晴れ
彼岸花ひとむら庭に抜きでし 正子
眺めいし窓に映れる鰯雲 正子
紫蘇の花うすむらさきの穂となりて 正子
●たくさんの郵便物。二人には、葉書でお祝とお礼の返事。今日から葉書が85円に。84円切手に1円切手を貼って出す。
Essay
(十)リルケと俳句について
●昨日コピーした「セザンヌとリルケ」(角 英祐著/ジャーナルフリー34巻1965年)をよく読んで、まずは、セザンヌとリルケの問題を片付けておかないといけない。リルケ自身の問題は「詩」の問題であり、それは、俳句という詩につながる問題だと思うからだ。
(これから書く文は、自分が考えるための文であることをお断りする。)
リルケは、1907年、32歳のとき、パリでのセザンヌの回顧展を連日訪れて見ている。(日本の洋画家の有島生馬もこのとき偶然訪れ、非常に感動を受け日本に最初にセザンヌを紹介したと言われている。)32歳の抒情詩人リルケは「形象詩集」や完結前の「新詩集」など精神的遍歴の歴程にあり、抒情詩人としての自分の在り方に懐疑と反省の眼を注いでいたという。
会期中の妻宛ての手紙の一つに、「自分は自然を歌っているつもりでいて、本当は自然を只一般的な契機として、只自然の召喚Evokationに応じつつほかならぬ自分の内なる魂を歌っていたにすぎない。自分は自然をみなかった。自然が私に吹き込む幻覚Gesichteをみていたにすぎない」と記している。これは私の俳句においても確かに言えることで、反省をすべきことであるし、俳句では戒められることである。
このことは、先になって考えたいが、今少し飛躍があるかもしれないが、つまりは「抒情」ということが問題なのであろうと思う。これは、俳句について、最も言えることで興味深い。「俳句と抒情」の問題は重要なのだ。