忘れもしない小学校6年生の時。
「水泳記録会」という群の大会が終わった夏の終わりに、私は今まで感じたことのない寂しさを知った。
ああ、これであの楽しかった練習の日々も終わったんだ…と思ったその感情は、それまでの味わったどんな感情とも比喩できなかった。
たった「群」の大会で、ですよ?(笑)
まあこんな話は、大会を目指して好きなスポーツに懸命に打ち込むという経験がない人にはわからないと思うけどね。
いわば失恋と同じ。
「痛い」のである。
わかるだろうか。
コロナが怖いとか、自分だけは死にたくないとか、これで利権をとろうとか、選挙に勝ちたいとか、人それぞれいろんな思惑があると思う。
でも、一生懸命努力してそれを夢見てきた人を土台にして、自分の幸せを築いちゃいけないんじゃないの?と私は思うけどね。
甲子園もインターハイも中止にした罪は重い。
「テレワークにしたらいいじゃない」なんて理屈が通らない世界は山ほどあるのよ。
私が知る限りだけど、
命になんて突きつけられてもわからない未熟な世代であっても、でも生きている限り、取り上げられたくないものは誰にでもある。
それが「生きていること」で、すなわち「命」であると私は思うけどね。