少し政治的小ネタが続いたので今日は軽い、何の役にも立たない話題。昨日千秋楽で鶴竜が優勝した。白鵬が居なくとも相変わらずモンゴル勢ばかりが目立つ。モンゴルには2種類の体型があるように思う。一つは180を超える大柄で太っている人、他は日本人かそれよりやや小柄な者。現地で聞いたら大柄はロシア系で北方、小柄はチベット系で南方から来たという。ルーツを調べたわけではないが頷ける(最近のウランバートルでは原宿と変わらないファッションや日本人より足長の娘さんも多く見かけるが)。昔、北京空港でウランバートル行きを待っていた時、ロビーで車座になってウォッカをあおっている連中に出くわした事がある。大柄なモンゴル人である。運悪く私の両脇の座席となった。離陸するなり両方から肩に手を回し「ヘイブラザー」と酒臭い息で何度も声を掛けて来る。後の言葉は意味不明。時々フラフラで立ち上がり徘徊する。同じ頃、南太平洋諸国を回った時、現地の人から「最近は若い人は酒の味を覚えて、遠洋漁業の出稼ぎの金で昼間から酔っ払い、困ったものです。でも彼らが悪いんではないのです。今まで出来なかったことが出来るようになりその善悪は分からないのです。」と聞いたことがあり、この人達もかっては飲めなかったウォッカに溺れているのだと思いながらもスチュワーデスに頼んで席を変えて貰った。それから25年くらい経つがモンゴル人の相撲での活躍は彼らの肉体的強靭さだけではなく「日本に溶け込む」努力の賜物であろう。特に伝統を重んじる相撲界で言葉を覚え、しきたりを覚え、慣れない食事にと若い頃から修練した結果であろう。相撲界はモンゴルを含め外人が目立つ。違和感なく応援できるのはその背後にある彼らの苦労と努力が垣間見えるからであろう。その内にサッカー選手のような偽物金髪ではなく欧米出身の本物の金髪の力士が現れたら「大銀杏」は本当に美しいだろう。その時は相撲協会は自毛を黒に染めろとは言わないように。相撲も好きだが一番はボクシングである。昨日は世界戦もあり朝から楽しみにしていた。父親が好きで良くTVで見ていた影響かもしれない。大人になってからは数々のスポーツ番組が現れたがボクシングの醍醐味は若い彼らが人生も命までも賭けて戦っていることである。ゴルフや野球では人生は賭けても命までもは賭けない。昔はハングリー精神で支えられている一発逆転選手も多かったが最近は科学的に鍛えられた選手も多い。それでも命の危険に曝されていることに変わりは無い。この必死さが胸を打つ。未だにその結果で落胆したり勇気を貰ったりするのはボクシングだけである。
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