の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

雑記5 『志摩國一之宮』

2010年06月06日 10時54分45秒 | 雑記
 一般には、志摩國一之宮として皇大宮別宮の伊雑宮と安樂島の伊射波社が擧げられ、全國一の宮会に両社とも加入しています。實際、志摩國の一之宮と呼ばれる社は延喜式神名帳にある「粟島坐伊射波社二座」であるべきと考えられていて、上に二社はその論社とされております。しかし、よく考えると、伊雑宮は論社として適当では内容に思われるのです。

 伊雑宮は、そもそも皇大宮別宮として、皇大宮に含まれていたのでございます。もちろん、別宮でも延喜式内社は存在しております。その場合は、名稱は「社」ではなく「宮」として記されております。そうなると、安樂島の伊射波社こそ、『延喜式』名帳記載の粟島坐伊射波社二座に相當するのか、と考えるのですがそれもまた不確かなのでございます。ただ、この他に、粟島坐伊射波社に比定し得る社が今のところ見つけられておりません。現在は、伊射波社とし、一之宮を名乗ってますが、中世以前の記録では、かつて伊射波社と名乗っていたかは不明でございます。その昔は、加布良古明とされており、不明でなのです。ただ、江戸時代には、粟島坐伊射波社である思われていたので、當時、そこそこの社ではあったと思われます。實際、伊勢宮關係のものにも加布良古の名は出ており、古社であることに違いはありません。延喜式にある伊射波社、もしかしたら別にあり、すたって廃社になってる可能性も無きにしも非ずかもしれませんが。

 全國一の宮会に加入している社が本來の一之宮か、というとそうでないところも多いのです。鶴岡八幡宮も鎌倉幕府の權力によるもので、本来の一之宮ではないですし、武藏の一之宮小野社は加入しておらず、本来、三之宮であったはずの氷川社が加入していたりするわけですから。


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