昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   28.黒ヘルの行く末①

2013年01月23日 | 日記

黒ヘルの行く末 ①

“ディキシー”までのわずかの距離を山下君と肩を組んで歩いた。心が弾んだ。一度立ち止まり、「ほんま、久しぶりやなあ」と強く肩を引き寄せると、山下君は「ほんまやなあ」と照れ臭そうに、しかし顔いっぱいに笑った。

そのままの勢いで“ディキシー”のドアを開ける。ドアの鈴は昔のままだったが、その音への反応は大いに変わっていた。

「いらっしゃいませ~~」と複数の女の子の声に迎えられ、山下君は少しひるんだ。世慣れた先輩のように僕が肘をつかんで引き入れなければ、帰ってしまいかねないほどだった。入り口で躊躇する二人を感じ取り、夏美さんの顔が覗く。

「あら~~。久しぶりやないの~~。柿本君」

常連を迎える声に、山下君は遠慮がちに立ち止まった

「カウンターでいい?」

と訊くと、「はい」と小さな声で答える。まるで初デイトの女の子のようだ。

店内はこの2か月の間にまた一段と様相が変わっていた。最早初めて来た時の面影はない。ビリヤード台と壁際の青いダウンライトだけが、辛うじて名残を留めているだけだ。青い光の中にいつも固まるようにしていたかつての常連たちの姿を思い描くことさえできない。

いつものストゥールに腰を下ろし、隣の席に山下君を誘う。すぐにオーダーを取りに来た女の子が夏美さんの目配せを受け、フロアに戻っていく。その後ろ姿を山下君の目が追う。

「バイト辞めたん?」

夏美さんがジンライム2杯を片手に現れる。

「やってますよ~。ジンライムやけど、いい?」

山下君に確認すると、「ジ・ン・ラ・イ・ム」と目の前に置かれたグラスを凝視しながら、ゆっくりと復唱した。

「お友達?」

ほほ笑みながら交互に目をやる夏美さんに、山下君の頬が赤らむ。「ええ、まあ」とほぼ同時に答え、グラスに手を伸ばす。

「乾杯やな。再会に!」とグラスをかざすと、山下君が「大学生にもなれたし…」とぽつりと言った。

「え?!ほんまに?!そうなんや~。それはまた!」

僕は驚き、グラスを置いて肩を叩いた。彼が進学を選ぶとは思ってもいなかった。

「じゃ、さっきの姉弟子さんは?」

「大学が2部やから、昼は京友禅のお師匠さんとこにお邪魔させてもろうてるんですわ。さっきの人は先輩で、住み込みしてはる人なんです」

一年も経たない間に僕よりもはるかに板についてきた京ことばも、僕を驚かせる。自衛隊を逃亡してきた少年のおどおどした姿はもうなく、進むべき道を見つけた青年の自信さえ感じる。

「すごい!えらいなあ。しっかりやってるやないか」

本音の賛辞を並べると、うっすらと残っていた頬の赤がまた一段と増した。

「大学言うても、2部やし。京友禅かて、まだ弟子にもさせてもろうてないし。まだまだですわ」

グラスを撫でまわす山下君の横顔が、誇らしげに見える。

「京友禅やってはんの?」

夏美さんが話に加わってきた。問われるまま、山下君は新聞配達を辞めてから今に至る道のりを語ることになった。途切れがちな言葉をつなぎ合わせるように語られたその道のりに、夏美さんは興味津々のようだった。

 

母子家庭の山下君は、販売所を辞める決意をしてすぐ、岐阜の実家に戻った。自衛隊入隊以来初めての帰省だった。母親は彼の自衛隊逃亡をなじることもなく、ただただこれからを案じ、身体を気遣ってくれた。

その夜、山下君は布団の中で大学に進むことと自活することを決心した。決心の朝を迎えると、知っていたかのように母親が封筒を差し出してきた。3万円が入っていた。息子のために、何かがあった時にと思い貯めてあったお金だった。

その昼、山下君はまた旅立った。入隊、逃亡、と人に勧められ押し出された2回と、今回は違うものにならなければならない、と思った。きっと自らの手で、決めた道への扉を開くことができると思っていた。

新幹線に飛び乗り京都駅が近づいてくると、しかし、不安にとらわれていった。入試も仕事に就くことも、次第に自分とは無関係なことに思えてきた。京都駅に着き、次々と改札口へと向かう乗客たちをやり過ごし、構内を揺れるように歩いた。

その時、「ポスターが目に飛び込んできたんですわ。吸い寄せられましたわ。気い付いたらポスターの前に立ってた感じで…」京友禅作家の作品と顔写真を見つめていた。

すると「頭の真ん中が痺れてもうて、“これや、これや!”いう声が響いてきて…」駅の観光案内や電話番号帳などを頼りに大原にある作家の工房の住所と行き方を調べ、その足で向かうことにしたのだった。

工房を探して、大原の里を山下君は1時間以上も歩いた。2月中旬、まだ里全体は冬の空気に包まれた中、そこかしこに春の息吹が感じられた。山下君は心地良い汗に背中を濡らしながら、大原の里の住人になることを思い描いていた。

やがて山へと続く坂の中腹に一軒の大きな古民家が見えてきた。白い湯けむり屋根の一部を覆っている。「あれだ!」と山下君は、小走りになった。

息せきって坂を上がると、“風間工房”と書かれた杉板に出くわした。山下君の勘は当たった。幸先いいと思った。

岐阜の実家の玄関戸を二回りも大きくしたような引き戸を開けると、湯気の匂いが鼻を突いた。未来への扉を開ける匂いだと思った。

「こんにちは~~~。ごめんください。……こんばんは~~~~」

薄暗く奥へと続く廊下に向かって声を掛けた。静かな土間に立って待っていると、夕暮れを知らせる山鳥の声が届いてきた。その後を追うように、女性の声と足音が奥からやってくる。山下君は、自衛隊で身に付いた直立不動の姿勢を取った。

「どちら様でしょう?」

首に手拭いを巻いたジーンズ姿の女性が、にこやかに現われた。それが、姉弟子と名乗った小原秀美だった。

山下君は、不意の来訪を詫び、弟子入りの可能性に関して率直に尋ねた。秀美は即答した。答は“否”だった。山下君は、懸命に食い下がった。

熱意に押されたように奥へ引き返し、しばらくすると秀美は「弟子ではなくお手伝いさんとしてでよければ」という案を持って帰ってきてくれた。彼女も歩んできた道らしかった。さらにそこには、「空いている部屋があるから住んでもいい」「わずかだが、小遣い程度は払う」という思いの他の好条件も付け加えられていた。

山下君は、それ以来“風間工房”の住み込みのお手伝いさんとなっているのだった。

「じゃ、大学は?」と尋ねると、「お師匠さんが、大学は行っておきなさい」と言ってくれたらしく、その言葉に応えるために頑張ってなんとか受かったのだと、言う。閃きと熱意が幸運まで呼び寄せたのだ。

僕は驚きとうれしさと、少しばかりの嫉妬に血が上った。行動がもたらす結果は、平等とは限らないのだなあ、と思った。しかし、不平等な結果を避けるための方法は、まるで思い浮かばなかった。

「とにかく、めでたい話やないか。もう一回乾杯しようか。ママ~~~」

次のジンライムを頼もうとした時、肩に誰かの手が掛かった。強く掴まれ振り向くと、上村だった。

「久ぶりやないか~~」

笑みのない上村に、山下君は少し身構える。すると、肩から離れた上村の手が、握手を求めてきた。握りながら正面から見ると、上村はネクタイをしている。

「あっ」と驚きを声に出すと、「そうなんや」と苦笑いをした。

次回は、1月25日頃を予定しています。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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