昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星   26

2011年06月20日 | 日記

夏美さんは、恋に落ちた。そしてすぐに、それがうたかたの恋だと気付いた。しかしだからといって、身を引くわけにはいかないと思った。16歳の少女の心の強さは、遊び慣れたギタリストの想像を超えていた。

「あまり喋らへんし、我儘言わへんし、扱いやすい思うたんちゃうかなあ。彼が気持ちの優しい人やったのも確かやけど……。たま~に苛立ってたけど、手は出さへんかったしなあ。……私も、要求はまったくせえへんかったし。……初めて二晩泊まった夜、“仕事辞めた”って言うたら、目丸くしてなあ、ため息ついてなあ、“そうか……”て言ったから、すぐ荷物…少ない荷物やけど…持って、彼のアパートに行ってなあ……幼な妻よねえ。あ、まだ同棲時代か……」

夏美さんは、柳ヶ瀬の商店で働いた給料を貯金と生活費に回す一方、次々と発覚する彼の浮気を一切詰ることもなく、数ヶ月に1度は、彼の衣装の内ポケットに数千円を封筒に入れて忍ばせたりしていたそうだ。

「帰って来ない、お金を入れてくれない、女の子を連れてくる……一緒に暮らしているはずの男がそんな感じの生活、我慢できないと思うやろう?……でも、そうでもなくて、なあ……私に被害があるわけでもないし、むしろ、私は自由やし……。そっとお金をポケットに入れておくと、反応が面白くて、面白くて……。私なりの付き合い方を作っていくのが楽しくなってきて……。稼ぐのも上手になっていくし……」

16歳の少女にとって、解放感のある生活を捨てる理由などなかった。ギタリストとの初恋は、閉ざされた集団生活から抜け出すきっかけに過ぎなかった。彼は暮らしを変える道具ではあったが、依存する対象ではなかった。夏美さんは、無邪気に淡々と強かった。

やがて17歳の夏を迎え、さらなる高収入を求めて水商売の世界に身を投じて行く頃には、ギタリストの周りの女の影も薄くなっていた。

「そうなってくると、不思議ねえ、なんだかつまらないのよ、ねえ。……奴の夢物語は虚勢と愚痴混じりになってくるし……。奴が家にいる時間が多くなると、ふと危険を感じたりもするようになるし……、ねえ。で、ちょっと避難しよう、っていう時に図書館を見つけて…」

読書習慣とは無縁だった夏美さんは、辞書片手に書物の世界に浸っていく。

「色んなこと説明してもらえるっていいなあ…とか、私もそう思うって思えるのいいなあ、とか思わへん?本読んでると……」

週一日は図書館で過ごすのが習慣になり、一年も経つと、夏美さんの知識と語彙は以前とは比較にならないほど豊かになっていた。

「18歳になった頃やったかなあ……“こいつ、このままにしといたらあかん!”思うてなあ、突然。……私が棄てる訳にもいかへんし、……ずっと気にするくらいやったら、前に進もう、思うてなあ」

夏美さんは、仕事が激減していた彼に、二つの提案をした。一つは、結婚。そしてもう一つが、引っ越しだった。

「チャンスを求めてもがいてくれてる方がましやろ?愚痴を言ったり、女相手に自慢したりしてるより。私も気が楽やし、なあ。結果はええの。結果を出すことをいつも考え、行動してくれてればええの。……内助の功のように見えるやろ?男にとって都合のいい女に見えへん?……違うんやなあ、それが。楽なだけ。私が」

確かに行き詰まっていた彼は、夏美さんの提案を渋る振りをしながら受け入れた。そして10年前、まず大阪へ。1年後には京都へ。と暮らしの場を変えてきたのだった。

おそらく何度も語ったことのある話なのだろう、夏美さんの語り口は淀みなく、飽きさせないものだった。

しかし、小杉さんの姿はまだ見えない。京都にやってきた9年前から今までの間に、どんなことがあったというのだろう。

小杉さんに顔を向けると、三枝君と話し込んで開いた顔を上げ、少し微笑んで顎を夏美さんの方へとしゃくった。「君の気になっていることは、これから聞けるから。大丈夫」という合図のように見えた。僕は改めて尻住まいを正した。

 

     月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/14d4cdc5b7f8c92ae8b95894960f7a02


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