俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

6月23日(火)/亜浪の俳句/ 沖縄慰霊の日

2009-06-23 23:05:03 | Weblog
俳句
青楓そよげば闇がそよぎたり

晴れ
○夕方帰宅すると、食卓に「俳句空間ー豈weekly 俳句九十九折(40)俳人ファイルXXXⅡ 臼田亜浪・・・富田拓也」がコピーしてあった。勉強するようにということであろう。ざっと目を通す。『臼田亜浪全句集』(1977年)を読んでのこと。全句集には、一万句以上ある。必ずしも5-7-5の定型のリズムではない句を一万句以上読み、句をピックアップするのに難渋されたようだ。これば見逃せない事実であるが、正直な感想であって、同感である。亜浪独特のリズムについて多く書かれている。自由律でもなく、定型でもない、いわゆる中間派の特徴となっている。富田氏の対話形式に文章は、欲を言えば、言葉にあるリズムには、作者の内面、内容を付随するものであるから、そこを掘り下げた個個の句の解釈があると面白いと思った。亜浪の句は澄明であるという。亜浪15句として挙げられた句は、私がほぼ諳んじている句が七句ある。亜浪の句を読むと、臥風先生の句を自然と思い出すが、師系の影響というのは、なかなか大なのであろうと思った。結びは、「ともあれ、臼田亜浪の遺した作品と手法というものは、俳句の歴史において必ずしも小さなものではないということが出来るのではないかと思います。」で締めくくっている。
亜浪の俳句手法は「まこと」から発して、リズムと内容がある。われわれの俳句手法は、丁寧にまことに添う表現となるのがよいのだろう。生半跏ではないものがある。

亜浪15句として次の句が挙げられている。
氷上に霰こぼして月夜かな
鵯のそれきり鳴かず雪の暮
葱筒に大蛍得て戻りけり
木曽路ゆく我も旅人散る木の葉
霧よ包め包めひとりは淋しきぞ
軒の氷柱に息吹つかけて黒馬(あお)よ黒馬(あお)よ
今日も暮るる吹雪の底の大日輪
かつこうや何処までゆかば人に逢はむ
死ぬものは死にゆく躑躅もてえをり
雛箱の紙魚きらきらと失せにけり
天風や雲雀の声を断つしばし
山桜白きが上の月夜かな
牡丹見てをり天日のくらくなる
人込みに白き月見し十二月
白れむの的皪と我が朝は来ぬ
cf.的皪は白く鮮明なさま。光り輝くさま。
「―と近江の湖(うみ)が光つた/虞美人草(漱石)」


亜浪の弟子として以下の方々が挙げられている。
大野林火、松村巨楸、安藤甦波、川本臥風、川島彷徨子、八木絵馬、篠原梵、西垣脩、新井声風、富田木歩、栗生純夫、今枝蝶人、原本神桜、林原耒井、金子麒麟草、西村公鳳、鈴木鵬千、飛鳥田○無公あたり。

以上の方の名前は、臥風先生の俳句雑誌を郵送する封筒の宛名書きのお手伝いをしていたこともあるので、何人かは、封筒に名を手書きした記憶がある。当時(四十年ほど前)は存命であったということだが、今はほとんど物故された。
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