ゆっくりかえろう

散歩と料理

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チョイ悪オヤジ養成講座9 終了

2016-01-04 | フィクション

「ああ、君達 どこへ行ってたんだね?」

常務が真顔で聞いて来た。

「何処って取引先の専務さんの接待じゃないですか」

「嘘だろ、専務は昨日脳梗塞で倒れられて 今は病院の集中治療室におられる」

「そんなあ、今日1日ご一緒でしたよ」

「嘘だと思うなら、この病院に行ってみるといい」

差し出された病院のメモにはさっき専務を送った病院の名前が書いてあった。

取り敢えず 小松と二人で病院に行ってみると 教えられた病院の集中治療室に専務さんは 面会謝絶の札と共に入院していた。

我々は 専務に用意された個室病室で 待たされる事になった。

 …………………

椅子に座ってふと見上げると そこには今日専務に差し上げた 安っぽいジャケットが掛かっており 膨らんだポケットからは俺の小銭入れが出てきた。

俺は小松と顔を見合わせ しばらく寒い思いを味わった。

これ以上やりようが無い  お手上げだ

「華岡さん、もう帰りましょう」

小松は恐がって震えが止まらない。

 

帰社して常務室にいって報告すると 

「君達はいつもおかしな目に遭うね」

雲をつかむような話を 疑うことなく笑って信じてくれた。

だから俺はこの人とやっていけると思った。

 


チョイ悪オヤジ養成講座8

2016-01-03 | フィクション

 肉豆腐と酒いっぱいではお店も迷惑する。 次に席を譲ろう。

ここは俺が情報収集する場所だ。

朝は仕事を終えた水商売のお姉さん達お兄さん達 昼は年金生活者 夜はサラリーマンと雑多な人の集まる場所だが人と人が近いので思わず 貴重なネタが耳に入って来る。 

場を荒らさないように印象を良くしないといけない。

「吉田さん そろそろ腰を上げましょう」

話を切り上げるのにも良い機会だったようだ 専務も立ち上がられた。

「良い所へ連れて来て貰いました 楽しかったよ」

「さあ次はチョイ悪オヤジ御用達のサウナでも行きますか?」

「いや 今日は行くところがありますので このくらいにしましょう」

「それではお送りします」俺は小松を電話で呼んで 車の入れる場所まできてもらった。

専務は送り先を会社ではなく 途中にある病院を指定された。

途端に朝の違和感を思い出した。

行きは駐車場から 帰りは病院まで なんか引っかかるものがある。もう一度渡された名刺を見ながら 考え込んでしまった。


チョイ悪オヤジ養成講座7

2016-01-02 | フィクション

 立ちのみだと侮ってはいけない。

 こうい所はリピーターの舌を満足させる為に日々努力している。

ここでは見栄をはったり 知ったかぶりをする客は嫌われる。掛け値なしの味で勝負している。

不味ければ人は遠のき 美味しくても安くなければ人は来ない。

その代わり愛想は良くない。

「さあ河岸を変えますよ」

「えっ もう行くんですか」

専務は名残惜しそうだ。でもここはチョイ悪オヤジの初級コース これからが本番だ。

 それに一カ所でウダウダしないで さっと引き上げるのも綺麗なオヤジのやり方だ。

俺は今の所から二~三分のところに専務をお連れした。小松は連絡があるというので 車に戻って貰った。

今度はガード下の飲み屋で 客同士仲が良くなる庶民的な所だ。 

店内はとても狭く客同士がもみ合う場面も多い。

多くの客は店外に置いた粗末なテーブルと椅子の所で酒を楽しむ。

 「まいど!いらっしゃい」このまいどは本物だ 俺はリピーターだから。

「中の席が開いてますけど?」

道行く人を眺めながらお酒を飲むのもいいのだが 専務が慣れないだろうから 中に入れて貰う。

狭いカウンターの中は 店員が4人も入って忙しく働いている。

私は焼酎お湯割り 専務はハイボール。

当ては肉豆腐と専務はカシラの串焼き。

串焼きが時間がかかるので 一緒に 肉豆腐をシェアする。

大阪出身と聞いて気さくな人だから シェアも嫌がらない。

「これも美味しいですね 何でこんなに美味しいんですか」

「これは馬のもつ煮込みなんです ちなみに吉田さんが注文されたカシラは豚の顔のお肉です」 

やっと専務ではなく吉田さんと言えた。肉豆腐をシェアしてから親しみが湧いて来たようだ。

 専務が隣の席の年金生活者のお父さんと話し込んでいる。どうやら集団就職の生い立ちから ずっと長い苦労話をしているようだ。専務は涙もろいのか ずっと話に没頭している。 

良い人だ すごい人物だ。驕らず威張らず 人を見下さない。お連れして良かった。


チョイ悪オヤジ養成講座6

2016-01-01 | フィクション

  お店は立ちのみ店特有のL字型のカウンターで 入り口に人はまばらでも 中はいっぱいの事が多い。

「こういうお店は席取りが大変です 中ほどのカウンターは常連の場所ですから そこにつくと店員も嫌な顔をします」

だから入り口のカウンターについて もし店員が中に案内してくれたら、案内通り中に入ればいいのです。

「中へどうぞ」 案の定中へ案内されて中央の樽を重ねたテーブルについた。

小松には悪いけど 会話の妨げになるので 隣の壁際のカウンターに行って貰った。

専務は小銭さえお持ちではないので俺の小銭入れをお渡しした。

偶には独りでお勘定する気分を味わうのもいいと思ったからだ。

「ご注文は?」若い元気そうなお姉さんがオーダーを取りに来た。

「えっと ハイボール」

専務はハイボールで俺はサワーにした。

ビールはお腹いっぱいになるので やめたほうがいい。

「ハイボールは400円で サワーは360円」

ここは前払いでその都度お金を払うシステムだ。

腹を空かせた小松はおにぎりとおでんにした。

お酒が来て乾杯すると料理のオーダーを聞きに来た。

「こういうところは壁に張り出したメニューより 黒板に書き出した今日のおすすめがよい目をしますよ」

「何がいいかか分からないな 華岡さん決めて下さい」

「じゃこちらは なめろうを 僕には新生姜を下さい」肴が来て盛り上がる。

「これ美味しいですね 東京へ来て 初めて美味しい魚に出会えました」 

このアジのなめろうは 少量づつしか作らないので 無くなれば 次の仕込みまで待たなければありつけない。

「なめろうはね アジのたたきと勘違いする人が多いんですが 叩くのではなく練るんです いわば 焼く前のハンバーグです」

新生姜は東京特有のメニューでこれも貴重だ。

いずれも安うまメニューだ。 

ぜいろくは東京には美味いものは無いとのたまうが それは井の中の蛙だ。


チョイ悪オヤジ養成講座5

2015-12-31 | フィクション

 さっきから小松の腹が グウグウ鳴って まことに喧しい。

「小松、空腹なら軽食でも食べておいで」

「いえ、あの私 お金持ってないんで」小松が情けない顔をしてしょんぼりしている。

専務に聞こえないところで内緒で訳を聞いてみると 食事は社食の1日一食だけ 昼に間に合わなければ 夜まで取り置きしてもらうという ギリギリの生活らしい。

交通費などはカード決済で現金は使わないそうだ。

まるで中世の奴隷のようだ。

「分かった 俺のカードを貸してやるから 三人分のドリンクとお前の分のサンドイッチでも買って来ておいで」

小松の顔がパッと明るくなって 子供のように駆け出した。

これから一緒の時は飯の世話をしてやらねばなるまい。

小松と三人でレースを観ながら 専務とお話した。

小松は相変わらず食べるのに夢中だ。

よほど腹を減らしているのだろう。不憫な身の上だと思う。

 

「専務、どうしてチョイ悪オヤジなんかに興味をもたれたのですか?」

専務は遠いところを見るように身の上話を語り出しました。

「私は大阪の生まれです 若い時 自動車関係の小さな部品工場に就職しました そこが不況で上の子会社に吸収され それを繰り返しながら 段々上へ上へと上がって行きました」

「その頃は私は製造 企画 営業 販売と全部こなしていました そうしなければ工場はやっていけなかったからです」

「そんな私を見て親会社の幹部が目を付けて 上に引っ張り上げました」

「しかも会社費用で大学までいかせてくれました」

「卒業したときは幹部候補生でした」

「それからまた 上へ上へと上がって 今の会社の取締役になりました」

「でも あの頃の大阪時代の方が充実していて 生きる実感がありました」

「友人と酒を飲み 喧嘩したり泣いたり喚いたり それが楽しかったのです」

専務は途端に寂しそうな 悲しそうな何とも言えない顔で下を向きました。

なる程 引退前に やりたかった事をやってみたいのかな? と俺は勝手に解釈した。

 

「じゃあ、次はオヤジ達の溜まり場 立ちのみに行っていっぱいやりましょう」

俺たちは競艇場を後にして 都内に向かった。

帰りは分かりやすいので 小松に運転を代わって貰った。

目的地は上野界隈 ここには近くにウチの代理店があって 車を置いておける。

上野といっても 正確には御徒町だ。

途中 俺は降りて専務の為に安っぽいジャケットを買って来た。

服装ひとつで人の印象はガラッと変わる。

立ちのみには立ちのみらしい出で立ちが必要なのだ。

駅から少し離れた立ちのみに入る。

 「まいど!」

 ここはいちげんでも お馴染みでも 必ず「まいど」という まいどと言えば間違いないと思っているようだ。

言われた方も気分は悪くない。 


チョイ悪オヤジ養成講座4

2015-12-30 | フィクション

「今日は競馬はお休みです あとは競艇か競輪ですけど、競輪場は郊外で遠いです それに初心者向きじゃない」

「お任せします」

「小松 首都高七号線へ向かってくれ」 

「いや、あの七号線と言われても わかんないです」

「今、上を通っているのが六号線だから これに乗れば七号線方面に繋がるよ 七号線を小松川で降りれば 後はナビが教えてくれる」

「華岡さんややこしいから 運転代わって下さいよ」

しょうがない 通い慣れた道だから 俺が運転するか。

チョイオヤジの本領発揮だ。

車は何事も無く 江戸川競艇場についた。

平日なのに この賑わいはなんだ いかに遊び人が多いかだな。 

江戸の昔から この街は遊興でもってたところがある。昔遊郭 今はギャンブル。

国が胴元だもの 一番あこぎなのはお上だ。

広いスタンドに出て レースを眺めていると 気分がすっきりする。

「専務、舟券を買ってみましょう」

「いや、私はこのままここで見てます 華岡さんどうぞ」

「どうしたんですか? チョイ悪オヤジになるんじゃないんですか」

「流石にここは初心者が来る所じゃ無いですね 昼間一所懸命働いているうちの社員にも悪くて」

雰囲気に圧倒されるのも無理は無い 野球場の熱気とはまた違う 一種独特の毒気に当てられたようだ。

「もう少し風に当たっていましょう、レースを観ているだけなら これほど面白いものは無い」

その通り、私もここへはよく来るが 舟券は買わずスタンドや奥で休んでいる。

ここへ来るのは 保険金詐欺や遊び呆けている偽被害者を見つけて 証拠写真を撮る為だ。

何せ俺の仕事は特殊だから。

ギャンブルなんてやってた日には仕事にならない。

元来 俺もこういう場所は性に合わない。  

  

 


チョイ悪オヤジ養成講座3

2015-12-29 | フィクション

「やあ、悪いね、こんなところまで」

紳士は名刺を差し出したので こちらも慌てて名刺を出して名刺交換になった。

確かにこの会社の専務取締役吉田と書いてあった。

俺は少し違和感を持った。

普通 受付を通して専務室まで 案内してもらって 初めて会えるものなのにこの軽々しさはどうだ。

本物の専務さんだろうか?

「やあ小松君も来てくれたのか」小松は愛想良く頭を下げた。

小松は既知のようだ。ということは本物の専務か。

「もう私は窓際に追いやられていてね 暇を持て余しているんだよ」「今日はよろしく 華岡君」

仕立ての良いスーツ 品の良い物腰 年齢を感じさせない力強さから 偉い人のオーラを感じ取れる。

小松を知っているのだから 間違いないのか。

人柄も良さそうだし 悪い気も出ていない。

俺たちは挨拶もそこそこに 車に乗り込んだ。

「専務、今日は役職名では具合が悪いので お名前でお呼びしますが よろしいですか?」 

専務はにこやかに頷いた。

「それで今日はどこで何をしましょう」

「ご要望をお聞きしたいのですが」 

「まずは公営ギャンブルを体験したいな」

チョイ悪オヤジ初歩の初歩だ。


チョイ悪オヤジ養成講座2

2015-12-27 | フィクション

 車は滑るように走り出した。今日は失礼が無いようにいつもの社用車ではなく、クリーム色の小型のクラウンだ。

大きすぎないのが 気が利いている。

都内の車庫のどこでも使えるし小回りが効く。

「今日の接待って 相手は誰なの?」

「取引先の車の部品メーカーの専務さんなんですけど 引退前で 最後の思い出にやりたかった事があって それを我々にお願いに来られたそうです」

「チョイ悪オヤジの気分になってみたいって」

「専務さんの社内には該当者が無くウチに頼み込まれた訳です」

「それでウチなら適任がおりますって上層部が推薦したんです」

 まったく人をバカにしている、俺がチョイ悪オヤジなの?

みんなそう思っているのか? 

……………

まっ しょうがないか 当たらずとも遠からずだ。

「チョイ悪オヤジ」 結構じゃないか。

 車は都内某所の大きなビルの地下駐車場に吸い込まれるように入った。

そこで待っていたのは 背の高い痩せ形の初老の紳士だった。  

   誰だろう?

 


チョイ悪オヤジ養成講座1

2015-12-26 | フィクション

 今月は忙しい。また本社に呼ばれた。

「おはようございます」

「この前の件はありがとう、おかげで私の顔がたちました」

 …いっているわりには顔は笑っていない。これは気を引き締めないと。

「今日は取引先の大事な方の接待をしてもらいます」

接待?そんなものしたことが無い。断ろうと思ったが そんな雰囲気ではない。

「下で小松君が車で待っていますから 彼から詳細を聞くように」

小松? どっちの小松だろうか? 本体?分身? 分身ならもう消滅している筈だ。

暗い駐車場まで降りると、分身の方の小松が歯を見せて笑っていた。

俺は内心ほっとしながらも 「よう、お前まだ生きてたのか」と精一杯の親しみを込めて言った。

生きててくれて とても嬉しい。

「お陰様で こないだの報告書が評価されまして 勿論猫又の所は人間に書き換えましたけど 報告書もですが、華岡さんと唯一組める人物 という評価をいただきました」

瓢箪から駒というべきか。俺は苦笑いした。

「勿論、分身の存在は誰も知らないので 小松氏の手柄になったのですが 結果 華岡さんと組むべき相棒に指定されたのです」

「それで急遽私の命が繋がりました」

よほど俺は小松氏に嫌われているらしい。俺と組むのはいやなのだろう。 

まあ、そのお陰で分身君が生かされているのだから 結果オーライか。 

とりあえず俺たちは車に乗り込んだ。    


匂い13

2015-12-13 | フィクション

 本社に着いて常務室まで上がる。

常務の前では簡単な報告を済ませ 報告書も相方に任せて 俺は屋上でコンビニ寿司を食べた。

 朝からなにも食べていないので 空腹に心地よい。

 暫くすると今日の相方が上がって来た。

 「花岡さん あの化け物の名前はなんでしたっけ?教えて下さい」

 「分からないんで報告書が進まないんです」

 小松は頭をかいた。

 「猫又」 

 「どういう字を書くんですか」

 「分からなかったら妖怪辞典ででも 調べるんだな」

 俺は不機嫌だ。

 

 

「ところでお前 小松じゃないだろう? 誰なの?」

出し抜けの質問にコイツはへどもどしている。

 「お前からは死人の匂いがするもの」

「朝 駅で会ったのもお前だろ?」

目の前の奴は困った顔をしている。

「実は私 小松氏の分身です。本体の小松氏は今日も営業に出てまして なんせ忙しい人なんで」

本体の小松は 俺と組むのは嫌なんだろうな。

「私は元々魂が無いんで 耐用時間が限られるんです」

「耐用時間が過ぎればどうなるのかな?」

「消えて無くなります」

簡易的な式紙みたいなのかな。

「すまんね 残り少ない命なのに 報告書を押し付けて」

俺のすまなそうな顔を見て 彼は笑った。

 コンビニ寿司はさびぬきなのに なぜか鼻にツンときた。

 


匂い12

2015-12-12 | フィクション

 「華岡さん あれでもう車は 夜中に消えないんですか?」

 「ああ、大丈夫 あれはもう夜遊びしないよ」

小松がまだ震えている。余程怖かったようだ。

「そろそろあの車の因縁を話そうか」

 俺は小松に知ること全てを話した。

最初ガレージで車を触ったとき 生暖かく生き物の感触があった。

それでダッシュボードを探ってみても書類の入るスペースが全くない。

こいつは車ではない。

 なまものだ

しかし敵意が感じられない。

思い切ってクルマに話しかけてみると クルマは一匹の黒猫に化けた。

というより、猫がクルマに化けていたのだ。

その時物影から 更に大きな三毛猫が現れた。

 「あんた何者だ?」

大きな三毛猫は人間の言葉を話した。そしてこんな話しをしてくれた。

 ひと月前に社長の愛車のオープンカーが整備工場から盗まれた。

それを知れば 社長夫人が悲しむだろう事を 心配した猫たちが化けて あそこにいたのだ。

彼等は化け猫の術で 順番にクルマに化けて 日替わりでクルマになりすましていたのだ。

昼間はいいが 、夜は猫の集会があるから 真夜中は留守がちなのだ。

幾日ものあいだ 猫の親玉は盗まれたクルマの行方を探し やっと昨日探し当てて取り返し 今日「納車」したわけだ。

 「それで本物の車がガレージの外へ出ていたのですね」

 「ああすれば またクルマが朝帰りしたように見えるからね」

 「僕が先に上へ行っていた間に そんな話があったのですか」

 「それで どうしてあれが猫だと分かったんですか?」 

 「それはほら 猫のニオイがしたからさ」

俺の特技はニオイ当てだから。おかげで 気ままでいられる。サラリーは少ないけど。

「それであのネコは何物なのですか?」

「あの大きな三毛猫は 猫又といって 百年生きた猫の化け物さ」  小松がまた怖そうに身震いした。

 

車は首都高を抜け 一般道から会社に向かっている。

そろそろ 常務の待つ本社に着く。


匂い11

2015-12-10 | フィクション

 我々が大急ぎで下へ降りると、階段で保安員に止められた。  

「オープンカーは外に出ていました、周りには誰も居ません」

 我々は外へ車を見に行った。

 車は確かにガレージの外へ出ていた。

「どうやってこの厳重なゲートを越えて抜け出したんでしょう?」小松が不思議そうに訪ねた。

話し声が震えている。歯の根が合わないようだ。 

「さあ? クルマに聞いてみたら?」 

「いやですよ!」小松は震えている。

 俺は車のボンネットに触れた。

そこはまだ温かく 今さっきまで走って来たようだ。

車に泥がこびりついている。

  「ふうん」

俺はその場で欠伸をして もう一度さっきのバルコニーに戻った。

 夫人はまだそこに居て 今度は さっきより一回り大きな三毛猫が 悠々伸びをしていた。

「しばらく 留守にしていたボスが帰って来たわ」 

夫人は嬉しそうに膝の猫を撫でた。

「車は外にあります」

「そう」夫人は感心なさそうだ。

俺は言った 「多分 これからは 何も起こらないですよ」

「そう、ご苦労様」

あっさりしたものだ 全然心配している様子が無い。

俺は詳細を説明しようと思ったが 無駄なことが分かったので止めた。

荒唐無稽だし 普通人の理解を超えている。

夫人はクルマは確実に帰って来るものだと確信しているらしい。

オープンカーは車庫に戻され 俺たちは帰路についた。

保安員は気味悪そうに 車をおっかなびっくり動かしていたのが印象的だ。

 さぞかし怖いだろう、塀をすり抜けるクルマなのだから。  


匂い10

2015-12-07 | フィクション

 食後 ガレージの上のバルコニーに案内された。

社長夫人は一匹のきれいなトラ猫を抱いて 待っておられた。

一通りの挨拶を済ませて 社長夫人に「猫は何匹お飼いですか?」と聞いてみた。

途端に表情は 柔らかなものに変わった。

「ウチのは全部で五匹だけど たまにノラちゃんが遊びに来るわ」

見ると バルコニーの端に屋根付きの猫の出入り口があって そこから黒猫が出てきた。

どうやら下のガレージから上がって来るようだ。

「今日お伺いしたのは水色のクルマの事です」

「あのクルマは 社長のお車だとお聞きしましたが いつから お持ちですか?」

「あれは数年前に 事故死した息子のもので 大切なものです」

 膝の上の猫が ひとこえにゃーと鳴いた。

なるほど、猫も人慣れしてくると 相槌までうつようになるのか。

猫は賢くないというが、ここのは違うようだ。

「おかしな事をお聞きしますが、あの車が時々車庫から消えるそうですね」

「ええ、そうね でも心配ないわ 朝には帰って来るもの あのこ」

のんびりしたもので クルマまで生き物扱いの優しい奥様だ。 

「ジャーン ジリジリ ジャーン」

その時 下のガレージから 警報機がけたたましく鳴りだした。

「奥様、またあの車が消えました」

運転手が大慌てで 駆けつけてきた。

 「そう」

 夫人に慌てた様子は無い。


匂い9

2015-12-04 | フィクション

「お昼のご用意が有ります」

そういえば 昼食時間はとうに過ぎている。

車庫の管理人がにこやかに教えてくれた。

「もう少しだけ調べるから 先に行ってて」  

これからが本当の仕事だ。

小松を先に行かせ クルマに屈み込んだ。

 …………………

 

 

俺は車庫の控え室に案内されるかと思ったが、上の社員控え室に通された。

小松は待ちくたびれた様子だ。

大きな部屋ではないが質素なテーブルと椅子と 正面には大きな鏡がかけてあった。

テーブルには大きな幕の内弁当とお茶が用意してあった。

「社食より余程豪華ですね」   

生憎くフレックス社員の俺は 社食を食べたことが無いので 答えようがない。

社長の運転手や 車庫の管理人用の昼食らしい。

食事後に 社長夫人にお会いするアポを取って貰った。

どうやらお会い出来るようだ。

小松は余程腹が空いていたのか 息もつかせず弁当に食らいついている。

少々というか とてもザマが悪い。

テーブルに屈み込んで顔を突っ込んで犬食い、

容器からのかき込み おまけに咀嚼音が喧しい。

食べながら 唸っている。

飼い犬でもこんなに酷くはない。

まるで腹を空かせた野犬そっくりだ。

いつもこんな風だろうか?

俺は途端に食欲が失せて お茶で済ませた。


匂い8

2015-12-02 | フィクション

「この並んだ自動車達はお客様の預かりものです 上得意様は 自動車を沢山お持ちです」

「盗難が心配な自動車は 此方でお預かりしております」

「盗難防止にもなりますから、此方も安心です」

律儀なガレージの保安員が 説明してくれた。

見ればガレージの出口は 柵や杭や鎧戸で守られて居るようだ。

「車庫内は赤外線センサーが張りめぐらしてあります 勿論監視カメラも」

「まるでどこかの宝石店だね」

「お客様の大事なお預かりものですから」

一番端の列に 薄い水色の洒落た小型のオープンカーが停めて有る。

ドイツ車 イタリア車ともフランス車とも違う のんびりした印象の中型のオープンカーだった。

これが1964年式フェアレディです。

「華岡さん、何か感じますか?」

「気配は薄いけど まだ何かいるね」

 何らかの(思い)だろうか。

 俺はクルマの隅々まで見た。 気配は穏やだ。

「このクルマがどうだというの」 

「管理人さんの話では 夜中 時々居なくなるんです」

ふーん、夜遊び好きな子猫ちゃんか………

きっと大騒ぎだろう

俺は運転席側(左ハンドル)のドアミラーの辺りを優しく撫でて「ご苦労さん」と呟いた。