思わず上から下、下から上へと、僕は目を動かしてしまった。和恵のジーパンに黒のノースリーブ姿は、数時間前とは別人のようだった。
「また気持悪くなるわよ」
僕の目が合うと、和恵は微笑み首を横に振った。後ろに束ねていた髪は下ろされていた。ノースリーブの肩に触れるか触れないかのところで2~3度揺れた髪に、僕は和恵の女を感じ、しばし目を離すことができなかった。
「面倒見よかったやろ?!和恵」
上村越しに首を伸ばし、小杉さんが声を掛けてくる。
「助かりました。……すっかりお世話になってしまって……」
「シャツとジーパン、洗うてもろうたんやろ?」
「……ええ、まあ……」
事の詳細は、和恵から小杉さんにもう伝わっているようだ。小さな不快感とぼんやりした疑いが、僕の中で頭をもたげる。この不思議なつながりの核にあるのは何なんだろう。確立されているようでもたれあう個と個……。彼らをつなぐ引力は一体どんなものなのだろう……。
「今夜は、昨日ほど飲めへんやろう。まあ、僕らもおるし、飲ましたってもええんちゃう?なあ、和恵」
「いや、私はかまへんけど……。昨夜は、柿本君、苦しかったやろう?」
「……そうでも……。憶えてへんし……」
「“自分が大切なだけやんけ~~!”て、2~3回怒鳴ってたよ。“傲慢や~~!傲慢でええのか~~?”とも……」
「そんなこと言うてたん?僕。……ほんまに?」
「革命について論争したからやろう。……いや、論争ちゃうな。立場の違いをぶつけあったからないかなあ、俺と。それが残ってたんやろう、意識の底に」
カウンターに頬を付けるようにして、今度は上村の顎の下から小杉さんが言う。
「俺は、みんなによく言うんや。“変えることに情熱が持てない奴は、去れ!変えないことにこだわる奴は、倒す!”って。な!小杉さん」
上村が、右手の人差し指を立て、なぜか勢い込む。小杉さんは、上から飛んできた唾を払いのける仕草をして顔を起こし、微笑みながら上村の肩を叩く。上村の言葉は小杉さんの言葉だ、と僕は思う。
「ここでアジってどないすんの?ケンちゃん、笑うてはったよ。また始まったいう顔してなあ、なあ、ケンちゃん」
初めて聞く声に顔をカウンターの中に向けると、そこには夏美さんがいた。忽然と現れたように思えたが、入り口のすぐ右にある扉を素早く開けて、人の影がカウンターの中に入って行くのを感じたような気もする。いずれにしても、どうもこの店は黒ヘルの溜まり場以上の存在のようだ。
「山の上から大きな岩を転がす時は、最初の一転がしが大事なんや。考えてたら、動かす力は出えへん。転がり始めたら、ほら、……そう、一気呵成や!邪魔する小石は排除しとかんと。なあ。力も無駄になるやろう」
声を抑えて、上村が続ける。時々、夏美さんを見る。彼女の小さな頷きに押されて次へと進んでいるようにも見える。
僕は、少し意地悪な気分になり、「その大きな岩、どこに行くんですか?」と訊いた。
「……概ね目指した所に行けばいいんや。大きな岩が山にあることが、問題なんやから」
一瞬、目を小杉さん、夏美さんと動かしてから、上村は答えた。質問への答にはなっていなかったが、それを追求することは控えた。
「たくさんの虫や動物を潰して転がるんでしょうねえ」
代わりに僕は、夏美さんが出してきた一皿のピーナッツを受け取りながら、感想を述べるように呟いた。
するとまた、上村の声が大きくなった。
「犠牲は付き物や!そんなもん!しゃあないやろう、大きな岩を動かすんや。そんなもん!しゃあないわ!」
僕は小さく首をすくめ、ケンちゃんから次のジンライムを受け取った。夏美さんの目とぶつかった。その目線に、僕は彼女の存在の意味と大きさがわかったような気がした。
和恵は僕の右に立ったまま、グラスを傾けていた。油断ならないぞ、と僕は思った。
* 月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。
第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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