■社殿■
(9th June 2008)
★遠江國一之宮小國神社★ 静岡県周智郡森町一宮字澤3956-1
・延喜式内社、遠江國周智郡、小國社。
・舊社格は國幣小社。
・祭は、大己貴命。
・「小國」という社名は、出雲の「大國」に対する遠江の美稱であるとされる。
・創建時期は不明だが、社傳によれば、欽明天皇十六年(555)二月十八日、現在地より六キロほど離れた本宮山に靈が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まるという。このときに正一位の階が授けられたと社傳にはあるが、國史での當社の初見である『續日本後紀』承和七年(840)六月十四日條では、遠江國周智郡の無位の小國天に從五位下を授け奉るという記録があり、六國史終了時の階は從四位上。
・當社を一之宮として記載する史料の最初は、文暦二年(1235)の「当國鎭守小國一宮」という記述であり、江戸時代には「一宮社」と稱した。
・本宮山山頂には奥宮として奥磐戸社が祀られているが、その社域には杉の古木が立ち、眼下には遠江國が一望される。
・事待池のことより、許當麻知社、事任社とも呼ばれた。
・中世以降、朝廷の衰退により勅使が廃れたが、室町時代、戰國時代を通じて祭祀が途断えなかった。
・元龜三年(1572)、甲斐の武田信玄が遠江に侵攻した際、當社職は徳川家康に味方したという。
■一の大鳥居■
(9th June 2008)
■末社飯王子社■
(9th June 2008)
・祭は保食。
・社傳や古老によれば、昔、遠州横須賀地方に毎年、早天長雨のために五穀實らず住民がこぞって一之宮に詣で祈り、豆を捧げたところ村長の靈夢に「瑞殿を横須賀の方に向け保食を飯王子社と稱へ奉らば五穀みのらむ」という託があったらしい。
■參道、橋■
(9th June 2008)
■手水舎■
(9th June 2008)
■鉾執社■
(9th June 2008)
・社に奉仕された先祖代代の社家人の魂を仰ぎ本社の愈愈の御の御発揚を祈念し、人和樂主家を始めとする社家四十一家の祖先に感謝し社頭の隆昌人後裔の繁榮と加護をを祈念しと人との嚴鉾の中執持の功績を稱へ鉾執社として鎭祭されている。
■參道■
(9th June 2008)
■勅使參道杉竝木■
(9th June 2008)
森町指定文化財
・人皇第二十九代欽明天皇の御代に奇瑞ありて天聴に達し正一位の階を授けられた。
・大寶元年(701)春十八日勅使が參向し十二段の舞樂を奉奏、以來毎年勅使奉幣し舞樂と奉奏せられた當時の勅使參道跡。
・一般參拜者は通行しない。
■事待池と八王子社■
(9th June 2008)
・祈願に來て、心願が成就すれば鯉を放つということから「事を待つ」ということで事待池となったらしい。
・池の水をいぼに塗るといぼが取れるということで「いぼとり池」ともいうらしい。
・八王子社祭は市杵島媛命、正勝吾勝勝速日天忍穗耳命、天之菩卑能命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命、多紀理毘賣命、多岐津比賣命。
■全國一宮等合殿社■
(9th June 2008)
・延寶八年(1680)の社記、諸古文書の社頭配置図によると全國一宮等御祭七三柱が境内社として各所に祀られていた。
・明治の初めに本社燒失時または腐朽等により明治十五年(1882)より境内末社八王子社に仮に合祀されたものを平成元年(1989)十二月氏子崇敬者の守護として復興、鎭祭された。
■木「駒止の杉」■
(9th June 2008)
■舞殿■
(9th June 2008)
■拜殿■
(9th June 2008)
■本殿■
(9th June 2008)
((コメント))
2008年6月9日
午前七時ごろに遠江國一之宮小國社に到着した。土砂降りのせいもあり、まだ薄暗い状態であった。雨にたたきつけられて、足は出だしからびしょびしょ・・・ 傘を差しながら雨に打たれ、參道を本社のほうへと進む。霧が立ち籠もり、幻想的で好きな感じではある。事待池と八王子社周辺はなかなか美しい景色。ただ、雰囲氣は不氣味な感じで晴れ晴れしい氣などは存在しない。實際、雨天ということもあるが、全體に暗い系の氣ではあるも重みがあり、幻想的でいい雰囲氣を社が出しているのがわかる。
朝早く、激しい雨天のため人は誰もいないと思っていたら、障害を持っているらしき老女が熱心にお祈りをされている最中であった。私が帰るときも、まだ祈り續けられていたが、彼女にのご加護があるように願う。
(9th June 2008)
★遠江國一之宮小國神社★ 静岡県周智郡森町一宮字澤3956-1
・延喜式内社、遠江國周智郡、小國社。
・舊社格は國幣小社。
・祭は、大己貴命。
・「小國」という社名は、出雲の「大國」に対する遠江の美稱であるとされる。
・創建時期は不明だが、社傳によれば、欽明天皇十六年(555)二月十八日、現在地より六キロほど離れた本宮山に靈が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まるという。このときに正一位の階が授けられたと社傳にはあるが、國史での當社の初見である『續日本後紀』承和七年(840)六月十四日條では、遠江國周智郡の無位の小國天に從五位下を授け奉るという記録があり、六國史終了時の階は從四位上。
・當社を一之宮として記載する史料の最初は、文暦二年(1235)の「当國鎭守小國一宮」という記述であり、江戸時代には「一宮社」と稱した。
・本宮山山頂には奥宮として奥磐戸社が祀られているが、その社域には杉の古木が立ち、眼下には遠江國が一望される。
・事待池のことより、許當麻知社、事任社とも呼ばれた。
・中世以降、朝廷の衰退により勅使が廃れたが、室町時代、戰國時代を通じて祭祀が途断えなかった。
・元龜三年(1572)、甲斐の武田信玄が遠江に侵攻した際、當社職は徳川家康に味方したという。
■一の大鳥居■
(9th June 2008)
■末社飯王子社■
(9th June 2008)
・祭は保食。
・社傳や古老によれば、昔、遠州横須賀地方に毎年、早天長雨のために五穀實らず住民がこぞって一之宮に詣で祈り、豆を捧げたところ村長の靈夢に「瑞殿を横須賀の方に向け保食を飯王子社と稱へ奉らば五穀みのらむ」という託があったらしい。
■參道、橋■
(9th June 2008)
■手水舎■
(9th June 2008)
■鉾執社■
(9th June 2008)
・社に奉仕された先祖代代の社家人の魂を仰ぎ本社の愈愈の御の御発揚を祈念し、人和樂主家を始めとする社家四十一家の祖先に感謝し社頭の隆昌人後裔の繁榮と加護をを祈念しと人との嚴鉾の中執持の功績を稱へ鉾執社として鎭祭されている。
■參道■
(9th June 2008)
■勅使參道杉竝木■
(9th June 2008)
森町指定文化財
・人皇第二十九代欽明天皇の御代に奇瑞ありて天聴に達し正一位の階を授けられた。
・大寶元年(701)春十八日勅使が參向し十二段の舞樂を奉奏、以來毎年勅使奉幣し舞樂と奉奏せられた當時の勅使參道跡。
・一般參拜者は通行しない。
■事待池と八王子社■
(9th June 2008)
・祈願に來て、心願が成就すれば鯉を放つということから「事を待つ」ということで事待池となったらしい。
・池の水をいぼに塗るといぼが取れるということで「いぼとり池」ともいうらしい。
・八王子社祭は市杵島媛命、正勝吾勝勝速日天忍穗耳命、天之菩卑能命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命、多紀理毘賣命、多岐津比賣命。
■全國一宮等合殿社■
(9th June 2008)
・延寶八年(1680)の社記、諸古文書の社頭配置図によると全國一宮等御祭七三柱が境内社として各所に祀られていた。
・明治の初めに本社燒失時または腐朽等により明治十五年(1882)より境内末社八王子社に仮に合祀されたものを平成元年(1989)十二月氏子崇敬者の守護として復興、鎭祭された。
■木「駒止の杉」■
(9th June 2008)
■舞殿■
(9th June 2008)
■拜殿■
(9th June 2008)
■本殿■
(9th June 2008)
((コメント))
2008年6月9日
午前七時ごろに遠江國一之宮小國社に到着した。土砂降りのせいもあり、まだ薄暗い状態であった。雨にたたきつけられて、足は出だしからびしょびしょ・・・ 傘を差しながら雨に打たれ、參道を本社のほうへと進む。霧が立ち籠もり、幻想的で好きな感じではある。事待池と八王子社周辺はなかなか美しい景色。ただ、雰囲氣は不氣味な感じで晴れ晴れしい氣などは存在しない。實際、雨天ということもあるが、全體に暗い系の氣ではあるも重みがあり、幻想的でいい雰囲氣を社が出しているのがわかる。
朝早く、激しい雨天のため人は誰もいないと思っていたら、障害を持っているらしき老女が熱心にお祈りをされている最中であった。私が帰るときも、まだ祈り續けられていたが、彼女にのご加護があるように願う。