の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

刺田比古社

2010年04月26日 02時24分03秒 | 近畿(三重、和歌山)
■拜殿■
(8th December 2007)



★刺田比古社★ 和歌山県和歌山市片岡町2-9

・延喜式内社、紀伊國名草郡、刺田比古社。

・舊社格は縣社。

・祭は道臣命(大伴氏祖)、大伴佐氐比古命(道臣命十世孫)。

・「刺田比古」という社名のことであるが、記紀を間違った読み方などをして、誤った解釈を多く後世に残すことになった國学者本居宣長は、根拠のない都合
のいい解釈をし、「刺田」を「刺國」の誤りだとして大國主命の父にあたる刺國彦命を祀る社と捉えている。そのために『紀伊國名所図會』や『紀伊續風土記』はこの説に従うという事態にまで発展している。そもそも、この近辺には大國主命を祀る社が数多く、名を誤ることは考えにくい。『和歌山縣史』(大正三年)引用の刺田比古社史によると、「刺田比古」は「サデヒコ」と読むべきだとしている。祭の佐弖比古命の表記違いの名が、次第に本来の読みを失ったことによるのではないかと推測している。『明治社誌料』などは、この説を踏襲したと思われる。それに対し、『甲斐國一之宮淺間社誌』(昭和五十四年)に掲載されている「古屋家家譜」。淺間社の社家で、大伴氏の流れを汲むという家柄だが、そこに、刺田比古命というのは道臣命の父であり、しかも道臣命は「生紀伊國名草郡片岡之地」とあり、片岡の里に生まれたと傳えている。他の大伴系図とは異なるのであるが、後世の偽造にあわずにこれが唯一の眞實を傳える系図かも知れない。そうなると、刺田比古社は本来はさらに一代の祖先刺田比古命を祀った社であると考えられる。

・佐氐比古命二十世の裔大伴武持が岡の里に住むに及び、大伴氏発祥であるこの地に祖、祖靈を祭祀したのが創祀という。

・天正年中、豐臣秀吉が和歌山城を築くにあたり本城鎭護の神として尊び、大伴の後裔岡本左介を社司とした。

・元和年中、徳川宣が紀州入城すると、城の守護たるこの社を崇敬し、社殿を修築し社寶を奉献、更に領地を寄進し、宮司を別当職として松生院に居住させた。

・八代將軍吉宗誕生の時、主岡本周防守長諄が仮親となったことから、吉宗より特別に崇敬をうけた。それより、「徳川吉宗公拾い親」ともいわれる。

・主岡本長刻より代々三年に一度上東し將軍に拜謁し、代替、繼目等の際は江戸にて拜謁する例となった。

・通称岡の宮。


■鳥居■
(8th December 2007)



■手水舎■
(8th December 2007)



■參道■
(28th April 2009)



■拜殿■
(8th December 2007)

(28th April 2009)
 


■本殿■
(28th April 2009)



■末社群■
(8th December 2007)



■末社辨財天社■
(28th April 2009)


 祭神は市杵島姫命。


■末社楠龍発達社■
(28th April 2009)



■末社金刀比羅社および宇須賣社(一殿)■
(28th April 2009)


 金刀比羅神社に大物主命、宇須賣神社に宇須賣命を祀る。


■『紀伊國名所図會』岡の宮の図■
(28th April 2009)
 


((コメント))

2007年12月8日

 以前二回とも和歌山城に行った時に地図を持っていなかった為か、発見できずにいた刺田比古社へついに到着。ここは、一般には江戸幕府八代将軍徳川吉宗の拾い親で知られているのであるが、特にその辺りにはまったく興味のない自分としては、行くには別の事情があった。大伴大連の祖を祀っている事から一般に大伴氏の氏として知られているのであるが、ここはまた大伴氏の一族といわれる紀伊國に広く分布した榎本連の氏でもあるのだ。大伴氏の氏がここにあり、大伴氏の没落を考えると、この地は大伴氏には重要な地方であって、榎本連というのは大伴の有力な位置にいたのではないのか、と思うわけだ。だから、熊野でも、古代では新宮別当が多かったのに鈴木、宇井の陰に隠れていったのもこの大伴の没落と関係があるのかもしれない。

 ところで、結婚式のあと宮司さんが話しかけてくれたのでしばし話をしてきた。表向きは大伴しか名を出していないのであるが、榎本連の祖である事も承知されているので、名を言った時に「おっ」という反応があった。宮司さんの先祖もまた有名な人で、今は岡本であるが、元は岡という名を名乗り、ゲーム「信長の野望」にも出てくる雑賀五人衆の一人で鉄砲の名手といわれ、本願寺の戦では織田信長に重傷を負わせた狙撃部隊を率いた大将であったといわれる岡吉正の長男の家系だそうだ。時に長男は出家していたために弟が跡を繼ぎ、長男は本家をはばかり、岡本としたそうだ。でも、由緒をよむと元々は岡本氏だったように思う。ちなみに、宮司さんは、和歌山出身の俳優で有名な小林稔侍さんの高校の同級生だそうで、今年の正月の特番であった「徳川吉宗」をするに当たって他の俳優とともに来られて話もされたそうだ。


2009年4月28日

 思うところがあり、刺田比古社へ再び參ってきた。二度目である。おそらく、これが最後になるとは思うけれど。今回来てことさら思うが、名草と比べると、距離的には非常に近いのに氣が全く違う種類のもののように感じ、非常に軽い。実際のところ、境内に隣接して古墳があり、本来、祀っていた対象が、道臣命の父刺田比古命であるとすれば、を感じて、お告げを聞いて、その地に創建とかではないであろうから、古代より祀られたる社とはやはり異なるものなのであろう。


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