の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

大戸社

2010年10月14日 00時08分02秒 | 関東(栃木、茨城、千葉、群馬)
■社殿■
(13th May 2009)



★大戸社★ 千葉県香取市大戸521

・舊社格は縣社。

・祭は天手力男命とされるが、これは「大戸」の「戸」に付会したものであり、『日本地理志料』では天島船命、とし、また、『下總國舊事考』において清宮秀堅は「天島船命荒魂」であるべし、としている。これは、鹿島宮第一攝社息栖社の祭と同じである。ちなみに、息栖社、香取宮、大戸社は東西同一線上に竝ぶ。

・社傳によれば、日本武尊東征の際、蝦夷征伐祈願のために大戸の地に創建したのが始まりとされる。

・下總國一之宮香取宮の第一末社。

・老尾社と共に、香取宮大禰宜家香取氏が祀官として祭る社。

・香取宮が特別に重視する二社が大戸社と老尾社であり、大戸が多氏、老尾が物部氏という關係になるとされる。

・大戸社が延喜式内社でないのは香取宮に含まれていたからであると考えられる。

・『下總國舊事考』では、清宮秀堅が「此祠ハ香取ノ攝社ナレド、祠員三十余名アリテ、他ノ祠ト異ナリ。已ニ本宮第一ノ末社タル側ノ社ニテモ、祠員ハ一人ナリ。鹿島ノ攝社ノ第一タル息栖社ニテモ、祠員ハ一、二人ノミ。然ルヲ、香取ニ次ギ、三十余人ノ祠員アリテ、殊異ノ祭ノアリ」とあり、香取宮より特別な扱いを受けていたことがわかる。

・鹿島宮の跡宮および本殿は、大戸社の東北東三十度の夏至日の出方位にあり、鹿島宮から見ると大戸社は冬至の日没方位に當たり、さらに夏至の日没方位に鹿島宮末社大生社があり、鹿島と大戸、鹿島と大生は共に内海に隔てられていた。


■鳥居■
(13th May 2009)

 

■社號標■
(13th May 2009)
 


■參道■
(13th May 2009)
 


■拜殿■
(13th May 2009)



■本殿■
(13th May 2009)
 


■寶物庫■
(13th May 2009)
 


■木■
(13th May 2009)

 


■末社石祠群■
(13th May 2009)
 


((コメント))

2009年5月13日

 大戸社は、道路地図にて赤字であったので行くことにしたところ。香取宮と鹿島宮を考える上で非常に重要な社のようである。

 社に參った折、地元のおばあさんが声を掛けてこられた。車のナンバープレートを見て、「遠いところから參ったんじゃねえ」というようなことを言われて、少し話をした。

 社の境内、人の少ない村の中にあるためか、ひっそり、ひんやりとしていて、心地のよいところであった。


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