の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

陸奥國一之宮八槻都都古別社

2010年05月03日 22時59分13秒 | 東北(岩手、宮城、福島)
■本殿■
(14th June 2008)
 


★陸奥國一之宮八槻都都古別社★ 福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮224

・延喜式内社、陸奥國白河郡、都都古和氣社、名大、論社。

・舊社格は國幣中社。

・祭は味耜高彦根命、日本武尊を配祀。

・明治四年(1871)の太政官府によって、馬場の近津明が延喜式名大社の都都古和氣社とされ國幣中社に列せられた時に、八槻の近津明が抗議し論争の結果、明治十八年(1885)、両社並立という異例の処置により八槻の近津明も國幣中社に列せられた。

・社傳によると、日本武尊が東征のおり、八溝山の夷族の大將と戰い、勝敗がつかず、そこに、面足尊、惶根尊、事勝國勝長狭命の三が出現し、味耜高彦根命の鉾を授けたという。日本武尊は、その鉾を今の鉾立山に立てかけ、東に向かって矢を放ち、矢の到達した場所に社殿を建て味耜高彦根命を祀り、その加護により勝利をおさめたという。

・日本武尊は東征のおり、千回戰い千回勝ったといわれ、八幡太郎義家は、社号を千勝明と改め、現在は「ちかつさん」と呼ばれている。

・久慈川に沿って、近津と呼ばれる社が三社存在し、その鎭座地から、馬場の都都古和氣神社を上之宮、八槻の都都古別社を中之宮、茨城県の近津社を下之宮とし、近津三宮ともいうらしい。

・紋は、丸に引両。

・足利時代に白河結城氏並びに水戸佐竹氏より数度寄進あった。また、川光圀の尊崇厚く御寶の奉納あり社殿修復の際には白銀二百枚を寄進されたという。


■境内遠景■
(14th June 2008)


 
■鳥居、社號標■
(14th June 2008)
 


■隨門■
(14th June 2008)



■拜殿■
(14th June 2008)



■本殿■
(14th June 2008)
 


■末社皇朝工祖社■
(14th June 2008)



■末社熊野社■
(14th June 2008)



■社務所■
(14th June 2008)



■夫婦杉■
(14th June 2008)



■鳥居近くの豪華な民家■
(14th June 2008)



((コメント))

2008年6月14日

 午前六時半に着。なかなかいいところであった。初めての東北であったので、そこらじゅうに熊が居るのを期待していたが、居そうではなく殘念だったのが、第一印象。近くに、ものすごく格好いい屋根の建物。宮司宅なのかも知れないが不明。静かで、ひんやりとしてなかなか心地よい境内であった。


最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。