太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

何が美味しかったか

2017-12-24 08:45:29 | 日記

TVで世界の牛肉の味くらべの番組があった。各国で和牛を育てており、日本の一流シェフがスタジオで同じ肉を同じように焼いて味比べするものである。和牛以外でも現地で食べられている人気の牛肉が登場した。比較するまでも無く何れも美味しそうである。そうであるのは食べたことが無いからそうとなる。スーパーの牛肉すら滅多にテーブルには載らない。精々肉じゃがに入っている堅い肉くらいだろうか。貧しいと思われても困るが豚肉は結構食べている。やっぱり貧しいと言う事か。

 肉食の始まりは200万年くらい前である。最初は屍の肉を石器で削ぎ落したり、骨を石で殴打して中の髄を食べていたとのこと。何百万年を経て辿りついたのが昨晩のレシピである。辺見庸の「もの食う人びと」ほどの示唆は込められないし、食レポが出来るほどの美食家でもないがサラリーマンにしては色んなモノを口にした方であろう。訪ねた国は多いが、殆どはそれを食べざるを得ない状況にあったからだ。自慢では無いが自腹で海外に行ったことは一度もなく、相手先と一緒に食べることが多かったので選択の余地がない。あるいは食べ物の選びようが無い選択肢すら無い途上国の僻地だったので美味しいからという目的は無かった。モンゴルでの食事は初期のブログで書いたことがあるが、それ以外でも食べて見て意外と美味しいと思ったものや、これはと思ったものを幾つか思いだしてみる。

中国は何度も訪れた国の一つである。地方に行っても中華はやはり美味しい。しかし、全て味が濃い為毎日王将で食べるようなもので3日目くらいからは全ての味が似て来る。最初の感激は続かない。北京ダックは値段が安いのに美味しかった(食レポでは無いので美味しいという表現は良く出て来る)。四川で食べた本場の麻婆豆腐は色が大変辛そうで躊躇したが爽やかな後を引かない辛さだった。火鍋は正体不明の歯ごたえというか噛み切るのが難儀な肉片が沢山あり浸すスープは記憶が飛ぶほど辛い。インドのカレーはスープ状で食べにくい。バングラは食後のデザートが桃の缶詰の蜜をさらに煮詰めたような液体に寒天みたいなモノが浮いて日本人の感覚では食後のデザートではない。ネパールは牛の代わりに水牛だったが兎に角堅い。山の上の農家で出されたカレーはそれなりだったが、砂のジャリジャリがあり、ミルクティーは脂を浮かせてあり水溜りのオイルのような干渉縞は抵抗があった。外人が来てくれたので今日は特別に(トリ)肉を入れたというカレーは勿論笑顔で美味しく頂いた。

キリバスやツバルなど南太平洋の島嶼国は海に囲まれさぞ魚が美味しいと思ったがラグーンの中で採れる小魚の素揚げくらいでこれがまた油を直接飲んでいるような味で、多分ヤシ油は代々注ぎ足しの年期モノだろう。住民には大型の魚を採る漁法が無いため仕方がないことか。アメリカではボストンだったかカリフォルニアだったか大きなカニの身をオリーブオイルのようなものに浸して食べる。ある意味残念で勿体ない食べ方である。肉は16文くらいの大きさで食べ残しては勿体ない精神で食べるから最初の一口の美味しさは最後の満腹苦しさで終わる。因みにサラダは飼馬桶のような器、コーラはちょっとしたバケツサイズ。世界が食糧危機になったら多分アメリカ人が最初に滅びる。イタリアは流石にスパゲティは極上、コーヒーも格段に美味い。イギリスは食べ物の記憶が殆どない。珍しいカナリア諸島やマデイラ島にも行ったが記憶はない。スイスは多分美味しいと思ったものは無い。ドイツは客先で食べた鹿の肉はソースも極上で美味しかった。勿論地ビールも。思い起こせばまだあるだろうが、教訓は海外に出ると現地のモノが食べられるかどうかが言葉の障壁より高い。食べられなきゃ仕事どころではない。何処に行っても思ったのは、自分が最も好きな食べ物はお茶漬けに瓜やナスの浅漬けと心の中で断言できた。

(決してその国の食べ物が美味しいとか不味いと言っているのではなく、あくまで個人の経験という狭い範囲のお話である。明日から北陸にカニを食べに行く。どうだ贅沢だろうと言いたいが懸賞にあたった褒美である。客先で出される食事と違った意味で期待外れでも文句は言えない。ブログは3日間休刊となる。後日談は勿論書くつもりだ。)



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