太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

鮫が泳ぐ海で

2021-09-02 08:32:32 | 日記
 何度も折れて都度修理を繰り返したが限界だった。とうとう新しい竿に投資した。クロダイ狙いの試し釣りだ。物凄い引きがあり、さすが新しい竿は違う。ところが一方向に暴れながら走るだけで少し違和感がある。何とか寄せたがごぼう抜きできない。タモでモタモタしながら掬い上げたら40㎝くらいの鮫である。ドチザメだろうか。危うく竿が折れそうになってしまった。その後も5匹も掛かり沖で泳ぐサーファーに見せてやりたかった。一度などは通りがかった釣り人が、おっクロダイかと言って撓る竿を見ていたが鮫と分かって無言で去って行った。クロダイならカッコよかったのだが。この時期堤防の石垣には小蟹が沢山いるのでそれを狙って集まっていたのであろう。
 帰って鮫の種類をネット検索していたら気になる記事があった。「ロンドンの甃」というコラムタイトルである。これを「いしだたみ」と読める人が何人いるだろう。井上靖氏の天平の甍の「甍(いらか)」は読めるが果たして甃は。奇をてらった漢字の用法である。何と読むのだろうと気を惹くためか、俺はこんな難しい字を知っているというプチ自慢なのか。意図は分からないが新聞にはよくある事である。普通は接することのない故事来歴を引用してそれとなく博識ぶる人もだが救えない人達である。捻くれるんじゃない、そんなことは常識で知らない方が珍しいと言われるかも知れない。調べて勉強になればそれで良いではないかと言われるかも知れない。確かに性分で知らない漢字や表現にぶち当たるとそこで一旦停止して調べてしまう。小説でもそうだが言わば障害物で流れが止まってしまうことが嫌なのである。向こう側に読者が居ると思えば自ずと読解可能な表現になると思うが。自分は常識的で庶民の代表であると勝手に思い込んでいることが原因なのだが。常識というのは独善的判断基準ではなく世の中のことを見聞きする中で培われたものである。その意味では経験、年齢によって常識の範囲は異なってくる。ある程度常識は身に付いて来たと思うが残念ながら良識の点ではまだ未熟である。まだ魚が水面に見えていない段階で後ろを振り返って、だめですね鮫ですよと言ったのは保険のためで、もし糸を切られて逃げられていたらクロダイでしたがねと言うつもりだった。常識はあっても良識はなくエエカッコしい、何処までも姑息な性格を誰かごぼう抜きして欲しいものだ。


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