太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

読書

2015-05-21 09:47:48 | 日記

流石に期限のある仕事を40数年やってきて、今突然自由時間が出来ると無為に過ごす日が増えてしまった。このままでは余命が無駄になると不安にもなり、本の整理をしていたら20数年前に買ったか頂いたか、平澤興講録「論語を楽しむ-己を生かし、人生を生かす書-」が目にとまり一気に再読。2500年前の孔子の教えを平易に解説したものだが、改めて人間は賢くなっているのか(書の中では“頭の文化”の進歩に対し“心の文化”の退化)問われているがその通り。孔子が今生きていてもやはり大先生で通じる。以前勤めていた超有名創業者の講和でもかなり共通したものがある。

IEAの“電力の変革”(The Power of Transformation) も読書中。VRE(Variable renewable energy)、変動する再エネの風力と太陽光の大量導入の問題点や対策を地域別に多角的に論じているが、以前「導入が少ない間は変動は問題にならない。本来電力供給は需要とバランスするようになっていることを両皿天秤で示し、太陽光は供給側ではなく大いに変動する負荷側の天秤にマイナスの負荷として載る。」と喩えて講演したが、まったく同様の説明があった。まだ全編読んでいないが、対策については「誰がそれを行う、したがっている」という実行者の言及が欠けているようにも思う。

電力というインフラについては平成17年11月にMETIが“ものづくり国家戦略ビジョン”(大変な名著と思うが)の次の一文が参考になる。

『「市場」を形作る商慣行や制度は人間が意識的にプログラムし、改変・運用しているものなので、「自由放任」すれば、予定調和的に収束していくような性質のものではない。
であれば、重要なのは、市場のプレーヤー相互間の「働きかけの在り方」について、どのように設計していくかという議論であり、国民の福祉を向上させるために「市場」の有する効率性や活力と言った機能をどのように強化・活用していくかという課題である。「市場」の望ましい姿をデザインする省としての賢明な官の役割は従来以上に重要になってくる。官が市場のプレーヤーの行動を正しく理解し、適切な市場を提示できるかどうかか、国家間の産業競争力の差にもつながってくる。』

個々の経済原理による市場競争に委ねるのではなく、予定調和のための国としてのリーダーシップが必要である。当事者間は三方一両損の覚悟もさらに必要。