★野に出でて日傘の内を風が吹き 正子
「野に出でて」で外出する解放感が伝わってまいります。夏の草花がチラホラと生い茂っているであろう野原を日傘をさしてゆっくりと歩く。傘の内を爽やかな風が吹き抜けて、涼しさも感じられる夏のひとときです。 (河野啓一)
○今日の俳句
空晴れて祭り太鼓の試し打ち/河野啓一
「試し打ち」に、祭への張り切りようが想像できる。「空晴れて」なので、思い切りの試し打ちだろう。まだ不調子があれば、本番でない面白さと思える。(高橋正子)
○落花生の花
[落花生の花/横浜市緑区北八朔町]
★落花生の花咲き遥かなる空よ/高橋信之
★ピーナッツの花咲かせ空ひろびろと/高橋信之
★落花生の花はバス道をはずれ/高橋正子
生家の前はすぐ畑となって、胡麻を植えていたことを既に書いたが、その胡麻畑の隣に落花生を植え、同じ時期に花を咲かせていたので、夏休みの記憶に残っている。当時、生家では、南京豆といっていたが、南米原産で東アジアを経由して、江戸時代(1706)に日本に渡来したと言われている。落花生は、7・8月の早朝に黄色の花が咲いて、昼にはしぼんでしまう。数日経つと子房柄(子房と花托との間の部分)が伸びて地中に潜り込み、子房の部分が膨らんで結実する。地中で実を作ることから落花生(ラッカセイ)の名前が付けられた。
ラッカセイ(落花生、学名:Arachis hypogaea)は、マメ科ラッカセイ属の一年草。別名はナンキンマメ(南京豆)、方言名は地豆(ぢまめ、ジーマーミ)、唐人豆(とうじんまめ)、異人豆(いじんまめ)など。中国語は花生。福建語・台湾語は土豆。英語名のピーナッツ、peanutは日本では食用とする種子を指す場合が多い。ground nutともいう。南米原産で東アジアを経由して、江戸時代に日本に持ち込まれたと言われている。日本では主に食用として栽培されている。草丈は25-50cm。夏に黄色の花を咲かせる。受粉後、数日経つと子房柄(子房と花托との間の部分)が伸びて地中に潜り込み、子房の部分が膨らんで結実する。地中で実を作ることからラッカセイの名前が付けられた。ラッカセイの原産地が南アメリカ大陸であることは確実である。最も古い出土品は、紀元前850年ころのペルー、リマ近郊の遺跡から見つかっている。その後、メキシコには紀元前3世紀までに伝わっていた。南アメリカ以外の世界にラッカセイの栽培が広がったのは16世紀である。日本で最初に栽培されたのは神奈川県の大磯町である。西アフリカ-ブラジル間の奴隷貿易を維持するためにラッカセイが用いられ、そのまま西アフリカ、南アフリカに栽培地が広がっていく。ほぼ同時期にスペインへ伝わったラッカセイは南ヨーロッパ、北アフリカへと渡っていく。さらにインドネシア、フィリピンへの持ち込みもほぼ同時期である。現在の大栽培地インドへは19世紀と比較的導入が遅かった。日本には東アジア経由で1706年にラッカセイが伝来し、南京豆と呼ばれた。現在の栽培種はこの南京豆ではなく、明治維新以降に導入された品種である。
千葉市の小仲台に住んだ詩人白鳥省吾が1958年、八街市内の豊かな落花生畑を見て、即興で詠んだ自筆の詩碑が千葉県立八街高校の校庭に建立されている。
落花生讃碑[千葉県立八街高校]
落花生賛
いつ知らず
葉は繁り
花咲きて
人知れず
土に稔りぬ
白鳥省吾
◇生活する花たち「ゆうすげ・松葉牡丹・夾竹桃」(フラワーセンター大船植物園)
「野に出でて」で外出する解放感が伝わってまいります。夏の草花がチラホラと生い茂っているであろう野原を日傘をさしてゆっくりと歩く。傘の内を爽やかな風が吹き抜けて、涼しさも感じられる夏のひとときです。 (河野啓一)
○今日の俳句
空晴れて祭り太鼓の試し打ち/河野啓一
「試し打ち」に、祭への張り切りようが想像できる。「空晴れて」なので、思い切りの試し打ちだろう。まだ不調子があれば、本番でない面白さと思える。(高橋正子)
○落花生の花
[落花生の花/横浜市緑区北八朔町]
★落花生の花咲き遥かなる空よ/高橋信之
★ピーナッツの花咲かせ空ひろびろと/高橋信之
★落花生の花はバス道をはずれ/高橋正子
生家の前はすぐ畑となって、胡麻を植えていたことを既に書いたが、その胡麻畑の隣に落花生を植え、同じ時期に花を咲かせていたので、夏休みの記憶に残っている。当時、生家では、南京豆といっていたが、南米原産で東アジアを経由して、江戸時代(1706)に日本に渡来したと言われている。落花生は、7・8月の早朝に黄色の花が咲いて、昼にはしぼんでしまう。数日経つと子房柄(子房と花托との間の部分)が伸びて地中に潜り込み、子房の部分が膨らんで結実する。地中で実を作ることから落花生(ラッカセイ)の名前が付けられた。
ラッカセイ(落花生、学名:Arachis hypogaea)は、マメ科ラッカセイ属の一年草。別名はナンキンマメ(南京豆)、方言名は地豆(ぢまめ、ジーマーミ)、唐人豆(とうじんまめ)、異人豆(いじんまめ)など。中国語は花生。福建語・台湾語は土豆。英語名のピーナッツ、peanutは日本では食用とする種子を指す場合が多い。ground nutともいう。南米原産で東アジアを経由して、江戸時代に日本に持ち込まれたと言われている。日本では主に食用として栽培されている。草丈は25-50cm。夏に黄色の花を咲かせる。受粉後、数日経つと子房柄(子房と花托との間の部分)が伸びて地中に潜り込み、子房の部分が膨らんで結実する。地中で実を作ることからラッカセイの名前が付けられた。ラッカセイの原産地が南アメリカ大陸であることは確実である。最も古い出土品は、紀元前850年ころのペルー、リマ近郊の遺跡から見つかっている。その後、メキシコには紀元前3世紀までに伝わっていた。南アメリカ以外の世界にラッカセイの栽培が広がったのは16世紀である。日本で最初に栽培されたのは神奈川県の大磯町である。西アフリカ-ブラジル間の奴隷貿易を維持するためにラッカセイが用いられ、そのまま西アフリカ、南アフリカに栽培地が広がっていく。ほぼ同時期にスペインへ伝わったラッカセイは南ヨーロッパ、北アフリカへと渡っていく。さらにインドネシア、フィリピンへの持ち込みもほぼ同時期である。現在の大栽培地インドへは19世紀と比較的導入が遅かった。日本には東アジア経由で1706年にラッカセイが伝来し、南京豆と呼ばれた。現在の栽培種はこの南京豆ではなく、明治維新以降に導入された品種である。
千葉市の小仲台に住んだ詩人白鳥省吾が1958年、八街市内の豊かな落花生畑を見て、即興で詠んだ自筆の詩碑が千葉県立八街高校の校庭に建立されている。
落花生讃碑[千葉県立八街高校]
落花生賛
いつ知らず
葉は繁り
花咲きて
人知れず
土に稔りぬ
白鳥省吾
◇生活する花たち「ゆうすげ・松葉牡丹・夾竹桃」(フラワーセンター大船植物園)
「空晴れて祭り太鼓の試し打ち」を今日の俳句におとり上げ頂き、厚く御礼申し上げます。賜りましたご講評も今後の句作の糧とさせていただきたく、今後ともご指導のほど宜しくお願い致します。
「野に出でて」で外出する解放感が伝わってまいります。夏の草花がチラホラと生い茂っているであろう野原を日傘をさしてゆっくりと歩く。傘の内を爽やかな風が吹き抜けて、涼しさも感じられる夏のひとときです。