昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅  旅の始まり ⑤

2010年09月11日 | 日記
「チェックインしてくるね」と、親父のバッグに入れておいたクラッチバッグを取り出す。このちっちゃなSAZABYのナイロン製バッグがあれば、一週間の旅でもOKだ。
「3時にのお、先生が来んさってのお…」。親父の段取りの再説明が背中から聞こえてくる。「とりあえずは、3時だよね」と、その声に重ねるように制し、「行ってくるね」と病室を出る。「少し、昼寝でもして来い」と親父の声が追いかけてくる。
1階受付脇で、タクシーを呼ぶ。まずは、益田駅前に向かうつもりだ。駅前のビジネスホテルを予約し、住所も調べてあるのだが、行ってみないと場所の特定はできない。駅前から電話をすれば安心だ。
10分ばかりでやってきたタクシーに乗り込む。人懐っこい笑みを絶やさない運転手の、入院患者の見舞客扱いの対応が鬱陶しい。不快なはずのない言葉さえ息苦しく感じるのは、睡眠不足のせいだろう。
駅前まで15分。2100円。降りる時、急に込み上げてきた申し訳なさに、「どうも、ありがとうございました」と声を掛ける。
益田ステーションホテルに電話を入れる。驚いたことにシングルは満室。やむをえず、ツインのシングル利用にする。一泊5300円。料金的な便宜は図ってくれたようだ。
場所を確認すると、目の前。チェックインは3時だが、多少早くても構わないとのこと。益田駅の時計を見やると、しかし、まだ12時前。多少とは言い難い早さだ。
となると、昨晩から固形物の入っていない腹に何かを入れておくべきだろう。ホテルの隣、辰巳寿司には馴染みがある。かつては“僕の家”という大衆食堂だったのではなかったか。親子三人で昼食を取った記憶がある。あの日も強い日差しが…と思い出しつつ暖簾をくぐる。店内、テーブル、椅子、メニュー……。不確かな記憶の向こうから懐かしさが漂ってくる。
鰻の蒲焼定食、1200円を注文する。蒸さずに焼く蒲焼の食感が、懐かしくうれしい。いつもゆっくりの昼食に、意図してさらに時間をかける。じんわりと安心感が腹に溜まっていく。
二杯めのお茶を飲み干し店を出る。1時にもなっていない。暇つぶしを、と辺りを見回す。パチンコ屋の看板が目に飛び込んでくる。駅前の老舗「一銀会館」だ。月の上限額をお袋に管理されながら、親父がよく通った店だ。僕にも小さな思い出がいくつか、ある。
店に入り、やっと出会えた喧騒にほっとする。親父がしていたように上限を決め、人気機種“モンスターハウス”に取り付く。この空間だけ東京と田舎に隔たりがないことに、ほんの少し違和感を感じる。
しかしそんな違和感に浸る間もなく、僕は時間の心配をしなければならないことになった。なんと、大当たり!しかも“確変”に次ぐ“確変”。途中で止めるのもしゃくだと、“確変”が終わるまで打ち続けたところ、ドル箱9箱、56,000円、という釣果となった。親孝行は“考える”ものじゃない、やっぱり“する”もんだなあ、と時間を見ると、3時15分前。チェックインしてから病院、となると遅れる公算が強い。親父に何か買ってやろうと、近くの雑貨屋へ。
用意周到な親父の荷作りに不備はなかったが、気になったのが家を出る時にねじ込んだ水筒だった。子供じみた作りの水筒に、「それ、どうしたの?」と指さして笑うと、「100円ショップで買うたんじゃ」と言った。田舎に100円ショップがあることにも驚いたが、親父が入院用品を200円ショップに買いに行こうと思い立ったことにもっと驚いた。しかしそれにしても、いささか貧相過ぎる。よし、ここは、と4300円の象印保温水筒を奮発した。
ホテルに小走りで向かいチェックイン。部屋に入るとすぐに下着を着替え、身に着けていた下着は洗濯。しっかり絞り、バスタオルで押さえて湿気を抜き、ハンガーに掛ける。
ベッドに腰掛け、タバコに火を付け、ベッドサイドの時計を見ると、3時半になろうとしている。既に遅刻だ。急がねば……。
60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと等あれこれ日記)

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