★銀色の椿の蕾となっており 正子
毎日椿の冬芽を見て今か今かと待っておられたのでしょう。「銀色」という言葉はよく観察したうえでないと出てこない表現と思います。椿や梅のように晩冬から早春に開く花は春をもたらす趣があり、花を待ち焦がれる気持ちはひとしおです。(多田有花)
○今日の俳句
霜踏んで今日の工事の始まりぬ/多田 有花
土木工事に携わる人たちは、霜がまだ固い内に仕事を始める。バリバリと霜を踏み工事に取り掛かる様子が力強い。その時間帯に現場に来るには、まだ薄暗いうちに家を出たのであろうと思うとなおさらだ。(高橋正子)
○柊挿す(ひいらぎさす)・柊鰯
[柊/横浜日吉本町] [柊鰯/ネットより]
★かきけむりけり節分の櫟原/石田波郷
★節分の火の粉を散らす孤独の手/鈴木六林男
★節分の豆がひしめく子の拳/高橋信之
★柊さすはてしや外の浜びさし 蕪村
★柊をさすや築地の崩れまで 蝶夢
★猫の子のざれなくしけりさし柊 一茶
★古りし宿柊挿すをわすれざり/水原秋桜子
★烈風の戸に柊のさしてあり 石橋秀野
★宵闇のどこかが匂い豆を撒く/高橋正子
★節分寺五色の幕が風孕み/高橋正子
午後、スニーカーを買いに日吉駅あたりへ出かけた。スニーカーは、同じものばかり履くので、1年半ぐらいで破れてしまう。アーバントラッドという、オーソドックスなのを一足買った。日吉まで歩いて出かけたが、途中日吉2丁目の金蔵寺の境内を通り抜けていった。お寺には節分のためか、五色の幕が張り巡らされていた。豆撒きがあるにかなとも思ったがしずかだった。日吉からの帰り、また境内を通ったが、4時半ごろ、五色の幕は外されて、いつもの寺になっていた。豆撒きをした気配はなかった。
昔は四季の移り目をそれぞれ節分といったが、今は立春の前日だけが節分と呼ばれる。冬の節から春の節に移る分岐点。この夜。寺社では悪魔を追い払い、春を迎える意味で追儺が行われる。民間でも豆を撒いたり、鰯の頭や柊を戸口に飾ったりする。
節分の夜の豆まきは、特に幼い子どもたちにとっては楽しい行事。なんしろ、悪い鬼を豆をぶつけてやっつけるのだから。「福は内、鬼は外」の「鬼は外」は、大人には闇にひそむ姿の見えない鬼へ向かっての礫投げ。戸口に飾る鰯の頭、柊も庶民らしい追儺のしつらい。「鰯の頭も信心から」ということわざもあるが、これはどこから出てきたのか。
柊挿す(ひいらぎさす)は、節分の夜、魔除(まよ)けのために、焼いた鰯(いわし)の頭を付けたヒイラギの枝を門口に挿し、臭いものや鋭くとがったもので悪魔払いをする風習。この、焼いた鰯の魔除けを「やいかがし」と言い、「焼き嗅し」が語原と言われている。
◇生活する花たち「満作・立寒椿・蝋梅」(大船フラワーセンター)
毎日椿の冬芽を見て今か今かと待っておられたのでしょう。「銀色」という言葉はよく観察したうえでないと出てこない表現と思います。椿や梅のように晩冬から早春に開く花は春をもたらす趣があり、花を待ち焦がれる気持ちはひとしおです。(多田有花)
○今日の俳句
霜踏んで今日の工事の始まりぬ/多田 有花
土木工事に携わる人たちは、霜がまだ固い内に仕事を始める。バリバリと霜を踏み工事に取り掛かる様子が力強い。その時間帯に現場に来るには、まだ薄暗いうちに家を出たのであろうと思うとなおさらだ。(高橋正子)
○柊挿す(ひいらぎさす)・柊鰯
[柊/横浜日吉本町] [柊鰯/ネットより]
★かきけむりけり節分の櫟原/石田波郷
★節分の火の粉を散らす孤独の手/鈴木六林男
★節分の豆がひしめく子の拳/高橋信之
★柊さすはてしや外の浜びさし 蕪村
★柊をさすや築地の崩れまで 蝶夢
★猫の子のざれなくしけりさし柊 一茶
★古りし宿柊挿すをわすれざり/水原秋桜子
★烈風の戸に柊のさしてあり 石橋秀野
★宵闇のどこかが匂い豆を撒く/高橋正子
★節分寺五色の幕が風孕み/高橋正子
午後、スニーカーを買いに日吉駅あたりへ出かけた。スニーカーは、同じものばかり履くので、1年半ぐらいで破れてしまう。アーバントラッドという、オーソドックスなのを一足買った。日吉まで歩いて出かけたが、途中日吉2丁目の金蔵寺の境内を通り抜けていった。お寺には節分のためか、五色の幕が張り巡らされていた。豆撒きがあるにかなとも思ったがしずかだった。日吉からの帰り、また境内を通ったが、4時半ごろ、五色の幕は外されて、いつもの寺になっていた。豆撒きをした気配はなかった。
昔は四季の移り目をそれぞれ節分といったが、今は立春の前日だけが節分と呼ばれる。冬の節から春の節に移る分岐点。この夜。寺社では悪魔を追い払い、春を迎える意味で追儺が行われる。民間でも豆を撒いたり、鰯の頭や柊を戸口に飾ったりする。
節分の夜の豆まきは、特に幼い子どもたちにとっては楽しい行事。なんしろ、悪い鬼を豆をぶつけてやっつけるのだから。「福は内、鬼は外」の「鬼は外」は、大人には闇にひそむ姿の見えない鬼へ向かっての礫投げ。戸口に飾る鰯の頭、柊も庶民らしい追儺のしつらい。「鰯の頭も信心から」ということわざもあるが、これはどこから出てきたのか。
柊挿す(ひいらぎさす)は、節分の夜、魔除(まよ)けのために、焼いた鰯(いわし)の頭を付けたヒイラギの枝を門口に挿し、臭いものや鋭くとがったもので悪魔払いをする風習。この、焼いた鰯の魔除けを「やいかがし」と言い、「焼き嗅し」が語原と言われている。
◇生活する花たち「満作・立寒椿・蝋梅」(大船フラワーセンター)