俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

竹林の夢/5月17日(日)

2009-05-17 12:28:14 | Weblog
俳句

晴れ
○夢を見た。ここ何年来、夢など見たことがなかった。(忘れているのかもしれないが。)
背景が竹林のような緑。そこに老人が立って、私を呼んでいる。声も出さず、手招きもせず。(これが夢なのだろう。)招かれて、茶室にあがると、私でなく、私である代わりに小学生の男の子が(息子の小さい頃のようでもあるが)、黒い半ズボンに白い半袖シャツで畏まって座っている。老人は茶を立てようとして、茶釜からお湯を掬ったところである。お湯の入った杓を上げたままのところで、夢は終った。竹林の光のなかに居るような夢だった。

今朝は、寒くてよく眠れないので、5時ごろ目が覚めた。4月からだろうか。朝日の木曜日夕刊に、「茶のある暮らし」という、武者小路千家十五代家元後嗣の千宗屋氏のエッセイが載るようになったので、共感し、考える部分もあって、楽しみに読んでいる。夢の解釈はともかく、お茶のことがなんらか気になって、頭にあったようだ。我が家でも、お点前なしで、抹茶を毎日いただく。
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怖い絵/5月16日(土)

2009-05-17 11:18:23 | Weblog
俳句
大股に女走れり薔薇の風
薔薇垣の肩に触れつつ香りつつ
初夏のオレンジの香が手に残り

曇り
○信之先生は、JRで八王子、立川、青梅あたりまで出かける。
お土産は、ダークチェリーのチーズケーキ。立川駅には、ケーキが沢山並んでいるそうだ。

○白水社の図書新聞「出版ダイジェスト」が届く。
今月のトップは、「絵を見て怖がるーー絵画の鑑賞法について」を中野京子氏が書いる。中野京子氏は、よく知らないが、ドイツ文学者で、著書に『怖い絵』『怖い絵2』(朝日出版)『名画で読み解く ハプスブルグ家12の物語』(光文社新書)。訳書にツヴァイク『マリーアントワネット』(角川文庫)などがある。『怖い絵3』が5月下旬に刊行されるそうだ。

いつの頃からか、「絵は自分の感性で見るのがよい。」と暗に教えられるようになった。余計な知識は先入観を与え、鑑賞の邪魔になるだけだから、いっさい予備知識ぬきの白紙状態で作品と向き合い、色彩、タッチ、画面の空気感(!)などを全身で味わうこと、というのだ。

このことは、美術展を退屈にしてしまう、と。絵画、特に19世紀以前の作品は、「見る」「感じる」より、詠むのが先だと教えるべきではないのかしらん。と。

こういうことがあって、一枚の絵には、その時代特有の常識、その国独自の文化、長い歴史がからみあっていること。さらに絵の注文主の思惑やら画家の計算、意図的に隠されたシンボルにも満ち満ちている。感性だけでは、決してわからないものがあることを、ざっと学ばせるべきと思う。要は知ること。背景を知ることで、絵はそれまでとがらりと様相を変えて立ち現れる。

たとえば、ドガのいっぱんに言う「踊り子」(エトワール、または舞台の踊り子)を挙げる。この『怖い絵』をざっと読んで見るのも面白そうだ。日本画については、どうもなさそうだが。

○絵ではないが、大学受験の国語の中に「現代文」というのがある。この点数を上げるために、『現代文解釈の方法』と言ったような題名の参考書が多々出版されているのは、ご存知のことと思うが、内容は、接続詞の果たす役をよく見て、段落の構成から論理の展開を考えれば、解答が得られるというもの。また、多く読書しろとも。田舎の高校生にこんなことを言われても、感性で絵を見よというのと同じようなもので、一向に点数は上がらない。あがらないはずだ。現代文は主に論文が出題されるが、筆者は、現代のなんらの思想に拠って書いている。主には西洋思想だが。世界の主な思想を、ざっとでもよいから学ばせておかないと、現代文の論文を読みこなすのは、無理と言えそうだ。普段そういった思想を話す仲間が居ればべつだろうが。しかし、幸いにも竹田青嗣氏の『現代思想の冒険』と言った本が高校生むきに出ている。よくは分からないまでも、ざっと知っておけば、いい。逆に言えば、それほど、独自な思想を持っている方はいたとしても、われわれの知る範囲に出て来られない。書かれたものの背景の知識は、囚われてはいけないのだろうが、知って損ではない。
因みにお粗末な話だが、高校の現代文の問題のプリントの一部が印刷不明瞭のがあった。あとに続く言葉を論者の考えにそって()に入れよ、というのがあったが、その答えは、不明瞭な部分の文章を読まなくても、決まっている。答えは当たるのである。これで高校生を驚かすのは、それほど困難ではない。知って損をすることではない。

感性に頼るだけ、知識に頼るだけ、のどちらもいけないなのだろう。兎に角、感性も、知識も身より出たもの、身についたものでないといけないのだろう。
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