■拜殿■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ce/3f22951152bcdac550d1f862c8ed4e90.jpg)
★陸奥國一之宮馬場都都古和氣社★ 福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39
・延喜式内社、陸奥國白河郡、都都古和氣社、名大、論社。
・舊社格は國幣中社。
・祭は味耜高彦根命。日本武尊を配祀。本来、都都古和氣は面足尊、惶根尊、事勝國勝長狭命、大己貴命,味耜高彦根命、少彦名命、事代主命を合祭したのことという。
・社傳によると、立鉾山に日本武尊が鉾を建て、三森に都都古和氣を祀ったのが創祀という。
・大同二年(807)に坂上田村麿が伊野荘(現棚倉城跡)に奉遷し、寛永元年(1624)、棚倉城築城のため、当社へ遷座。
・紋は、珍しい鳳凰紋で、大鳥大社と同じため、個人的には、日本武尊伝説を八槻都都古別社の由緒に結び付けた別の社が前身ではないかとも考える。
・近世まで近津明と呼ばれていた。
■參道石段、鳥居■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/50/7375229e0caae3c8062168d537be4f90.jpg)
■隨門■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/ac/62f4605e26047b31a8fd3a7022bc301a.jpg)
■拜殿■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/a2/51c22fb5b7208e501c8e9f6d91b0960d.jpg)
■本殿■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c8/b24960753ad6bf73f7ccf6a101fa8af2.jpg)
■末社東照宮■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/95/eddca217d616be5c530381145bf9dc18.jpg)
■末社熊野社■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/1c/9e28ff11fb1f481b35a414e3f97aac1d.jpg)
■舊社地棚倉城跡、木■ 福島県東白川郡棚倉町
(14th June 2008)
((コメント))
2008年6月14日
棚倉城跡に本来鎭座していたが、丹羽長重により築城のために遷宮させられた馬場都都古和氣社。八槻都都古別社とは、なんやらもめて、結局並立して陸奥國一之宮となったところらしいが、どちらがどういった関係なのか、というのも不明。由緒も似ているのに、共通の祭りはない。つまり、そういう社なのである。近くまではすぐにいけたのであるが、そこから少し迷ってしまった。
八槻と同様に隨門がある。ただ、社の規模から思うに、八槻よりも馬場のほうが大きい。丹羽が金を出したのであろう。こちらのほうが、立派であることは否定できない。まあ、個人的には、八槻も馬場もいい感じであるのが本心。參道から社殿の眺めもよい。城跡のような境内であるように感じる。本殿後方の少し高いところに東照宮があった。丹羽の意向だろう。しかし、城郭のためとはいえ、舊鎭座地を退去させられたということは悲しい限りである。
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ce/3f22951152bcdac550d1f862c8ed4e90.jpg)
★陸奥國一之宮馬場都都古和氣社★ 福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39
・延喜式内社、陸奥國白河郡、都都古和氣社、名大、論社。
・舊社格は國幣中社。
・祭は味耜高彦根命。日本武尊を配祀。本来、都都古和氣は面足尊、惶根尊、事勝國勝長狭命、大己貴命,味耜高彦根命、少彦名命、事代主命を合祭したのことという。
・社傳によると、立鉾山に日本武尊が鉾を建て、三森に都都古和氣を祀ったのが創祀という。
・大同二年(807)に坂上田村麿が伊野荘(現棚倉城跡)に奉遷し、寛永元年(1624)、棚倉城築城のため、当社へ遷座。
・紋は、珍しい鳳凰紋で、大鳥大社と同じため、個人的には、日本武尊伝説を八槻都都古別社の由緒に結び付けた別の社が前身ではないかとも考える。
・近世まで近津明と呼ばれていた。
■參道石段、鳥居■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/50/7375229e0caae3c8062168d537be4f90.jpg)
■隨門■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/ac/62f4605e26047b31a8fd3a7022bc301a.jpg)
■拜殿■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/a2/51c22fb5b7208e501c8e9f6d91b0960d.jpg)
■本殿■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c8/b24960753ad6bf73f7ccf6a101fa8af2.jpg)
■末社東照宮■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/95/eddca217d616be5c530381145bf9dc18.jpg)
■末社熊野社■
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/1c/9e28ff11fb1f481b35a414e3f97aac1d.jpg)
■舊社地棚倉城跡、木■ 福島県東白川郡棚倉町
(14th June 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/02/71fafda682532938a1dfa24487256796.jpg)
((コメント))
2008年6月14日
棚倉城跡に本来鎭座していたが、丹羽長重により築城のために遷宮させられた馬場都都古和氣社。八槻都都古別社とは、なんやらもめて、結局並立して陸奥國一之宮となったところらしいが、どちらがどういった関係なのか、というのも不明。由緒も似ているのに、共通の祭りはない。つまり、そういう社なのである。近くまではすぐにいけたのであるが、そこから少し迷ってしまった。
八槻と同様に隨門がある。ただ、社の規模から思うに、八槻よりも馬場のほうが大きい。丹羽が金を出したのであろう。こちらのほうが、立派であることは否定できない。まあ、個人的には、八槻も馬場もいい感じであるのが本心。參道から社殿の眺めもよい。城跡のような境内であるように感じる。本殿後方の少し高いところに東照宮があった。丹羽の意向だろう。しかし、城郭のためとはいえ、舊鎭座地を退去させられたということは悲しい限りである。