の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

東大谷日女命社

2010年10月09日 18時50分22秒 | 近畿(奈良)
■鳥居■
(12th February 2003)



★東大谷日女命社★ 奈良県橿原市畝傍町字唐院69

・延喜式内社、大和國市郡、東大谷日女命社、論社。

・延喜式内社、大和國市郡、畝火山口坐社、大、月次新嘗、論社。

・祭は姫蹈鞴五十鈴姫命。江戸時代には、熊野權現と稱しており、祭は、伊弉册尊であった。明治二十年(1887)頃から、當社を式内東大谷日女命社であるとし、祭を功皇后へ変え、明治三十五年(1902)、姫蹈鞴五十鈴姫命に再度の変更。

・創建由緒等不詳。


■拜殿■
(12th February 2003)



((コメント))

2003年2月12日

 橿原宮の東のほうから大和三山の一つ畝傍山を登るときにある社。祀られているのは人皇第一代カムヤマトノイワレビコ大王〈武天皇〉の后に當たる。ものすごく美人であったそうだ・・・ やはり、英雄色を好む、ということか。

狹井坐大荒魂社(狹井社)

2010年10月09日 18時48分15秒 | 近畿(奈良)
■社殿■
(18th May 2008)



★狹井坐大神荒魂神社★ 奈良県桜井市大字三輪字狭井

・延喜式内社、大和國城上郡、狹井坐大荒御魂社五座、鍬靫。

・祭は、大荒魂、大物主、姫蹈鞴五十鈴姫命、勢夜陀多良姫命、事代主。

・明治十年(1877)、官幣大社大社攝社に指定。

・垂仁天皇の御世に創祀と傳わる。

・本殿横の井戸水は、昔から藥水と呼ばれ、この井戸水を掬めば諸病が免がれると傳えられている。

・古來、鎭花祭の行われるを以って有名である。

・明治維新の當時、廃絶状況であったという。


((コメント))

2008年5月18日

 三輪山登山口があるので行く。社殿の背後からは水が出ており飲むことができる。しかし、不思議なことに、この社に來るたびにいつでも社殿では、御祓いなど何らかの儀式が行われている。淨化のお手傳いに勝手に呼ばれているのかね。

長宗我部信親墓所

2010年10月09日 18時44分48秒 | 歴史上人物の墓所
■長宗我部信親墓所■
(12th November 2008)



★長宗我部信親墓所★ 大分県大分市大字上戸次

 長宗我部信親は、四國を統一した元親の嫡男に当たる。母親は、明智光秀の重臣齋藤利光の義理の妹である。四國統一後、豐臣秀吉に交戰し、破れ、土佐一國の大名に戻り、秀吉の島津討伐に從ったのだが、このとき大將を務めた無能の仙石秀久の無謀な進撃案に反對するも立場的に從わざるをえず、結局、負け戰で大將が瞬く間に敗れ、崩れることになったときに、信親は土佐勢の中備え千名を率いて、勇敢に島津の主力部隊と戰ったのである。しばらくは撃退していたが、周りの味方を破った島津兵たちに周りを囲まれついには、有力家臣たちが全滅していく中、壮絶な討ち死にをしたのである。このときに相手方の島津重臣新納忠元は、その素晴らしかった若武者に感じ入り、遺体をそのまま丁重に返還したという。ちなみに、この後、元親は期待していた嫡男の死に狂い、別人のごとくなり、跡繼ぎ問題においては、次男、三男を差し置き、四男盛親に繼がせ、信親の血を殘すためにその娘と結婚させたという。元親は跡繼ぎ問題に反對した甥の吉良親實や従兄弟の比江山親興を殺している。結局、信親の死は非常に大きく禍根も殘し、一族衰退、そして滅亡の遠因にもなっている。
 ちなみに、信親の「信」の字は織田信長により与えられたもので、實際、信長が信親の噂を聞いたとき、自らの養子に迎えたいと述べたという逸話もある。  


((コメント))

2008年11月12日

 長宗我部信親墓所に立ち寄った。小さな墓地の一角にあり、他に鎧塚というものもあった。豐臣秀吉の薩摩島津討伐に際し、一軍の大將をした仙石秀久の不出來のために、島津隊の主戰力隊に囲まれ、激戰の上、若くして一生を終えた勇將の冥を祈った次第。

桂原八幡社

2010年10月09日 18時41分02秒 | 近畿(奈良)
■鳥居、拜殿■
(18th February 2003)


★桂原八幡社★ 奈良県吉野郡黒滝村桂原小字森口59

・祭は譽田別命。

・創立年代等不明であるが、境内には桂原の起源とされるカズラ(葛)の古木が茂り、古い木造像や天明七年(1787)の銘をもつ木造狛犬などが殘されている。

・桂原(長男)、笠木(次男)、長(三男)の社は兄弟だといわれ、近年まで祭日の順序も決まっていたという。

・村の老人や傳承曰く、往古旱天時には社前の橋の下にある淵の水を傍らの隂石にかけて雨請をした、とのこと。

・境内には保食(稻荷)、山の、毘沙門天王を祀る小祠あり。

・丹生川の上流に位置し、雨乞いなどの傳承からも現在は八幡を祀るが本來は水を祀っていたことが推測される。


■本殿■
(18th February 2003)



■淵■
(18th February 2003)



((コメント))

2003年2月18日

 最後に、黒滝村にて帰り道に社を発見したので立ち寄ることにした。川にはごみなども見られたが、社前の川の流れはいい氣を持っており、なかなか社自体にも好感を感じた。社の脇も色色と彷徨ってみたが非常にいい印象であった。