たまには時事ネタ。
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京都で生存権を求めるデモ 「たまにはウナギも食べたいぞ」
「生存権を求める京都デモ」が1日、京都市であった。生活保護の利用者と支援者100人が路上から訴えた。「たまには旅行に行きたいぞ」「たまにはオシャレもしたいぞ」「たまにはウナギも食べたいぞ」
憲法25条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するよう政府に命じている。その政府は生活保護費を大きく削っている。京都では、生活保護を使いながら地域で自立生活をしている障害者が「生活保護改悪に反対する人々の会」(小松満雄代表)をつくり、「全京都生活と健康を守る会連合会」とともに政府を相手に裁判中だ。(中略)
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先週、ネットを見ていたら、京都で生活保護費減額に反対するデモのニュースがありました。デモの参加者が、「たまには旅行、オシャレしたい、ウナギ喰いたい」と訴えていたようです。インフレのこの状況で保護費の減額は確かに問題だと思いますが、 このデモの反対の主張の仕方はマズイ。彼等の主張を聞かずに、この言葉だけを捉えて反感をもつ人もいるようです。一生懸命働いている人でも、収入が低くて「オシャレしたり、ウナギ食べたり、旅行ができない」人がたくさんいる。なので、もっと切実な「光熱費が払えない」とか「食材が高騰して買えない」とか、生活保護者が人間として生きていくために重要なことを訴えるべきだと思います。このデモの実行委員会は、日本には潜在的な「貧困層」が2000万人いるというけれど、障害で働けない人は別として、日本の貧困層はどちらかと言えば「多少贅沢な貧困」。 お金に困っていても、スマホは持てるし、家にも食べ物にも困ることはない。世界には、紛争や環境でもっと悲惨な状況に置かれて、生活困難な人たちが沢山いる。 そういう人たちが本当の貧困層であって、日本とは貧困のレベルが違う。生活保護者を守る運動には賛同したいけれど、世間にアピールするなら、もっと言葉の使い方には気を付けたほうが良いと思った次第。
因みに、私も無職、無収入で「旅行、洋服、ウナギ」の主張がほぼ該当するので、2000万人の潜在的な貧困層の一人?かも。この生存権の主張、かなり違和感があるなあ。(^^;)
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京都で生存権を求めるデモ 「たまにはウナギも食べたいぞ」
「生存権を求める京都デモ」が1日、京都市であった。生活保護の利用者と支援者100人が路上から訴えた。「たまには旅行に行きたいぞ」「たまにはオシャレもしたいぞ」「たまにはウナギも食べたいぞ」
憲法25条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するよう政府に命じている。その政府は生活保護費を大きく削っている。京都では、生活保護を使いながら地域で自立生活をしている障害者が「生活保護改悪に反対する人々の会」(小松満雄代表)をつくり、「全京都生活と健康を守る会連合会」とともに政府を相手に裁判中だ。(中略)
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先週、ネットを見ていたら、京都で生活保護費減額に反対するデモのニュースがありました。デモの参加者が、「たまには旅行、オシャレしたい、ウナギ喰いたい」と訴えていたようです。インフレのこの状況で保護費の減額は確かに問題だと思いますが、 このデモの反対の主張の仕方はマズイ。彼等の主張を聞かずに、この言葉だけを捉えて反感をもつ人もいるようです。一生懸命働いている人でも、収入が低くて「オシャレしたり、ウナギ食べたり、旅行ができない」人がたくさんいる。なので、もっと切実な「光熱費が払えない」とか「食材が高騰して買えない」とか、生活保護者が人間として生きていくために重要なことを訴えるべきだと思います。このデモの実行委員会は、日本には潜在的な「貧困層」が2000万人いるというけれど、障害で働けない人は別として、日本の貧困層はどちらかと言えば「多少贅沢な貧困」。 お金に困っていても、スマホは持てるし、家にも食べ物にも困ることはない。世界には、紛争や環境でもっと悲惨な状況に置かれて、生活困難な人たちが沢山いる。 そういう人たちが本当の貧困層であって、日本とは貧困のレベルが違う。生活保護者を守る運動には賛同したいけれど、世間にアピールするなら、もっと言葉の使い方には気を付けたほうが良いと思った次第。
因みに、私も無職、無収入で「旅行、洋服、ウナギ」の主張がほぼ該当するので、2000万人の潜在的な貧困層の一人?かも。この生存権の主張、かなり違和感があるなあ。(^^;)