昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   32.奈緒子との夜の始まり

2013年02月15日 | 日記

奈緒子との夜の始まり

夏美さんの快諾を得て、奈緒子と過ごす二日間に心配なことはなくなった。よし!と部屋に戻ると、頭の中に一日中あった奈緒子の存在感とは無縁の空間がそこにはあった。奈緒子を受け入れるための最低限の、そして二人で過ごす基本となる環境を僕は用意できていないんだ、と思った。途端に、僕の中にいる奈緒子が消えていきそうな気さえした。

持ち歩いていた奈緒子からのハガキをポケットから取り出し、コタツに入った。ハガキの皺が、その日一日の僕の行動の無意味さを表しているようだった。一緒に泊まったら、という夏美さんの申し出を断ったことが悔やまれてならなかった。

しかし、コタツのぬくもりと朝の光のお蔭で、翌朝の目覚めは晴れやかだった。コタツの上のハガキをもう一度読んで、思い直すこともできた。そうだ!僕と奈緒子はまだ始まったばかりじゃないか。これから何度も、話し、抱き合い、お互いを深くわかりあっていく、その端緒に着いたに過ぎない。一日や一晩に思い悩むより、これからを考えよう。

そう一旦思い込むと、それからの一週間は、軽やかだった。次第に、身体も心も浮き足立っていった。“Big Boy”では、オーダーミスが増え、“ディキシー”では、夏美さんに、お願いしたことの確認を繰り返した。

そして、いよいよ明日という夜、見かねたマスターに“休んだらどうや?”と言われたが、気恥ずかしくて断った。すぐに後悔はしたが、“ディキシー”で待つ奈緒子の存在を感じながら働くのも悪くないと思った。

 

そして、遂に12月29日はやってきた。自分の居場所を定めることができず、僕は朝から街を歩き回った。想定した奈緒子と過ごす時間と空間を何度も反復した。無性に喉が渇き、午前中の間に、コーラを3本も飲んだ。

午後2時には、もう京都駅にいた。駅の待合所は、帰省する人たちの群れが醸し出す軽やかで穏やかな興奮に満ちていた。家庭の匂いも満ちていた。嵐山電鉄の車窓から見たオレンジ色の窓の一つ一つが運ばれてきたようだった。東京に行く時の待合所にあった疲労感や気だるさは微塵もなかった。

僕は端っこのベンチのそのまた端に座り、時間潰しにタバコを喫い続けることにした。しかし、3時になる前に、タバコはなくなった。売店に行き戻ると、幼い兄妹が僕のいた場所に座り、パタパタと両手でタバコの煙を払っていた。

待合所を出て、灯りの点いた京都タワーを正面に新しいタバコの箱を開ける。火を点けて目を上げると、京都タワーを小さく感じた。最初に京都に降り立った時の違和感はなかった。どんな存在でも、より大きな存在に取り込まれていくんだなあと思う。少しだけ悲しかった。

駅の構内に戻り、入場券で新幹線のホームまで行ってみた。山陰本線のホームに並ぶ帰省客の列に紛れ込み、故郷の訛りを探すふりもした。観光案内所にいたデイパックのカップルの横でパンフレット類を次々と手に取り、身軽な観光客を装ってもみた。駅を出て、近くのグランドホテルまで行ってもみた。が、やっと5時を過ぎただけだった。これでは寝場所を定めるまでぐるぐる回る犬のようだと、居場所を待合所に決め、残り1時間を過ごすことにした。

しかし、30分もするといたたまれなくなり、改札口が見える場所に移動した。改札の真上の時計を見つめていると、1分を刻む針の音が聞こえてくるようだった。

そして遂に、突然奈緒子は現れた。6時5分前だった。意表を突かれ、奈緒子が改札を通り過ぎるのに間に合わなかった。

「き、た、よ~~~」

階段を駆け上がり駆け下りしてやって来たのだろう、奈緒子の声が途切れる。僕は言おうと思っていたいくつかの言葉をすべて忘れ、ただただ微笑む。

「待った?」

「5~6分かな」

「ちょっと遅れたんだけどね、新幹線」

「ハガキには6時って…」

「ちょっと遅めにしておいた方がいいでしょ?そう思って…」

「よく来れたね」

「京都を通るのに降りないなんてもったいないじゃない?」

「うん。ありがとう……」

語りかける言葉が出てこない。奈緒子の両腕が僕の右腕を巻きこむ。肘にぶら下げたバッグが一歩毎に腰にぶつかる。

「あ、ごめん」

バッグを持ち替え、奈緒子が立ち止まる。

「バッグ、置いてからにしようか」

僕は、言葉の意外性に立ち止まる。

「ね!宿は何処なの?」

見上げる奈緒子の微笑みに、僕は一瞬にして混乱する。宿を取ることなど、考えてもみなかったのだ。言われてみればそうだ。なぜ、その選択肢が浮かばなかったのだろう。懐具合と費用を秤にかけることさえ、僕はしなかった。

「予約できなかったの?……年末だもんねえ」

僕の戸惑いを見てとった奈緒子は、一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに僕を慮るような台詞を吐いてくれる。

「バイトあるし……」

口籠りながら、僕は暗澹とした気分になる。奈緒子が求めていたのは、京都の街や名所旧跡を案内することではなく、ただただ僕だけだったんだ。その想いのうれしさと、それを計り知ることができなかった僕の不甲斐なさに、僕は身悶えした。夏美さんの“一緒に泊まる?”という言葉が思い出された。あれは、僕に奈緒子が求めているものを気付かさせるための言葉だったのかもしれない、と思った。

一週間前からやり直したい、と思った。いやむしろ、やり直せるならもっと前からやり直すべきだ、と思った。“僕は、君にはいつも門を開けている”と書いた言葉が恥ずかしかった。そして、つまずきから始まった奈緒子との夜が、不安なものになっていた。

次回は、2月18日頃を予定しています。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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