいものなのかもしれない、とふと思った。
空港内に入ると、いきなり人の波に巻き込まれる。親父の言葉や表情、姿が懐かしく思い出される。不思議だ。飛行機の中では浮かんでこなかったというのに…。
それだけまた遠く離れてしまったということか……。

その日からすぐ、東京での暮らしが、また始まった。多少の変化が生じたかのように思った僕の意識は、たちまち日常に飲み込まれていく。そこには、確かな手掛かりのないまま今と未来を漠然と想う日々が、相変わらず横たわっていた。
20年余り携わってきた、マーケティング、プランニング、広告制作等々の仕事。与件に対する最適解を短時間のうちに導き出していくことをおもしろいと思う時代は、僕の中では既に去っていた。
自らが何者たりうるかを真摯に問い続けていく時代へ、僕は確実に踏み込み、踏み出していた。そして踏み出す一歩の危うさに気付かされてもいた。
なぜなら僕は、自分自身が何をなすべきか、何に向かっていくべきか、そのことに対する最適解を出すことはできていなかったからだ。そのために与件を整理することにさえ、慣れていなかった。
ただ僕が、親父への旅の端緒に付くことによって、少し変わり始めているのは確かだった。
忙しいことが好きなわけではない。あくせくと過分に稼ぎたいわけでもない。それなのに、日常の渦の中に、生きていく核たるべきものを置き去りにし、“何者たりうるか”からも目を逸らし、一日一日をやり過ごす……。僕はずっと、そんな生き方をしてきたんだ……。親父への旅を試みる一年前頃から、僕はそう思うようになっていたのだった。
きっかけは、一人の大切な男の死だった。

60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと等あれこれ日記)

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