竹田という法律学者のツイッタ―のコメントが話題になっているようです。
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メダルを取る可能性のある日本選手へ。(1)メダルは噛むな。品がない上に、メダルを屈辱することになる。(2)国歌君が代は聴くのではなく歌え。国歌も歌えないのは国際人として恥ずかしい。また、日本には国歌斉唱時に胸に手を当てる文化はない。直立不動で歌うこと。
オリンピックで負けた時のコメントは難しい。かつて見ていて腹の立つものもあった。思い出になったとか、楽しかったなどはあり得ない。言い訳せず、ただ悔しい気持ちを語るのが、見ていて違和感がない。涙ぐんで、悔しくて言葉にならないというコメントには、感動すら覚える。日本は国費を使って選手を送り出してます。選手個人の思い出づくりのために選手を出しているわけではありません。オリンピックは「平和な戦争」です。古代オリンピックをぐぐればすぐ分かります。五輪精神が世界に浸透すれば、平和の輪が広がります。選手が真剣に戦ってこそ実現できるのです。
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コメントを見ていると戦前の国粋主義者の言葉を聞いているようで、老人の意見かと思っていたら、まだ38歳という若い学者の意見で驚いた。そもそもスポーツは「仕事」ではなく「遊び」なのだから、オリンピックとはいえ、そこまで国に忠誠を尽くす必要はない。税金を使っているのだから成果を出せというのは、選手にとって酷な話だ。自分も国費の一部を負担しているが、負けても国民を楽しませてくれて、且つ選手も楽しい思い出になるのであれば、それでも良いと思う。オリンピック派遣は普段の努力に対するご褒美みたいなものだ。選手としてベストを尽くしてくれれば何も文句はない。
だいたい選手がそういうコメントをするのは、国民の過度の期待にストレスを感じている証拠であり、それを軽減したいと思う気持ちから出る言葉ではないかと思う。また、メダルを噛むのも本気でやっているわけではなく、メディアの要望に応えてやっているのだろう。君が代が国歌になったのもつい最近の事で、国歌を直立不動で歌うという文化も無い。オリンピックを「平和な戦争」という意見も時代錯誤である。
明治天皇の末裔らしいこの学者は、上から目線でいろんな事を言っているが、何か勘違いしているとしか思えない。明治時代なら正論かもしれないが、時代が違って残念でした。