はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

司馬遼太郎記念館のこと

2015-09-15 19:59:07 | 大阪のまちをぶらり
司馬遼太郎記念館を訪問しました。
記念館は、大阪ならどこにでもあるような、ごちゃごちゃとした街の一角にあります。しかし、そこだけが、別世界のような佇まいで建っています。
(記念館の玄関)

お庭を進むと、書斎があります。ここで数々の名作を書いていたのですね。そして、執筆に疲れるとソファーでお庭を眺めながら休憩をしたのでしょう。きっと大好きな煙草をふかしながら。
(ゆったりとした書斎です)
書斎から眺めるお庭は、司馬遼太郎が好きだった雑木林のイメージでつくられているそうです。司馬遼太郎の視線でお庭を眺めて見ました。
(書斎の前から眺めるお庭)

お庭を抜けると、安藤忠雄設計の建物です。
(いかにも安藤忠雄の設計です)
中に入ると、目に飛び込んでくる、高さ11メートルの壁面いっぱいの書棚に圧倒されます。資料・自著・翻訳など2万冊の蔵書が展示してあるとのことです。(残念ながら館内の撮影は禁止でしたが、ネットで調べると、その書棚が出ています)
趣味が「資料を読みあさること」という司馬さんらしい逸話も聞きました。『龍馬がゆく』を執筆した時、神田の古本屋から資料を買い集めたので(3千冊で1トンもあったそうです)そのため、幕末関係の本が無くなったそうです。
あとは、展示ケースとホール(10分ほどの司馬遼太郎に関する映像を上映)とロビー(グッズや書籍の販売)だけでしたが、パンフレットに書かれているように、ここは「来館者がそれぞれに何かを感じ取ってくださることを願う、いわば『感じる記念館』です」とあるように、感じることが大切な空間なのです。

印象的だったのは、ホールで見た映像です。司馬遼太郎は学徒出陣で満州の戦車隊に配属されますが、22歳の時に栃木の佐野で終戦を迎えます。その時に司馬遼太郎は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう?いつから日本人はこんな馬鹿になったんだろう?」と疑問を持ち、「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」として「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐しているところでした。
最期まで、この国の行く末を案じていた司馬遼太郎らしい話です。
 

ずっと行きたかった司馬遼太郎記念館ですが、やっと行くことが出来て司馬遼太郎が近い存在になったような気持ちがしました。

ところで、司馬遼太郎さんの作品は好きなものはたくさんありますが、私の愛読書はやはり『街道をゆく』です。各地を旅行するときにもガイドブックのつもりで持っていきます。43巻の『濃尾参洲記』が絶筆になってしまいましたが、1巻、昭和46年発行の本も持っています。ちょっと自慢してしまいました。









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