昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

昭和少年漂流記:第四章“ざば~~ん”……28.転落の軌跡 ①

2013年09月11日 | 日記

転落の軌跡 ①

リビングの窓が稲光に白く輝く。屋根瓦を稲妻が音を立てて通り抜けていく。小休止していた雨も、また激しくなったようだ。倉田興業のみんなはきっとやきもきしていることだろう。

義郎はテーブルに置いた軽トラのキーを手に取り、駐車場へと階段を下りようとした。ドアノブに手を掛けると、電話が鳴った。

「は~~い」

優子からだと思い急いで出たが、電話の向こうは長沼だった。息せき切っている。

「あ、田上さん。い、今……」

声が途切れる。20年ぶりと言われる大型台風の到来だ。大川流域のどこかで既に何かが起きたのか。電話の向こうの様子を窺いながら、しばらく待つ。

「やっと終わりました!」

長沼の大声が飛び込んでくる。思わず受話器から耳を離し、また強く押し付ける。

「え?!どうしたんですか。何が?」

緊迫というよりも喜びに息せき切っているとわかる声だが、義郎には何事か思い当たらない。

「聡美さんから電話があって、借金返済の目途が立ったようなんです」

「え!そうですか……そうですか」

うれしい報せだった。待ちに待った報せだった。一気に様々な思いが浮かんできて、言葉にならない。

「聡美さんも大変でしたよねえ。とうとう実家も手放されたみたいですよ、聡美さん」

聡美の笑顔と、次第に深くなっていた目尻の皺が目に浮かぶ。

「東京のビルが売れればなんとか、というところまでは聞いてたんだけどなあ。……そうですか。安原の家、売ってしまったんですね」

三か月ばかり前、優子に会いに来た聡美が「子供がいなくてよかったわよ」と苦く笑っていたのを思い出す。

「優子ちゃんの家は、私が絶対守ってあげるからね!幸助君も、私の子供みたいなもんだし……」

そう言って義郎に向けた目の力強さは、挫ける一歩手前だった義郎を奮い立たせてくれたものだった。その聡美が安原の家を手放すとは……。長い安原家の歴史と酒造業の誇りを守ってきた聡美の、いかにも聡美らしい決断だが、今、豪雨の音を聞きながら、市営住宅の部屋で一人何を思っているのだろうか。

「で、聡美さん、どこから電話してきたのかわかりますか?」

“そんなことないわよ。心配なんかいらないわよ。”と言うに決まっているが、聡美の心細さを思うと、迎えに行って優子たちと一緒に台風を凌いでもらった方がいいのではないだろうか。義郎は、そう思った。

「いや。どこにいらっしゃるかわかりませんが、自宅じゃないですか?……それより、上沢辺りがもう危険水域のようですよ」

長沼がいつもの冷静な口調に戻る。大川の上流域では、もう異変が起きているようだ。ともかくまず急がねばならないのは、やはり倉田興業だ。

「じゃ、これから向かいますね。みんなは?」

「みんな来てますよ。防災課から電話もありました。協力会社の皆さんも待機してます」

長沼の簡潔で的確な状況説明に、義郎は身震いする。

“よくここまでやってこれたなあ。よくもみんなまとまってくれたなあ。俺はなんて幸せなんだ”

優子が傍にいたら、横顔に出てしまう喜びに「義郎ちゃん。報われたわねえ。よかったわねえ」と言ってくれるに違いない。そう思った。

雷鳴が轟き、窓がまた白く光る。こんな嵐の夜に、安定と平和と信頼を感じることの不思議さを思う。しかし、それがきっと現実というものなんだろう、とも思う。

義郎は一旦消した電気を点け、また消す。10分、いや5分、この幸せを噛みしめたい。嵐の音を聞き、光を感じながら。そして、嵐に立ち向かう勇気を持って出て行こう。長沼がいれば、安心だ……。

 

聡美に「任せてください!」と宣言してから、義郎はその宣言した事実に縛られていった。優子も確認した宣言だったから尚更だった。逃げ場もなく弱音も吐けない状況を自分で作ってしまったことを、時々義郎は後悔した。それほど、新任の取締役としての役割は重かった。

「義郎。目標1ヶ月で頼むな」

協力会社の4名との話を終え、長沼と事務所に戻ると、待ち受けていた達男にいきなり言われた。長沼は神妙に俯いている。

「何をすれば……」

「何をすれば、じゃなくて、何ができるか、なんだよ。義郎」

「現場のことやればいいんじゃ……」

「それは当たり前なんだよ。と言うより……」

達男が苛つく。引っ越してきて以来、達男の苛立ちが目に付くようになった。自分のせいでなければいいが、と義郎は思っていた。

「いや。現場でいいんだよ、義郎。達男が言いたいのは、きちんとやって安心させてくれ、ってことなんだよ。なあ、達男」

公平が引き継ぐが、義郎は釈然としない。

倉田興業は元々公平の会社であって達男の会社ではなく、達男は新人事でも役員にさえなっていないではないか。それをあたかも……。

「俺がしゃしゃり出る話じゃないよな。……でも、友達だからついつい言い過ぎてしまうんだよ。そこはわかってくれ」

義郎の顔色の小さな変化を読み取り、達男が肩を叩いてくる。義郎は身構える。

「長沼君と話し合ってやってくれればいいから。な!長沼君。頼んだぞ!」

公平は長沼と握手をし、達男を促す。

エレベーターに二人の影が消えていくのを見届け、長沼が切り出した。

「我々が話して進めていい、ってことですよね」

                                          次回は、9月14日(土)予定           柿本洋一

*第一章:親父への旅http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981

*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795


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