珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

騒動に「なぜ?」はない

2020-05-04 | コロナ騒動
タイトルは某ブログからパクらせて頂きました。すみません( ̄∇ ̄)

以下はネットで見た或る書き込みを元に、私が手を加えたフィクションであり、ノンフィクションです。


今回だけなぜ「感染者数」を発表するんですか?
そんなこといったら、ウイルスとか細菌の病気は知らないうちに人にしょっちゅう感染していますよね。
ヒトパピローマウイルスだって感染しても発症せずに廃除されたりしてる。
ウイルスって昔からそういうものですよね。
感染しても発症して患者になって初めてカウントしてるものを、なぜ今回はそうしないんですか?
そう尋ねたら
「わかりません。でも決まりなんです。でもそんな生産的じゃないことを考えても幸せにはなりません。言われた通りに従えばいいんです。
あなたには計り知れない、ずっと頭のいい人たちが采配してるんだから」

どこかで見た景色のようだわ( ̄∇ ̄)
なぜ?はいけないし、言っても無力ということだけはわかる。

続き

私は自粛の意味も、今一つよくわかりません。
私の住んでいる地方では、周りに感染している人なんて誰もいません。
でもある日突然、当たり前にあった仕事も学校も自由も収入も奪われて、「助けて」と叫んでもどこにも届かない。
一体私たちは何のためにこんなことをしているんでしょうか?

でも明瞭に納得できる数字も説明もないんです。
あればまだ解るんですけど、ないんです、見事に。
そして納得できない説明をしているのに、国民はなぜか催眠にかけられたように拍手を以て納得してるんです。
納得していないのかな?
私には右を見ても左を見てもそんなふうに見えるんだけどね。
そんな景色を「見せられている」だけなのかな。
頭の中がそんな変な勘繰りでグルグルまわっている。
一言でいえば「不信」なんでしょうね。

何よりこれを疑ったら、怖い、睨まれる、身勝手で頭の悪い人と言われる、言っても無駄なものを感じる、それも強い無力感ですね…
無力感のままスーパーに行くと、私には皆が、何かに洗脳されたまま、口答えせず、おとなしく従っている気味のわるい人たちに見えるんです。
いつの間にかレジに並ぶ時の歩幅まで決められて、そこから少しでもはみ出すと危険人物というか…でも誰も疑いもせずにそれに従ってる。
こんなことあり得ない世界だったのに、それがあっさり横たわっている。

でもそういう人が「善良」で「正しい」
それ以上の答えがなくて、その答えは太刀打ちできないほど強い。
テレビじゃなくてネットを見ても、好感度抜群の、私だってファンな人たちが
「一緒にがんばろーーー♡」と笑顔で歌っている。
その様子は立派で素敵で、何の非の文句も打ちようもないんだけど、でも一方でうまくできた広告塔を見せられているような。

的確な言葉で論破ができなくてもどかしい。
ただ、こんなのおかしいということだけ強く感じる。

ああこんなこというと、いつか偉い先生というのか教学部長というのか大幹部というのか家に来たことを思い出すわ。
私よりずっと頭がよくて、知識も豊富で、弁も立って、立場も上で、人格も教養もあって、言うことは正論で、確かにそれはそうなんだけど…でも言ってることが届かなかった。響かないというか、入ってこないというか。

今ここでこれを読めと、整えられたマニュアルを見せられると、あの時と同じものを感じる。
それは確か。
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夫との会話2

2020-05-04 | 娘と夫の話
夫と、「私が死ぬ時のことについてズバズバ話した。
こういうことをケロッと言うのは、私と長い付き合いの夫は了承済みである。

これは私があくまで私自身が自分をいうことなんだけど、
言いたいことを言って、書きたいことを書いて、好きなものを食べて、ゲラゲラ笑っている
私にとって、これが私の「生きている定義」と思う。
これができなくなったら私は生きている意味がないし、生きているにはカウントしないんだよね。

ただ横たわって手とか握られて「オマエは息してるだけでいい」なんて言われたら滅茶苦茶キショイわ
むしろ迷惑。
だから自分で息ができるうちに言っとく。
「人工呼吸器は絶対につけないで」

心優しい家族は、私が口をきけなくなったら血迷って何しでかすかわからない。
くれぐれも私の意思をコントロールするなよ。
私をしおらしくベッドに縛り付けたら、死んでから相当タチのわるいゴーストになって仕返しするわ( ̄∇ ̄)
そういうものにビビリな奴の前で暴れたるで~( ̄∇ ̄)

これはあくまで海個人の感覚ですよ。
他人に押し付けようとは思わないよ。

これさえ整えればいいみたいに言われる人工呼吸器って万能の神様じゃない。
一度喉を切開して一たびそれを享受したら、後にピンピンになって復活して治るわけじゃない。
残酷なことを言うようだけど、だいたいがそれなしでは生きられなくなる。

「延命治療」と「生きること」を私は考える。
生きてるって、ただ息をしていることだろうか。
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