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しかし、生きることの中で、生きる苦しみがなにもないということが、どういうことなのかを、リープ人はあまり研究しようとしなかった。苦しみがなくなることが、幸福だと思い込んでいたからだ。
苦しみがないことが、苦しい。そういうことを言い始めたのは、古い時代の信仰を保持する宗教学者たちだった。人間は、ただ楽に生きるためだけに生きるのか。それはいったい何なのか。毎日毎日、食べて排出して眠りたいときに眠って、快楽を得たい時だけに性交をして、退屈しない程度に働いて、ほかに何かおもしろいことはないかと探し回るだけの人生だ。一体これは何なのか。
人間は、苦しみのほとんどない人生に、ふんだんにある大気の中で窒息するように、飽き始めていた。苦しみがなければ、何もないのだ。いいことも、何もないのだ。そういうことに気付き始めた時に、リープ人はすでに、不死の世界に半歩踏み込んでいた。
不死の人生とはいったい何なのだ。この退屈な死に等しい生が、永遠に続くということではないのか。それはあまりにも苦しい。
宗教学者たちは、ある種の厭世的な科学者たちと結びつき、奇妙な宗教組織を作った。それは、神を訴えるという宗教だ。神が与えた人生は、苦しみに満ちている。それなのに、その苦しみを消してしまえば、一層苦しい。なぜ神は、こんな人生をわれわれに与えたのか。それは、最初から、神の創造が間違っていたからだ。
この考え方を、熱狂的に支持する人間たちが、ある国で異様に増え始めた。そして彼らは、あの銀色の巨山のような塔を作ったのだ。
あの塔の名を、バルガモスという。それは神に飲ませる毒という意味だ。
リープの科学はすばらしかった。バルガモスは、太陽の燃焼を異様に促進させる薬のようなものだった。それを太陽に飲ませれば、太陽の寿命が、一気に縮むのだ。その宗教組織は、そのバルガモスを、ミサイルの中に仕掛け、太陽に打ち込み、それによって、太陽神を殺そうとしていたのである。
(つづく)