はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

明智光秀が築いた福知山城へ

2021-02-01 18:10:50 | 知らない街をぶらり
大河ドラマ「麒麟がくる」もいよいよクライマックスを迎えようとしています。
結末は誰もが知っているのですが、明智光秀がなぜ信長を討ったのかは謎に包まれたままです。
「麒麟がくる」では、「そんなんウソやろう」とツッコミを入れたくなる場面も多くありましたが、謎の多い明智光秀を面白く描いていました。

その明智光秀が築城した福知山城を訪ねました。




今の福知山城は昭和61年に再建されたもので、江戸時代はじめの頃の姿だそうです。




信長から丹波攻めを命じられた光秀は、5年近くをかけて丹波を攻略することに成功しました。1579年のことです。




その年に福知山に城を築き、城代として明智秀満(明智左馬之介)を入れました。




「本能寺の変」が起こるのは、それから3年後の1582年のことです。




本丸までやって来ました。




天守台の石垣は野面積(のづらづみ)という積み方です。




石垣に境目のあるのがわかりますが、右側が光秀が築城した頃のものです。その頃の規模がわかります。




石垣には転用石といって、墓石や五輪塔、宝篋印塔などが使われています。




天守閣からの眺めです。残念ながら雨空でした。




福知山城に来た時から横を走る山陰本線の線路が気になっていました(笑)
しばらく待っていると、福知山駅を出発した「特急きのさき」が、京都駅に向かって走って行きました。




大河ドラマの影響は大きいようで、福知山城にもそこそこの人が訪れていました。
以前、「真田丸」では上田城、「江〜姫たちの戦国〜」では小谷城と、ブレークしたのを思い出しました。


※訪問日 2021.1.31


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2 コメント

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Unknown (takayan)
2021-02-02 00:49:23
こんばんは。
和歌山の翌日はは福知山ですか。
流石にはりさんの行動力はすごいですね。
takayanは、毎日自宅に篭ってテレビの守りです(笑)

いよいよ大河ドラマ「麒麟がくる」も次回はクライマックスの本能寺ですね。
光秀自信は本能寺には出向かなかった、との説もあるとか?
色々と謎が多いのでしょうが、ドラマを見ていると
信長が本当の悪者に思えて来たりします。
それにしてもあの時代の数ある戦の中で、少し局面が違っていたなら、
今の日本はどうなっていたのだろうか?
もしも関ヶ原での結果が変わっていたなら?
日本史なんて全くわからないtakayanでもそんな事を
思ったりしながらドラマを楽しんでいます。
歴史に疎い者には、演出されたドラマがまるで真実ように思えてきたりして・・・(笑)

福知山城は遠くから見た事がありますが、行った事はありません。
石垣は当時の物も残っているのですね。
転用石は安土城跡の石段にもいくつかありました。
それにしても墓石まで転用するとは、築城をできるだけ早くするための手段でもあったのでしょうね。

朝ドラや大河ドラマのロケ地などは一躍有名になり、
一時的に観光地として賑わいます。
NHKの朝ドラや大河ドラマは、各地の観光宣伝も兼ねているようですね。
Unknown (はりさん)
2021-02-02 09:02:15
takayanさん
おはようございます。
コロナには十分注意しながら出歩いておりますのでご安心ください。
大河ドラマはやはり戦国時代のものが一番面白いですね。
群雄割拠の時代に生きた人物は誰もがドラマの主人公になれそうです。
その中でも戦国時代の好きな人物の1位はやはり信長のようです。
信長が生きていたら日本史も随分と変わったような気がします。
そんな想像を働かせながら歴史を考えるのも面白いですね。
石垣に使われた転用石は安土城でも見ましたが
最近ではわざわざ見えるところに転用石を使ったのは
何か特別な意味があったのではと考えられているようです。
それにしても大河ドラマの影響は大きいですね。
以前小谷城を訪ねたときには臨時駐車場やドラマ館?がありました。
今はあとかたもありませんが‥。
いつもありがとうございます。

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