かのじょは生きていたころ、アルルカンやペドロリーノなどの、道化を描くのが好きでしたね。
堂々とした王様よりも、道化の方に心惹かれるというところに、今の天使の悲しさがあります。
わたしたちは、太古の時代にはよく王様をやっていました。いろいろなところに生まれて、国を導いて、人間たちを育てていました。クフ王やイクナトンやペリクレスなどの名が残っています。
あなたがたの国の、古い歴史を捜してごらんなさい。天使の王が見つかるかもしれませんよ。不思議なのは、天使がやっている王様は、たいてい人間に馬鹿にされていることです。人間がやっている偉大な王様は、それはもう誇大なほどにほめられているのですが、天使のやっている王様はいつも、なんだか変なことになっているのです。
日本の国の古代の王であった、天智天皇などは、その典型的な例です。
日本の国の形を、決定的に強いものにしたのは、実は天智天皇なのです。それまでにも一応政府の形はありましたが、天智天皇が出るまでには、それは危ういものだった。あの人がやってくれたことで、天皇家は日本の国の王家としての安泰を得たのです。だが、そんなことを、日本人は誰も知らないのです。
天智天皇の霊魂も、あれから何度も生まれ変わっていますが、今は王様というより、道化に近い。滑稽だと言われるのがわかっていても、愛ですべてをやって、みんなに馬鹿にされて死ぬという人生ばかり送っている。
アルルカンは、ひし形の布を縫い合わせたような、派手な服を着ていますね。あれにはわたしは、人間の苦しい心が隠れていると解釈しています。本当は、人間は、あんなふうに、今の自分をばらばらに壊してしまいたいのだと。みんなの前に見せている、いやな自分など、本当は粉々に壊してしまいたいくらい、つらいのだと。
道化のような馬鹿なものになって、何もかもをすっぱりやめてしまいたいのは、人間の方なのかもしれない。