はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

思い出のスイス(1)

2021-05-06 20:05:05 | 海外の旅
いよいよスイス旅のはじまりです。

予告編でも書きましたが、20年も昔の話です。
当時は仕事も忙しく写真もきちんと整理できないままで今日に至ったのですが、少しずつ思い出しながらの旅日記になりそうです。
当時はフィルムカメラでしたが、どんなカメラを使っていたのかも忘れてしまいました。
今は、カメラの設定やら構図やらを気にしながら撮っていますが、当時は全てカメラ任せだったと思います。


関空から12時間かけてチューリッヒへ。さらに飛行機でジュネーブに。これはジュネーブの町だと思います。




写真に日付があるのも旅の思い出です(笑)ジュネーブの町だと思います。




この日はジュネーブからバスでシャモニー、テーシュへ向かう(約240km)日程です。さすがはツアー旅行です。
シャモニーからロープウェイでエギュ・デュ・ミディ展望台に向かいます。




ロープウェイに乗って一気に三千メートルの高さへ上っていきます。(途中で乗り換えた記憶がありますが?)




あっという間にアルプスの真っ只中です。




雪の壁を登る人がいました。憧れのアルピニストです。




展望台からの眺めです。多分、左手にモンブランの白いドームが見えていたと思います。




氷河がすぐ横を流れています。




下に見えるのはシャモニーの町並みだったと思います。「だったと思います。」が多くてすみません。本当に忘れ去っています(笑)




この高い山がグランジョラスだったと思います。ここの北壁も三大北壁の一つです。




こちらの山もカッコ良かったです。




今いる展望台も富士山より高いのですが、さらにエレベーターで頂上(3842m)まで上ります。




一気にロープウェイで上ってきたので、連れ合いさんは軽い高山病のような症状を起こしていました。その後、ホットココアで復活しました。




しかし、こんな高い所にこんなものをよく作ったものです。槍ヶ岳の肩の山小屋までロープウェイで上り、槍の穂先をエレベーターで上るような感覚です。




後ほど訪れるツェルマットなどは、ガソリン車を締め出し自然保護を進める代表的な町だと思っていました。スイス全体がそうだと思っていたのですが、これでは自然破壊だと思いました。。
でも、そのことによって山に登れる元気な人達だけの世界でなく、体の弱い人やお年寄りなども訪れることが出来るのは素晴らしいことではないかとも思いました。
スイスの初日は、こんなことを思いながらモンブランを眺めたような気がします。

<つづきます>

※訪問日 2000.8.18

思い出のスイス(予告編)

2021-05-05 21:15:15 | 海外の旅
全くブログのネタが無くなり、思い出シリーズばかりが続きます。
昨年の緊急事態の頃には「思い出のネパール」(2020.4.24〜4.29)を綴りましたが、好評(?)につき、今回は「思い出のスイス」を綴ろうと思います。

スイスを旅したのは2000年8月17日から24日までの8日間、今から20年前の話になります。
ネパールは個人旅行でしたが、スイスはツアーに参加しての旅行でした。
ちょうど銀婚の記念も兼ねての旅行になりました。
私は山が好きなので、アルプスの三大名峰をめぐる旅にしてもらいました。

前回もそうでしたが、まだフィルムカメラの頃だったので、データは写真プリントです(笑)
それをスキャナーしての作業なのでちょっと大変ですが、他にすることもないのでぼちぼちと綴っていきます。


スイスといえばこの山、マッターホルンです。



そして、もう一峰はアイガーです。アイガーは若い頃から憧れの山でした。(登るのではなく眺めるのがです。)




写真のサイズが小さいのですが‥。

思い出のネパール(最終回)

2020-04-29 19:15:15 | 海外の旅
「思い出のネパール」も今回が最終回です。
ポカラから再びカトマンズに戻って来てました。カトマンズでは2日間、町歩きを楽しみました。

私たちは目玉寺と呼んでいましたが、ボダナートです。



マニ車を回します。1回まわせばお経を1回読んだことになるそうです。



灯明がすごかったです。



カトマンズの町の向こうにうっすらとヒマラヤが見えていました。



1月4日、ネパール最後の日です。最後の半日を必死に楽しみました。アンナプルナ寺院です。



カトマンズの町もこれが見納めです。



これも寺院です。笛売りがいました。



私もすっかりネパーリーになりました。



チベット仏教のストウーパです。カトマンズは「人よりも神々のほうが多く住む町」といわれています。



リクシャにも乗りました。最初の交渉では50Rでしたが、いろいろ走り回ってガイドをして、最後に100Rといわれました。まあ、いいでしょう。



カトマンズ空港からバンコク行きのタイ航空に乗り込みます。



さらばネパール、さらばヒマーラヤ。



このあと、バンコクでも2泊して観光地もまわりました。しかし、ネパールの印象が強すぎたのか写真もほとんど写さなかったようです。
そして、1月6日に無事に大阪空港に到着しました。

33年も昔の旅でしたが、いまでも印象に残る旅です。ネパールで出会った風景も、人々の素朴な心も忘れることはありません。
再び訪れたいと思うのですが、もうネパールを旅する気力や体力はありません。若いうちに行って良かったと思います。

<完>

思い出のネパール(5)

2020-04-28 19:53:11 | 海外の旅
ポカラには、ゆっくりと6日間滞在しました。毎日、ヒマラヤを眺めて幸せな日々を過ごすことができました。
あれから33年が経ち、今のネパールは随分変わったことと思いますが、当時は本当に長閑な町でした。

カンティプアホテルの朝です。1月1日ですが、ネパールではお正月のお祝いはありません。



イミグレーションオフィスへビザの延長の手続きに行ったら、飛行機で一緒だったT夫婦と再会しました。



息子はホテルのお兄ちゃんとすっかりお友達になりました。後ろのおばさんは、アンモナイトを売っています。
この日の写真はこれだけしか残っていませんでした。もう撮るところも無くなったのかもしれません。




1月2日の朝です。この日は、6日間滞在したポカラを出発する日です。お世話になったホテルの皆さんと記念撮影です。5泊6日ありがとうございました。



帰りもタクシーです。往路で乗ったタクシーの運ちゃんに迎えに来てとお願いしていました。本当に来てくれるのか心配でしたが、約束通り迎えに来てくれました。
朝もやの中、チェックポストを通過です。



さらばポカラ、さらばヒマーラヤ、さらば牛さんです。



道中のチャイ屋さん。ここのは美味しかったです。1杯2Rでした。
日本に帰ってからチャイを作ってみましたが、なかなかネパールのような味にはなりません。



幹線道路をカトマンズに向かいます。



幹線道といってもデコボコの悪路です。道路事情は今もあまり変わっていないようです。



トヨタです。帰りはT夫婦も一緒でした。ここのレストラン(?)でカリーを食べましたが、美味しかったです。ネパールで食べたカリーは、本当に美味しかったです。
カリーは基本は手で食べますが、外国人の私にはスプーンをつけてくれました。



そして、再びカトマンズです。次回は、カトマンズの町歩きです。



<つづきます>

思い出のネパール(4)

2020-04-27 19:16:16 | 海外の旅
この日は、ヒマラヤの展望台サランコットの丘に登りました。(1987年12月31日)

ポカラ4日目の朝です。息子の背負っているリュックは、中古で280ルピーで購入しました。



ホテルの前から相乗りのタクシーで登山口のあるお寺まで行きました。



サランコットへの登り道です。ちょっとしたトレッキング気分です。



勝手について来たガイドです。ガイド料10ルピーと言われましたが、4ルピーとボールペンで勘弁してもらいました。



少女が大きな荷を背負っていました。



頂上は、まだまだ遠いようです。



2時間半歩いて、やっと頂上です。頂上からは絶景が広がっていました。この景色を見るためにネパールにやって来たと言ってもいいくらいです。
左の白くて高い峰はアンナプルナサウスで、その右手がアンナプルナⅠ峰(8,091m)です。



一番高いピークがアンナプルナⅡです。



この写真では無理ですが、マナスルも見えました。マナスルは日本人が初めて登った8,000m峰です。



マチャプチャレまでは、直線距離で30キロだそうです。



息子はジュース売りの少年とサッカーに興じていました。子どもに国境はありません。



下山路の風景です。日本にもあるような段々畑のある山里の風景です。



パイナップル畑もありました。ペタワ湖が近づいて来ました。



後ろの山を下りて来ました。下りも2時間半かかりました。丘を下りた所からホテルまでは、ペタワ湖をボートで帰りました。



この日は大晦日なので、ディーナーも豪華にしました。ホテルのレストランで一番高いビーフバーベキュー(60R)にアメリカンチャプスイ(30R)、ダルバート・タル・カリー(20R)、ビール(50R)、ミルクティーです。



すっかり顔見知りになったホテルマンたちです。



<つづきます>