太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

申し分のない幸せ

2021-05-04 06:27:27 | 日記
 最近になって自分の性格に気づいたことがある。正直言ってそれが良い事なのか悪い事なのか見当がつかない。サラリーマン生活も長かったが何時の時代にも一人や二人はあの野郎と思う人物が居た。直接彼らと揉めることは無かったから仮想敵国ならぬ仮想敵である。しかしこれにより何となく自分の存在を確認できていたように思う。周りが全て24時間TVのように善意の塊りだったら自己嫌悪に近い、居心地は悪いものだったろう。途上国の厳しい環境の中で仕事をし帰路の飛行機に乗った時二度と来ないぞ思う事も多々あった。しかし快適で安全な事務所で何日か仕事をしていると途上国の喧噪が妙に懐かしくなる。暑い日寒い日が続いた後穏やかな日が続くと、何れまた厳しい日がやってくるという途上国にも似た期待感のようなものが湧く。ネットニュースで平和な微笑ましいニュースを見つけると世の中そんなに甘くないよと天邪鬼のように24時間TVと同じ感覚になる。金持ちには憧れるがなってどうするという希望はまるでない。寧ろいつも少し空きっ腹で居た方が緊張感が生まれて暮らしているという実感がある。  
 釣り場で老夫婦が仲良く釣りをしている場面に出くわす。年が行って趣味が同じで微笑ましいと思う一方自分だったらどうだろう、耐えられない。釣りに集中したい時にオシッコとか言われると中断して車でトイレまで連れていかなければならない。昔ある人から夫婦というのは所詮他人であり互いに干渉しないようにしないと続かない。それは相手を認めるということであり同化することではないと言われた。よくあんな下らない趣味にうつつをぬかしているなあと思うくらいのソーシャルディスタンスが丁度良い。市民講座で下らない質問を得意げする常連が居る。しかし考えてみると下らないと思う反面同時に果たして自分はどうだろう考えている。これが皆自分を代弁するような質問者ばかりだったら多分自身の思考は停止してしまう。
 TVのコメンテータやSNSの発信力で人気のある(?)弁護士のHモト氏のコメントが毎回気になる。あらゆる問題に引っ張りだこだが良く聞いていると一つの信念(詭弁、すり替え?)のようなものが感じられる。言葉は明瞭で力強いが多くの場合、今の法律が悪い、法律を作れば良いと結論づける。将来的には良いかも知れないがそれでは現状の問題に対する解決にはならない。世の中が悪いと言っているようなもので何故この人がマスコミに受けるのかよく分らない。職業柄法律に依拠するのは仕方がないとしても何故周りは、そうでしょうが今現在起こっている問題に対して聞いているのですがと切り返さないのだろう。好きではないが彼もまた世の中の見方を考えさせてくれる一因(員)にはなっていることは確かである。
 普段のものの考え方はどうも反作用的、仮想敵国がなければ自己のレゾンデートルが確認できない性分のようである。満ち足りた生活というものがあるとしたら自分の場合満ち方が少し違う様な気がする。申し分のない幸せに包まれたらきっと闇夜のカラスのように自己喪失する。



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