センセイの自宅は 元医院です
空いた診察室は昔の器具が残っていますが きれいに手入れされているものの
使う予定のない器具は みていて空虚です
でもそれらは隅に追いやられていて 空いたスペースは何にもありません
この家はセンセイの寝室と 元待合室で今は談話室になっている部屋しか使われていないようで
台所も湯を沸かすしかなく 家全体に 生活感がありません
談話室でセンセイがお茶を淹れてくれました
見るからに値打ちのありそうな茶器 お茶も香りのよい玉露で 僕はやっと落ち着きました
「これからやることは他言無用です 君を信用していますが もししゃべれば大変なことになりますから」
僕はどきどきしました
「怖いなあ 脅かさないでくださいよ 」
秘密の話というと 犯罪に関係したこととかじゃないだろうか と僕は思ったわけです
或いはタタリとか 僕に害が及ぶとかね
「いえ 餓鬼憑きの話が漏れると 色々とややこしいことになるもので 私が困るんです」
先生の顔は真剣でした
「お茶を飲んだら 外出します 今日は一緒に来てください」
「家は運転手に留守番をさせます このまま歩いていけるところで すぐそこです」
裏は古い小さなお寺でした
門は開け放しで 勝手に入りました
入ってすぐ本堂がありこじんまりしていますが 大きな傾斜した瓦屋根があり
本道へ上がる横に長い階段は 一度にたくさん人が登れるようになっていました
「誰か居られますか 今日の分をお願いします」
闇の中から声がしました
「はい 居りますよご苦労様です 石原さま」
住職らしき人が出てこられました
年齢は60歳過ぎくらい きれいに剃髪しているので白髪はわからないですが
温厚そうなしゃべり方と品格で年齢を推定できました
久しぶりに聞いたセンセイの名前は石原さんでした
神田さんって呼ばれることもあるし 本当はどっちなんだろう
これが僕の今の一番の関心ごとです
「それではこちらへ」
僕とセンセイはご本尊の前に座らされました さらにその前には住職が座っています
何本も線香がたかれ やがて読経が始まる
20分ほど経っただろうか お経の声が高く大きく速くなり
「遠田君よく見ておくんだよ 住職の手とご本尊を」
何のことかわからず でも緊迫感は肌で感じます
やおら住職は片手を振り上げました
いつの間にか前にはいつものデジカメが置いてあって その画面に向かって
住職は手を振り下ろしました
読経を唱えながらも右手はデジカメの上へ やがてデジカメは青く光だし
いっそう輝きが増したかと思うと その手をカメラの中に突っ込んだ
こないだセンセイがやったように 住職も中から気味の悪い化け物を
引っつかんでとりだしました
「ぎゃーっ」「ぎゃー」
化け物はうにょうにょと身をくねらせ いやいやをします
この怪物を見るのは 二度目ですが
何度見ても気持ち悪いし怖いです
数珠をかけた片手は水平に構え 右手は上へ大きく差し上げて
今まさに生まれたばかりの赤子を仏の方へ差し出すようにしました
すると化け物は観念したようにおとなしくなり しばらくすると
実体がなくなり煙となって線香の白い煙と同化してしまいました
やがてその煙は仏様の額のところにある めのようなものに残らず吸い込まれて
跡形もなく消えてしまいました
後に残るのは低く長い読経と 木魚の音だけでした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ご苦労様 餓鬼おくりはおわりました」
住職はやさしくおっしゃいました
「あのー あれはもう出てこないんですか・」
「はい お地蔵様の元へ送り返しました」
お地蔵様? そういえばここのご本尊様は お地蔵様だ
つるつるの頭に杖(錫杖)さっぱりとした袈裟姿 額には宝石がはめ込まれている
「和尚様 ありがとうございます」
「私はこのあと仕事がありますから 遠田くんに この仕事のことを話してやっていただけませんか」
「承知しました ご苦労様です」
頼みごとをされたほうがご苦労様とは 変だなと思いましたが とりあえずは お寺の庫裏へいって
お茶菓子などいただいて 住職と法話など・・・・
と思ってましたが 住職からは驚きのお話ばかりでした
「カウンターのカレー店でやってみましょう」
いよいよ実地が始まりました
「いいですか あなたは出来るだけ真ん中あたりの 目立つ席に座ってください」
「餓鬼憑きよりあなたが先に座っているところでやってみます」
てきぱきと指示が飛びます
「あなたが座ると 餓鬼憑きはすぐに現れます」
僕は反論します
「いくらなんでもすぐはないでしょう?」
「確実に来る確証さえないと思います」
センセイはニヤリと笑います
「あなたなら大丈夫」
センセイは小声で言いました
「ほらもうあそこに・・」
見るとどことなく挙動不審の人が入ってきて 席を物色しています
なぜ挙動不審にみえたかといいますと 普通の客は空き席を目で追うのに
この人は空き席ではなく 座っている人の顔を物色しているからです
「判りましたか 刑事はスリを見つけるのに不審者を視線で判断します」
「人のカバンやポケットを見ているヤツをみて スリと判断する 痴漢を判断するのだってそう」
「刑事は女性のバストやヒップばかり見ている男に目をつけるのです」
「目は心の窓 何を考えているかは 何を見つめているかで判るのです」
なるほどそのとおりだなと思いました
「不審者はカウンターに座りたがります」
「彼らにとって特等席だからです」
センセイは勝ち誇ったようにいうのでした
ははは そんなところで 威張らなくてもいいのに
ちょっと子供じみた面が見えて 僕はほっとします
不審者は難しい顔をして散々迷った挙句 定番のカレーを注文します
それからコップの水をひとすすりしてから おもむろに周りに顔を向け
カウンターの端から端まで 眺め回し 目的のターゲットを見つけます
つまりこの僕・・・。。(かなり嫌なんですけど・・・)
僕のほうは気づかぬふりをしてカレーを食べます
向かいに座った不審者はこの時点では 僕にばれてないと思って ジロジロ見放題
かなり油断しています
でもこの時点ではまだ泳がせます
彼は左肘をカウンターテーブルにつき その上にあごを乗せます その姿勢のまま
前の僕を眺めます
こうすると首の動きが自由になって 視線を定めやすいからです
僕と目が合いそうになると 慌てて目を天井に逸らします
その後もなんども同じ事を繰り返します
想像してみてください このやりとりを
端で見てたら異様というか 滑稽です
当人の私でさえ 面白くて笑ってしまいそうですから
そして彼が目を外している間に デジカメを取り出して 彼を撮影してしまうのです
昔からカメラで写されると 魂を奪われるといわれています
シャッターを切ると 餓鬼憑きの人からは 霧のような煙のようなものが 目から出て
カメラに吸い込まれていきます
煙を吸われた人は 意識を失ってぶっ倒れます
僕の隣に座っていたセンセイは小声でいいました
「予定終了 うまいうまい 遠田さんは覚えがいいですね 天才かも」
センセイはご機嫌です
「なんの天才ですか!」
「お言葉ですけど 誉めてもらっても ちっとも嬉しくないですからね」
僕はちょっとむくれています こんな仕事 親にいえやしない
「これで食ってければいいですが センセイの助手でいる間は喰えても
そうでなきゃ仕事として成立しません」
「まあまあ この仕事は世のため人のためになる仕事です」
「それに 最初は気の弱い君を心配していましたが 結構強くなりましたね」
「つまり君のためにもなってるんですよ」
「きっと餓鬼憑きも平気になって やつらを撃退できるようになるかも」
「運勢もきっと良くなります」
センセイは高らかに笑うのでした
僕はいつも怖くて必死でやってるというのに・・・・
馴れるはずないよ
テーブルの下で気絶している人は すぐ目を覚ましますから
放っておいても大丈夫でしょう
勘定を済ませて店を出ます
センセイのクルマで 事務所兼 自宅へ向かいます
今日はこの先の作業を見せてもらう約束です
ここからが本当の「餓鬼鎮め」なんです
いし河のどて味噌カツ丼は ハンバーグ店のほうでも同じものが食べられます
コンニャクもどてもしっかり煮込まれて カツとあわせておかず過剰なくらいですが
不思議と全部食べられてしまう
こんなに濃いのに後口さわやかなのもいい
接客も丁寧で親切だし リピーターが多いのも判ります
遠田です
ハケンの仕事が休止になって 今は特殊な仕事の助手のアルバイトをやってます
雇い主は個人ですが 給料は払ってくれるし きちんとしているので
当分は喰ってけそうです
ただ 将来の不安はあります
こんな仕事いつまでもやってられないことは 判りますから
この仕事がなくなれば また元の派遣会社で働くんですが 不況で仕事も先細り
元の職場にもどれるかどうか判りません
この仕事 作業は簡単なんですが 困ったのは恐怖が付きまとうことと
理解不能なことが多すぎて混乱してしまうこと
作業は慣れるとなんでもないことで センセイがいうには 何も危ないことはない
というのですが 驚くことの連続で疲れます
最初は見習い期間ということで センセイがついて仕事を教えてもらってやってたんですが
慣れれば一人でやることになります
仕事は餓鬼つきの人から憑物をとったり 直接浮浪餓鬼を集めて持って帰ります
センセイはそれを集めてどこかへ持っていきます
最初の段階の餓鬼をみつけたり おびき出したりすることがなかなか難しく
そのあとの作業自体は簡単です
考えたら 前やった探偵のアルバイト(浮気調査)に似てなくもないですが
餓鬼を生け捕りにして持って帰るところは クワガタとりにも似てるし ネズミ駆除の仕事にも通じるところがあります
最初に 餓鬼捕獲法(作業マニュアル)をセンセイに教えてもらいました
?
いわば自動車運転教習所でいうところの学科教習です
「いいかい遠田君、餓鬼つきというものは 人がモノを食べている場所に現れる」
「自宅より外食場所がいい それも庶民的な食堂とか ファストフード店 立ち飲みやも集めやすい」
「というのも餓鬼は行儀の悪い人につく場合が圧倒的に多いからだ」
「高級なレストランや料亭は 人の間が遠いことや 格式ばってマナーにうるさいから
餓鬼憑きには 居心地が悪い場所なんだ」
なるほど理にかなってます
「餓鬼憑きの好む場所といえば カウンター席の牛丼屋やカレー店などがいい」
「椅子はあってもなくてもいいが 椅子なしのほうが客の回転が早くてテキを見つけやすい
そのかわり腰が落ち着かず 取り逃がすことも多い
反対にお好み焼き店やラーメン屋なんかは客の回転が遅いが じっくりやれるので 一長一短だ」
「馴れれば効率の良い牛丼屋やカレーや 立ち食いそばもいいが 最初は自分のペースでやれるお好み焼き屋がいいよ」
ただ私は君に オーバーワークは望んでいません あせることなく一匹ずつ集めてきてくれればいい」
「食事代その他は 経費で落ちますから 安心してください」
センセイのおハナシは いつも薀蓄を含んでいて 訊いてて成る程と思うことが多いです
しかしたまに思うのは こんな誰も知らないマニュアルをどこで手に入れられたんだろうか
センセイにはそのまたセンセイが居られるのか
それともうひとつ 捕まえた餓鬼はどうするんだろう?ということ
まさか悪いことに使うとか ペットショップやお化け屋敷に売りつけるんじゃないだろうか?
もっと想像を飛躍すれば 闇のオークションにかけるとか ダイエットにつかうとか・・・
俺の想像力なんてこんなものです
だから会社をクビになってハケンでしか働けなくなっているのかなぁ
いずれにしても今の僕は 社会正義をどうこう言ってる余裕はありません
喰ってかなきゃ干上がっちゃうんですから
・・・あ、すいません 脱線しちゃいました
「恩田君 餓鬼が憑いている人の特徴は わかりますか?」
「いいえ 見当もつきません」
「君は人よりずっと餓鬼に遭遇しているはずだ 違うかね?」
僕はうなずいた
「立ち食い蕎麦屋へ行っても 牛丼屋にいっても 必ず誰かにジロジロみられます」
「それは複数ではなく 必ず一店一人なのですが そのかわり必ず現れます 居ない日はありません」
「はい しかもその人は 沢山いるお客さんの中から 迷わず僕だけを選びます」
「それがいつも不思議でしょうがないんです」
普段の疑問をぶつけてみる センセイならわかるかもしれない
「ははは そうかね それは彼らから見たら 君は選ばれし人間なんだよ」
「だから君はこの仕事に採用されたんだけどね」
とんでもない話だ 僕は少しも嬉しくない それどころか憂鬱な気分だ
まえまえから悩んでいたことなのに それが偶然ではなく 必然だとセンセイはおっしゃる
僕はなんて運が悪いんだろう
怖いのでそれ以上聞くことは控えた
またいつかわかるときがくるだろう
僕はかなりナーバスになっていましたが そんなことはお構いなしにセンセイは質問してくる
「よく思いだしてください 餓鬼憑きの特徴を・・・・」
「ええと・・・・・ 見られるのは男性ばかりで 女性はいないような気がします」
「それから?」
「う~ん 年齢は幅広くて 若い人から年配や老人もいます 一人きりで来店している人がほとんど」
「服装は様々で 背広の人もいれば作業着 私服など色々 仕事もサラリーマン風もいれば
水商売風 遊び人 学生・・・うーんあとはわかりません」
「では回答です」
センセイは楽しそうに答えます
「男性が多く女性はほとんどゼロに近い これは正解」
「何故 女性が少ないかというと 彼女達には母性というものがあります」
意外な答えだった
「母性は身を削って子供を育てるという本能=自分の血(母乳)を子供に与える
というような究極の慈悲を持っています」
「子供の為なら 迷いなく死を選べる無償の愛も持っています」
「近頃の子殺しの母親もですか?」
ホントかな と思って聞き返しました
「あれは大抵男が悪く作用しているでしょう? 餓鬼とはまた違う「魔」が憑いているんです」
僕は実感が湧かなかったが 闇に詳しいセンセイの話だから 反論はしない
「服装 年齢 職業など 特定できないのは その通りです」
「聖職者や宗教家に憑いている例もあります」
けっこうどこにもいるんだな と僕は思った
「もうひとつ重要なポイントは 体型です」
「餓鬼憑きは 痩せ型が圧倒的に多く たまに中肉中背 筋肉質や肥満体型の人はつきません」
僕は聞いてみた
「餓鬼が痩せているからですか?」
「それもありますが」
「他には?」
「餓鬼が憑きだすと どんどん痩せていきます 人のを見るだけで 自分は食べなくなるからです」
「それと餓鬼自身 そういう体型をもっとも好みます」
「太った人なんかは がつがつしてて なんか憑いてそうですがねぇ」
センセイは笑った
「彼らも行儀が悪いですが 人の食べものに関心はありません 自分の目の前の食べ物を見るのに 忙しいですから 人のものを見ている余裕がありません」
「それに太った人は食べることが大好きだ 見るより食べるほうに興味がある」
なるほど いちいちもっともです
確かにそうだ センセイの鋭い指摘に僕はうなりました
「講義はこれくらいにして 次は実地でやってみましょう」
いよいよ講義から実地教習 仮免までいくのかな