世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

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人魚姫のお話・6

2015-06-26 04:40:55 | 夢幻詩語

★★★

 何だか、体の下の方が、痛がゆいような気持ちがして、姫様はふと目を覚ましました。目を上げると、まだ明けきっていない朝の空が見えます。東の空は明るんでいますが、西の方にはまだ夜の女神の裳裾が少し見えていました。星はもう見えず、どこからか、聞いたこともない美しい歌が聞こえてきました。それは、姫様が後で知ることになる、陸に住む魚のような、小鳥たちの声でした。
 姫様は、そっと身を起こしました。そして自分の身体を見ると、もうあの人魚の尻尾はなくなっていて、立派な二本の白い足ができていました。姫様は驚きつつも、喜びで胸がいっぱいになりました。
「おや? そこにいるのはだれだい?」
 ふと、後ろから声をかけてくる人がいました。振り向くと、なんと幸せなことでしょう。のぼってきた日の光に照らされて、あの眼差しの美しい王子が、美しい立派な服を着て、姫様を見ていたのです。姫様は、自分の姿をかえりみて、すっかり裸なのを見て、あわてて長い髪で体を隠しました。その間も、王子様は姫様に近づいてきて、声をかけてきました。
「かわいい子だね、どこからきたの? なんで服を着ていないんだい?」
 王子様は優しく言ってくれました。けれども、姫様は声を奪われているので、何も答えることができません。そこでお姫様は、何とか身振りで、口がきけないことや、どこから来たのかは言えないことなどを、王子様に伝えようとしました。すると王子様は何となくわかったようで、言いました。
「わかった、君は口がきけないんだね。そして、自分の家も、名前もわからなくなっているんだね。ぼくのかかりつけの医者の先生に聞いたことがあるんだよ。辛いことや悲しいことを味わい過ぎると、人間は魂を失いそうになって、口がきけなくなったり、昔のことをすっかり忘れてしまったりするんだと。君はきっと、そんなことになってしまったんだね」
 王子様は、そういうと、召し使いを呼んで、このあわれな娘に服を着せてやって、朝ご飯を食べさせてあげるようにと命じました。それで姫様は早速、召し使いに導かれ、着せ替えの部屋でちょうどいい服を着せられました。姫様は、足で歩くのは初めてでしたから、最初はどうにも勝手がわからなくなって、まるで踊っているようなふらふらした歩き方しかできませんでしたが、それがどうやら、召し使いたちにはかえってかわいらしく見えるらしく、姫様は、いっぺんでみんなに気に入られました。姫様の緑がかった金の髪や青い真珠の目もそれは美しく、無作法なことは一切しないので、口がきけなくても、心が美しいことは、一目でわかったのです。
 王子様の命で、姫様の朝食は、小さな食堂で、二人で食べることになりました。朝食は、ふかふかのパンと、野菜とお肉のスープ、そしてチーズが一切れにミルクが一杯と言う、簡単なものでした。姫様は陸の食べ物を食べるのは初めてだったので、最初は勝手がわからなくて、ついスープに指を入れたりしてしまいました。そんな様子を見ても、召し使いたちは冷たく笑ったりせず、かわいそうに、相当に深い病気なのだと、理解してくれました。きっと食事の作法さえ忘れてしまったのだと。
 姫様は、真向いの席で器用にパンをちぎって食べている王子様の真似をして、自分もパンをちぎって食べました。するとそれは、今まで味わったこともないような、とても暖かな食べ物でした。何せ海の底では火が焚けませんから、食べ物はいつもほとんど生のままで食べていたのです。
 王子様は、まるでたったさっきまで赤ちゃんだったような、姫様の清らかな瞳を見て、とても気に入りました。口がきけないけれど、心がかわいいとわかると、姫様をこのままお医者のいる病院に渡したりすることができなくなりました。ずっと自分のそばにおいて、小鳥のように、自分専用のかわいい友達にしてしまいたいと思ったのです。
 王子様は、そのことを陸の国の王様と王妃様に相談して、許してもらいました。もちろん、娘の記憶が戻って実家がわかるまでの間だけだという、条件も付けられました。
 それからというもの、王子様は、どこへゆくにも、姫様を伴いました。ある伯爵家の友人の家を訪ねた時、姫様を紹介しようとして、ふと姫様を呼ぶための名前がわからないことに気がつきました。今までは、ただ「瞳のきれいなかわいいともだち」と呼んでいたのですが、それでは他人に紹介するときに困ります。そこで王子様は、姫様に名前をつけることにしました。王子様はいろいろと考えた挙句、ふと、自分の上着の袖に縫い付けてある、王家のしるしに目が行きました。
「そうだ、君をコクリコと呼ぼう。どうだい、かわいい響きだろう。ヒナゲシの花と言う意味なのだよ。コクリコ、気にいったかい?」
 姫様は、ちょっとびっくりしましたが、とてもかわいい名前だし、王子様がつけてくださったので、うれしそうにうなずきました。そこで、姫様は陸の国では、コクリコと呼ばれることになりました。
 召し使いたちも、その名を非常に気に入りました。姫様は、本当に、ヒナゲシのようにかわいらしかったからです。人に威張ったりせず、きれいなことばかりしてくれて、コクリコがいるだけで、心が安らいで、王様の御殿が花畑のように明るく美しく思われると、言うほどでした。まるで妖精のようだと言う召し使いもいましたが、まだ人間でも人魚でもない姫様は、ほんとうに妖精のようなものでした。
 人魚と言うのは、人間よりもずっと心がやわらかいのです。そのせいで、意地悪をするということをあまり考えることができず、人にやさしいことばかりしてしまうのです。こんな人魚が、海の中にうようよといるということが、人間にばれてしまったら、それは大変なことになるのです。やさしい人魚が海の底にいるとわかったら、人間はどうにかして人魚をつかまえてきたいと思うことでしょう。それからどんなことになるかは、まだわかりません。でもきっと、良くないことが起こるに決まっているのです。人間の心は硬くて、時々とても意地悪な人がいるからです。

 王子様は、コクリコをとても大事にしました。きれいな服を買ってやったり、おいしいものを食べさせてやったり、美しい花の咲く森へ連れていってやったり、珍しい本を読んで聞かせてやったりしました。そのたびに、コクリコは赤ん坊のようにきらきら目を光らせて、本当に幸せそうにするのでした。そんなコクリコを見ると、王子様は、苦しい人間の世界が天国になったのかとさえ、錯覚するのでした。
「ぼくは幸福だな。なんてかわいい子なんだろう。君になら、ぼくは正直な自分の気持ちを、何でも言ってしまいそうになるよ。君は意地悪なんてしないし、春風のように心が気持ちがいいし、ヒナゲシのようにかわいい。ぼくのコクリコ、秘密を一つ、聞いてくれないかい。胸の中にある、本当の気持ちを聞いてくれるかい?」
 もちろん、王子様のお願いを無下に断るような姫様ではありません。姫様はこくりとうなずいて、王子様の部屋で、王子様の秘密の話を聞きました。
「実はね、ぼくには好きな娘がいるんだよ」
 それを聞いて、姫様はどきりとしました。もしかしたらそれは自分のことか、と思うと、知らずほおが熱くなりました。でも王子様の目は姫様の方を見ず、夢を見るように、天井を見上げていました。
「ちょっと君に似ているんだ。肌は透き通るように白くて、長い金髪をしていて、とても優しい目をしているんだよ。ある子爵家の娘なんだが、今は修道院で勉強をしているんだ。ぼくが以前海でおぼれて、砂浜に流れ着いた時、一番初めに駆け付けてくれて、ぼくの命を救ってくれたひとなんだ」
 姫様はびっくりして、まるまると目を見開きました。お助けしたのは私です、と言おうとしましたが、もちろん姫様には何も言うことができません。王子様は目を閉じて思いにふけるように続けました。
「こうして目を閉じると、かのじょの面影が目に浮かんでくるようだ。ぼくはかのじょのことをとてもとても愛しているんだ。だから、父上の王様に頼んで、結婚を申し込むのを許してもらったんだよ」
 姫様は、びくびくと震えて、涙を流しました。王子様が自分を大事にしてくれるのは、自分を愛してくれて、やがて結婚してくれるからだと、てっきり思っていたからです。
「おや、泣いているの? 何か気に障ったことでも言ったかな?」
 王子様が姫様を見て、心配そうに言いました。でも姫様は気丈な人でしたから、ゆっくりと首を振って、涙をふき、笑いました。
「そうか、涙が出るほど、ぼくのためによろこんでくれるんだね、コクリコ。君がいてぼくは幸せだ。君いつも、ぼくの幸せを、自分のことのようによろこんでくれるのだから」
 姫様は悲しみをがまんして、青い真珠のような瞳を王子様に向けて、にっこりと笑いながら、うなずきました。

(つづく)



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