昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   29.変化の予感

2013年01月29日 | 日記

変化の予感

「びっくりしたやろう」

にんまりしながら上村は、僕と山下君の間に割り込んでくる。やむなく席を譲り、左の席へ移動した。

席に落ち着きバーボンをオーダーすると、「これがほんまの俺やねんで」と顔を向けてくる。「俺、黒ヘルに入ってたけど、学生違うんや。学生いうことにしてたけどな」

なぜか自慢そうに、鼻の穴を膨らませる。驚きはない。

「ま、偽学生やったんやけどな。ほれ、今回のことがあったやろう。パトカー襲撃事件」

潜めた声に山下君が反応し、前を向いたまま身体を少し左に傾ける。

「小杉さんに隠れるよう勧められて、こんな格好になってるんや」

「仕事してんの?」

「元々訪問販売してたんや、俺。上村さんと知り合うた頃は。会社回って人名事典売ってたんや。名前載せたげる言うてな。ちょっと詐欺っぽいんやけどな」

弱小企業のオーナーたちのプライドをくすぐり、営業活動を助ける道具になると動機付け、掲載料数万円から十数万円を手に入れようという商売。黒い厚紙の表紙に“関西著名人録”と金で印字されていて、発行元が○○経済研究所とか○○商工リサーチとなっているから、経営に行き詰まり感を持っている経営者ほど話に乗ってくるという。

「小杉さんの実家、印刷会社やってたやろう。訪問リストに載りやすいんやなあ、印刷会社は。それで会ってしもうたんや」

上村が訪問すると、小杉さんはすぐにその怪しさを見抜き、上村を喫茶店に連れて行った。

「親父さんが自殺したこと、印刷会社はお袋さんが継いだけどもうあかんやろういうこと、親父さんは濡れ衣着させられたいうことなんかを静かに喋って、これから悪と闘うんやけどそっち側におったらあかん言うて説教されてなあ。年訊いたら、俺の下やんか。まだ20歳言うやろう。おもろいやっちゃなあ思うてなあ、それからや」

「今はどこにいはんの?」

「それはわからへん。知ってても言われへんけどな。逃げてはるのは確かや」

僕の左前方で夏美さんが聞き耳を立て、山下君はもう遠慮することもなく上村を見つめている。

「逃げてはるいうことは……」

南九条で起きたパトカー襲撃事件に関与していたということか。

「あの事件やろう。誰かてそう思うわなあ。俺は、止めたんやで。誤解されるから損や、言うて」

胸を撫で下ろしながら夏美さんを見ると、胸に手を当てやはり安堵の表情を浮かべている。

「あの事件、警官が一人死んでるやろ?疑われるだけでも大変なことになるで。損やで、動くだけでも」

死者が出ているとは知らなかったが。であればなおさら、小杉さんが関わっていたとは思えない。

「殺されたの?警官」

「いや、火炎瓶を投げ込まれ大やけどをした警官が、結局助からなかったらしいんやけどな。火炎瓶用意して、俺たちに声もかけずにて、小杉さんがやることや思わへんやろ」

「ありえへん!」

僕が全力で否定すると、夏美さんが同調した。

「優しい人やもん。言うことは過激やったけど…。激しい正義感は強い憎しみの温床や、て、自分で言うてたし。手先にされてる人間を憎んだらかわいそうや、言うてたし…。なあ、上村さん」

「たしかに。よう言うてはった」

夏美さんの視線を避けながら、上村は2度3度うなずく。

「だったらなんで?なんで、逃走してはるんやろう?」

二人に交互に問い掛ける。逃走の理由が全く見当たらない。

「誰か守ってはるとか……。犯人知ってはる、いうことありませんか?」

山下君の一言に、3人の視線が集まる。その可能性は考えてもいなかった。

「しかし、犯人がわからへんのやから、小杉さんと知り合いかどうかも見当つかへんなあ」

「パトカーを襲撃しそうなグループで、小杉さんと近かったというのは?」

「どうやろう。親身になって相談に乗ってた人でも思い出してみようか?」

三者三様に手掛かりを求め始めたが、思い当たる節はない。

「僕、帰りますわ」

しばらくの沈黙に、山下君が立ち上がる。

「まあ。置き去りにしてたわねえ。ごめんなさい。またいらしてね」

夏美さんは、勘定を払おうとする山下君に顔と手を大きく横に振り、腕を握って押しとどめる。

「柿本君、帰らはるみたいよ」と言われ時計を見ると、3時になろうとしている。

山下君を追いかけ、店の前で「ごめんな。せっかくやったのに。泊まるとこあるの?」と訊くと、御所の近くに同級生のアパートがあると言う。工房の仕事も、山下君は一泊で帰省したことにして、姉弟子が代わってくれる手はずになっているらしい。再会を期して別れたが、その後姿と足取りは、僕から逃げ去っていくように見えた。

“ディキシー”に戻ると、音楽の消えた店内には、奥の席に額を寄せ合っているカップルが見えるだけ。上村の姿も消えていた。

「あと1杯だけ、飲まへん?」

ストゥールの夏美さんがグラスを掲げている。

「お先で~す。ごゆっくり~~」

柳田が僕の横をすり抜けていく。

「話、聞いたげてくださいね」

ドアを閉める直前振り向き、小声で頼まれる。指を丸めオーケーしたものの、一旦触れた外の風に心は冷えてしまっている。

躊躇していると、奥のカップルが帰り支度を急ぎ始めた。グラスの氷の音に聞き入っていた夏美さんは、いつものママの対応で送り出す。

「もう1杯、つきおうてくれへん?」

腕を引かれ、やむなく元いた席に腰を下ろした。

「上村君、“離れて見ると、まるで嘘の世界にいたような気いしますわ”言うて帰らはったわ。そんなもんやろうけどね、なんかつまらへんなあ」

隣に腰を落ち着けると、夏美さんはぽつりと言った。

「でも、僕も同じこと考えてました。僕ら誰でも簡単にそうなるから、しょっちゅう会ってないとあかんの違います?」

自分の口から出た言葉が気恥ずかしく、グラスに口をつける。

「ガクさんも言うてはったわ。男女の仲のことも世の中って言うやろ、それは二人でも大勢でも一緒に暮らすコツは一緒やからやと思う、て」

口を付けたまま夏美さんの言葉を聞いているうちに、1杯の約束のグラスを飲み干してしまう。

「あら?1杯じゃ足りひんみたいやねえ」

「いや、もう十分ですわ。それより、小杉さんのことどう思わはりました?」

「私、お友達が言わはったのが正解のような気いするのよ。あの人、絶対事件を起こしてない思うし」

帰ろうと浮かしかけた腰をもう一度下ろす。

「どこ行かはったんでしょうね。手紙くらい出せそうなもんやろう、思いますけど」

と言って言葉が止まった。手紙出すのもままならない所、ということはないか……。外国

「小杉君、いなくなる1週間くらい前やろか、こんなこと言うてたんよ。“敵が絞られへん。敵を明確にせんと、過激な思想だけが暴走して、みんなが傷つくことになりそうや”いうてな。で、2~3日前かなあ、いなくなる。“みんなよりも一人や。思わへんか?一人やったら、敵は仮説でもええんかもしれへん”とも言うてたなあ。ちょっと怖い話やなあ思うたから、よう覚えてるんよ」

ウィスキーのボトルを持って来る数歩毎に立ち止まり、夏美さんは小杉さんの言葉を正確に思い出しては口にした。

グラスの口を手で押さえながら聞いていると、出口が見えなくなってきた小杉さんの苦しさと切なさがわかるような気がした。

「人が好きな人なんですよねえ、小杉さん、本質的に」

「そこがええとこやもんねえ、あの人の」

僕にウィスキーを注ぐのを諦め、夏美さんは自分のグラスを溢れんばかりにする。

「お互い、明日がありますし、今夜はそろそろいうことにしませんか?」

山下君、上村、そして僕と、図らずも席を同じくした3人が一人ずつ席を立っていった後、“ディキシー”に残される夏美さんの背中を、僕は想った。

「暑苦しいなあ思うてたけど、黒ヘルの人たちの絆。切れてしまうのは寂しいもんやねえ」

そう呟いた夏美さんの横顔に、初めて痛烈に年上の女性を感じた。

 

店を出て、鴨川沿いを歩いて帰った。自室の引き戸を開けてコタツに潜り込もうとしたら、足が滑った。足元を見ると、ハガキだった。拾い上げ電球をひねると、奈緒子からのものだった。クリスマスカードだった。

ちょっと早く着いてしまうと思うけど…。Merry Christmas!

手紙、面倒臭かったんじゃなくて、我慢してたんだよ、書くの。

お知らせです。12月29日。帰省の途中、京都に寄ります。よろしく、お願いしますね。

細かいことは、また後で。到着時間とか、ね。

とあった。僕を襲っていた眠気は一気に覚めた。“ディキシー”でのことも吹き飛んでいた。

 

次回は、2月1日頃を予定しています。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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