昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   33. そして、ざわめきの始まり

2013年02月19日 | 日記

 そして、ざわめきの始まり

「いつも、手紙ありがとう。ちゃんと学生してるんだね」

腕を組み、黙って数十メートルを歩くと、奈緒子が言った。その笑顔と言葉には気遣いが溢れている。期待外れの気を取り直し、逢えた喜びを大切にしようとしているように見えた。

「うん。十分やないけど…」

自分の独りよがりに、僕は口籠る。

「いいの、いいの。約束は守ってくれてるんだし」

僕の腕にぶら下がり直した奈緒子の足が軽やかになる。

その気持ちに何とか応えようと思うが、僕の頭の中は白くなったままだ。

「お腹空いてない?」

まずは食事から始めようと、訊いてみる。“Big Boy”にも、8時までには行かなくてはならない。

「おにぎり食べたから大丈夫。……謙ちゃんは?ちゃんと残してあるんだよ。食べる?」

「おにぎり持ってきたんだ。えらいやないの」

旅館の一室に落ち着き、バッグからおにぎりを取り出して微笑む奈緒子の姿が目に浮かぶ。「喫茶店で食べると怒られるしねえ。どうする?」

「市電の中で食べるわ。三条河原町まで行こう。バイトあるし。知り合いの店にお願いしてあるし、そこで待っててもらえへんかなあ」

覚悟は突然決まった。今更予定の変更を試みたとしてもうまくいくわけもない。決めていた通りに行動し、その一つひとつの過程をしっかり奈緒子と楽しむしかない。

「店もママも気に入ってくれる思うんやけど…」

「店を予約しておいてくれたんだ。いいよ。待ってる」

奈緒子の声が弾み、腕に絡んだ両手に力がこもる。

「じゃ、行こうか」

少し安堵した僕の足も軽くなった。

 

おにぎり2個を食べ終える頃、三条河原町に到着。年の瀬の人ごみの中を“ディキシー”に急いだ。

夏美さんと柳田の歓迎を受け、奈緒子はカウンターの奥に腰を落ち着けると、「行ってらっしゃ~~い」と僕に手を振った。お互いに感じたはずの京都駅でのつまずきは、もう解消され、わくわくする時間を取り戻したような気がした。店を出る前に振り向くと、カウンター越しに夏美さんが奈緒子に話しかけている姿が見えた。安堵は深まった。

7時半過ぎ、“Big Boy”のドアを開けると、マスターの渋面に出くわした。「おう。今夜は異常やで」の言葉通り、店内の混みようは大変なものだった。

「明日もう一日やってる、いうのになあ」

トレイにコーヒーカップを乗せられるだけ乗せて、マスターが滑るように店内を移動していく。

7時台からこれでは、少し早引けを、という甘い期待はできそうもない。しかし、忙しいのはむしろ歓迎だ。12時までの4時間余りは、瞬く間に過ぎ去ってくれることだろう。

後は、山下君や上村に出くわさないことを願うばかりだ。

10時過ぎ、薄く開いたドアから顔が覗きすぐに閉められた時だけ、桑原君ではないかと気になったが、それ以降は来店客はわずかになった。モダンジャズが鳴り響き、話し声もなくなった店内は、いつもの風情を取り戻すと、カウンターの陰で一服していたマスターが「彼女、無事着いたんやろ?」と顔を出した。

「ええ、まあ」と答えると、「なんや、うれしそうちゃうなあ。何かあったんか?」と訝しがり、「どこかで待ってはるんやろ?11時になったら帰ってええで」と言ってくれた。

気遣いはありがたいが、12時まできちんと働かなければ奈緒子を待たせている意味はない。

「大丈夫です」とテーブルを回り、片付けられるものは片付け、洗い場に入って洗い始めることにした。

動きが止まると、京都駅でのつまずきが思い出されてならない。僕はずっと独りよがりで、門を開け待ってくれていたのはいつも奈緒子だったことに気付かされたような気分だった。

奈緒子の心に踏み込み理解し、そこからもう一度僕の心の在り処や行き場所を組み立て直さなくてはならないと思った。

じっくり、しっかり、今夜は話をしよう。空いてしまった時間と隔たれていた空間を、抱き合うことで一気に埋めようとするよりはいいはずだ。

そう考え始めると、僕が立てていたプランはあながち悪いものではないように思えてきた。そして、早く奈緒子の隣に尻を落ち着けたいと思った。

11時の早引けは固辞したものの、11時半、店内の客が10数名になってくると、はやる気持ちが抑えられなくなった。

「もう大丈夫やから、彼女のとこ行き」

僕のそわそわを見て取ったマスターにそう言われた時は、もう身体はドアの方を向いていた。「ありがとうございます」と言いつつ急ぎ、小走りに“ディキシー”を目指した。

勢いよく“ディキシー”のドアを開けると、店内の客はまばらだった。

奈緒子は同じ場所にいた。ドアベルの音にこちらを見た顔が、遠目にも少し酔っていた。同時にこちらを見た柳田が、直前まで奈緒子と向き合っていたように思えるのが気になった。

隣に座り「待たせたねえ」と声を掛けると、「お帰り~~」と大きな声が返ってきた。しなだれかかられ、ストゥールから落ちそうになる。

夏美さんが現れ、「楽しそうに待ってはったよ~~」とジンライムを置いてくれる。

「ありがとうございます」と一礼したが、心はどこか穏やかではない。

グラスを持つと「乾杯!」という声が耳元でした。グラスを持ち目を上げると、奈緒子がグラスを掲げているのは僕に向けてではなく、柳田に向けてだった。

次回は、2月21日頃を予定しています。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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