昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   31.奈緒子のための準備

2013年02月09日 | 日記

奈緒子のための準備

5日後、奈緒子から早々と返事が届いた。文面は弾んでいた。

“ハガキ、ありがとう!28日、6時、京都駅!新幹線の出口で待ってて~~!来れる?来れるよね。早く会いたいな~~~~~!あ、6時は午後6時で~~す!”

文末にはイチゴのスタンプが押してあった。大学は冬休みに入り、バイトだけの日々になっていた。ハガキをデニムのコートのポケットに入れ、少し前借りをしたバイト代を持って、僕は街に出た。奈緒子が来る前に、一緒に過ごす時間を組み立てておきたかった。

ハガキには京都を発つ日は明記されていなかったが、29日か30日であろうと判断していた。

朝、昼、晩、それぞれ2回の食事をどこでするのか、費用はどの程度を覚悟しておけばいいのか、懐具合と相談しながら決めておかなくてはならない。下宿が女人禁制であるため、丸一日を街中で過ごすことになるだろう。二人で過ごすための場所も想定しておかなくてはならない。午後6時に着くとなれば、28日は京都駅からさほど遠くない場所で食事ということにすべきだろう。京都の代表的な観光地も行ったことがない。案内できるだろうか………。“僕はいつでも、君には門を開けています。”と書いた自分の言葉に、追い詰められているようだった。

京都駅に行き、京都タワーを正面にして考えてみることにした。初めて京都にやって来た男だと、自分を想定した。すると、山下君を思い出した。愚直なまでの行動力が彼の道を切り開いたことに気付いた。

観光案内所に行き、パンフレットを次々と手に取った。食事のことは後回しにして、観光案内をすることに目標を定めた。パンフレットをその目で見ていると、すぐにプランが浮かんできた。

まず徒歩で西本願寺へ。次いで、市電で四条大宮へ行き嵐山電鉄に乗る。北野白梅町駅から徒歩で金閣寺へ。奈緒子が望めば、東映太秦映画村に立ち寄り、嵐山電鉄で四条大宮あで引き換えし、市電に乗る。望まなければ金閣寺を出たら、そのまま市電に。ここまでが、京都の西側。その間に昼食。後は市電を乗り継ぎ、銀閣寺へ。寒さがそれほどでもなければ、哲学の道を歩いて南へ下り、できれば南禅寺を終点とする。その途中、休憩がてら喫茶店へ。これが、京都の東側。移動中の電車や市電の車窓から京都の街並みを楽しむこともできる。寒さも気にせずにすむ。車内で、あるいは並んで歩きながら、会話も弾むことだろう。よくできたプランだと思った。奈緒子のためというよりも僕自身の好奇心に突き動かされ、早速京都駅を出発してみることにした。午前11時になる直前だった。

 

京都駅~西本願寺~金閣寺と行程は順調だったが、想定した以上に時間がかかった。ただ、初めての観光地巡りの新鮮さに、田舎を離れて以来の興奮を感じていた。一つひとつ行くべき場所を決めて辿っていき、確かに到着すること。行き着いた場所で新しい発見に確実に出会えること。その確かさと心地よい刺激が、僕のこれまでの数年間が平板なものだったことを思い知らせてくれたような気さえした。

東映太秦映画村にも行ってみたが、時間とお金が気になり、入り口で引き返した。太秦駅に戻る道すがら、古民家風のうどん屋を見つけ遅い昼食を取った。店を出る時には、午後4時になろうとしていた。奈緒子と語らいながらの道程を想定し、ゆったりと進めてきたとはいえ、よくできているはずのプランは現実的なものではなさそうだった。

京都の東側観光は諦め、“Big Boy”へと向かうことにした。立ち並ぶ民家やアパートを縫うように走る嵐山電鉄の車窓から、後ろへゆっくりと流れていく景色を見ていると、東京で中央線の窓から見た風景を思い出した。夜の東京には、巨大な人を集める装置から煌々と光が漏れていた。それは、今目にしている光景とはまるで異なるものだった。

両側に迫る民家群は、落ち始めている日の光を浴びてオレンジ色に輝き、人の暮らしの息遣いと温かさを感じさせた。一つひとつの窓がやがて、一対の男女が作り育む巣のように思えてきた。こうしてセルを確保し、その中を自分たちの匂いとぬくもりで満たす行為が小市民的と言うのであれば、それは否定すべきものではなく、見守るべきものではないか。

四条大宮に着く頃には、あたりのオレンジ色は暗さを増していた。そうだ、今日は冬至なんだ。と、その時気付いた。

 

「おう。ちょっと遅かったなあ」

時間通りに“Big Boy”に着くと、マスターの残念そうな顔が出迎えた。電飾看板をコンセントにつなぎながら、「友達いう人が訪ねてきはってなあ。“ちょっと待ってもろうたら、来ますよ”言うたんやけど、帰っていかはったわ」と言う。

「名前、言いませんでした?」

「訊いたんやけどなあ。言わはらへんかったわ。“また来ますわ”言うてはったから、後で来はるんちゃう?」

まさか、小杉さんであるはずはない。山下君だったら名乗らないはずがないし、顔認識能力の高いマスターが気付かないわけはない。誰なんだろう…。

気にしつつマスターの後を追うように店に入り、準備を手伝いながら質問を繰り返した。

「どんな格好してました?」

「上はジャンパーやったかなあ。下はジーパンやったわ」

「メガネしてました?」

「いや」

「背は高かったですか?」

「そうやなあ……」

「僕とでは、どうでした?」

「一緒くらいちゃうか~~」

開店準備の邪魔になりそうなのでそこで止めたが、見当もつかなかった。

「また絶対来はるて」

近い声に振り向くと、マスターの笑顔があった。「はい!」と返事をして、僕はテーブル拭きを念入りに続けた。

その夜は、忙しかった。来店客は引きも切らず、休憩を取る時間もほとんどなかった。ドアが開くたびに“友達”かと注意して見るのも、やがては忘れてしまうほどだった。

12時。店内にはまだ10人以上の客が残っていた。“上がり”の時間とはいえ帰るわけにもいかなかった。すでに音楽は止まり、カウンター近くの席で議論を続けている3人の声が響いていた。マスターは得意のウィンクで“帰っていいよ”と合図してくれたが、3人が帰るまでは残ることにした。

議論の内容は不毛だった。アルバート・アイラーとジェレミー・スティグに関するそれぞれの評価の正当性をぶつけ合っているだけだった。

内ゲバと同じだなあ、と思った。10分待って声を掛けるとあっさり議論は終わり、談笑しながら3人は帰って行った。

後を追うように店を出ると、彼らの姿はもうなかった。僕の足はごく自然に“ディキシー”へと向いていた。

ドアを開けると、すぐに“友達”と目が合った。桑原君だった。怒りの混ざったうれしさが一気にこみあげてくる。

「何してたんや?」

跳ぶように近づきなじると、桑原君は不愉快そうに顔を歪めた。

「ちょっと潜ってたんや。考えるところがあってな」

「君が消えた、言うて京子が…」

「京子は関係ない!あくまでも、俺の……。今度きちんと話すわ。今は、時間ないし」

苛立ちを隠さない桑原君を見るのは初めてだった。心の中で“井戸水、井戸水”と念じながら、僕は黙って彼の横に座った。

「バイト、忙しかったん違う?なんや今夜は、ウチも忙しゅうてなあ」

夏美さんが、ジンライムをカウンターに置く。

「すまん。俺、帰るわ」

僕が夏美さんに会釈してグラスを持った途端、桑原君が席を立つ。

「また会えるんやろ?」

声を掛けると、「いつとは言えへんけど、またここにでも来るわ」と振り向き、そそくさと出口へ急いでいった。

「またいらしてね~~」

明るく送りながら、夏美さんは僕に苦笑いをしてみせる。

「何があったんやろう。えらい不機嫌でしたねえ、桑原君。ママ、知ってはるんでしょ、あいつのこと」

小杉さんに心酔していたはずの桑原君のこと、“ディキシー”に来たことがないはずはない。

「2~3回やろか?来はったの」

「そうですか。今日、夕方に“Big Boy”に尋ねて来てくれたの、桑原君や思うんですけど、何か言ってませんでした?」

「聞いてないなあ。10時頃来はって、ほとんどな~んも喋らんと。お酒も1杯だけやし」

「そうですか~~。何があったんやろう」

二人で首をひねっていると、キッチンから唐揚げとフライドポテトを持って現れた柳田が、「照れてはるんちゃいます~?」と言った。

ウェイトレスに渡し終わるのを待って、「何か聞かはったんですか?」と身を乗り出す。

「ぽつんと座ってはったから、声掛けたんですわ。そしたら、僕は始めてやから話しやすかったんちゃいます?少しだけ話してくれはりましたわ。なんか、一週間ほど前に京都に帰ってきはったみたいで、知り合いに全然会われへんので、昔住み込みしてたとこ行って、やっと一人会って、そこで辞めた人の住所聞いて……みたいなこと言うてはりましたよ。昔の知り合いに会いたがってはるように、僕には見えましたけど…」

それでわかった。“Big Boy”に僕を訪ねて来てくれたのは、間違いなく桑原君だろう。山下君に聞いてやってきたに違いない。

「どこから帰って来たんでしょうねえ。何か言ってませんでした?」

「ちょこっと聞こうとしたんですけど、えらいきつい顔して睨まはったんで止めときましたわ。照れくさいから難しい顔してはったんや思いますよ~」

桑原君の1年は謎のままだが、きっと傷つき帰ってきたのであろう。次に機会があれば、彼が語り始めるのを静かに待とう、と僕は思った。

そう思わせてくれたのは、柳田だった。彼の指摘は的確なように思われた。彼が話すことで、僕の疑問や不信感を軽減してくれたのも確かだった。嫌味がなく淀みない彼の話術は、学生のものではなかった。その聞く力、伝える力のしなやかさは、水商売で鍛えられたものに違いなかった。

「黒ヘルのみんな、ばらばらになってもうたねえ」

柳田がキッチンに戻ると、夏美さんがぽつりと言う。

「黒ヘルだけやない、思いますよ。学生が罹る熱病のようなものだとは思いたくないですけどねえ」

「そう言えば小杉君、“恋愛は麻疹みたいなもんや”言うてたよ。“一度罹って免疫つけておかんとえらいことになる”いうて。生意気やろう。自分かてろくに恋愛したことないくせにね」

話題の転換を図った夏美さんの言葉に、奈緒子と僕を重ねてしまう。お互い初めての恋愛なのだろうか?僕は麻疹に罹っているだけなのだろうか?

「そうだ!ちょっとお願いがあるんですけど……」

急に、奈緒子と僕が夜を過ごす場所のことを思い出す。29日はバイト最終日。大掃除もあり、休むわけにもいかない。奈緒子には“ディキシー”で待っていてもらうのがいいと思っていたのだ。

事情を話すと、夏美さんは快く了承してくれたばかりか、奈緒子を自宅に宿泊させることまで申し出てくれた。

「でも、二人一緒がええんやろう?あんたも一緒に泊まってええよ」

夏美さんに顔を覗き込まれ、僕は大慌てで首を横に振る。

「いいです、いいです。そんな~~。いいですよ。奈緒子をよろしく、お願いします」

頭を大袈裟に下げながら、夏美さんと一緒に過ごす時間は、奈緒子にとっても貴重な経験になるに違いないと思った。

 

次回は、2月12日頃を予定しています。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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